016
トレミエがシエールの部屋で騒動を起こした翌日から、シエール達の生活は少し変化していった。
朝起きて、リジアンが訪れるまでに身支度を済ませる。
近頃は細部にまで確認が行き届くようになり、リジアンに指摘されることは少なくなってきたと思う。
それが終わると簡単な朝食をすませ、リジアンによるエートゥルフォイユに関する座学とマナーの勉強。
基本的な教養については、成長するにつれて家庭教師をつけるはずなので、その他の知識を補い身に着ける。
そしてお昼が近くなると昼食を、トレミエが持って来る。
…先日の騒動の後、ディアンジュ様の正式な知らせにより、トレミエがこちらへ昼間の間だけ手伝いに来るようになった。
主にこちらの状況を偵察に来ているようだったが、リジアンの厳しい監視の元で仕事を言いつけられるため、迂闊な事はできないだろう。
昼食を取っていると、卵の味に違和感を感じた。
シエールはフォークを置くと、表情を変えずに小さくため息をついた。
トレミエの口元が小さく上がるのを見て、シエールはトレミエの思惑を察し…馬鹿らしくなってきた。
「…もういいわ、下げてちょうだい。」
その声を聞き何事かと、トレミエの給仕を見守っていたリジアンは身を乗り出してきた。
「お嬢様、失礼します。」
そう言うとシエールが食べていた皿を持ち上げ、顔を近づけて臭いを嗅いだ。
リジアンは眉間に皺を寄せ、瞼を閉じる。
「…なにか手違いがあったようです。すぐに別の物を手配いたしますので。」
そう言うと、一礼し部屋を出ようとした。
「本当にもういいわ。それよりお茶をいただける?」
シエールは何事もなかったかのように、ゆったりと紅茶を楽しむのだった。
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ゆったりと昼食を済ませた後、シエールは図書室へと閉じ込められる。
「お嬢様には自分から学習しようという向上心がかけております。私が良いと言うまで毎日、図書室で学習していただきます。」
そうリジアンが宣言すると、トレミエは自分の胸の前で手を組み、目を輝かせながら喜んでいた。
シエールは表情を変えないまま、その言葉を受けて答える。
「…そう、仕方ないわ。」
重い図書室の扉を開け、シエールを中へ入れるとリジアンは再び扉へ両手を添えて力を込めて閉める。
扉が閉まる寸前で、トレミエが顔を傾けて口を開き、何かを伝えようとするのが見えた。
「(い・い・き・み)」
そんな子供っぽい事をやってのけるトレミエを、シエールは冷めた目で見つめていたのだった。
シエールがいない間のトレミエの仕事は、シエールの自室の清掃や洗濯、ベッドメイキング等…必要な身の回りの世話だった。
それ以外にも別棟内に仕事はたくさんあるのだが、トレミエは最低限の仕事が終わると、リジアンの元へと赴き、自分を良く魅せるために一生懸命アピールをしていた。
夕飯の時間になり、リジアンとトレミエが図書室へシエールを迎えに行く。
扉を開けても出てこないシエールを探し、中へ入ると最奥のテーブルでたくさんの本を積み上げて没頭しているシエールを見つける。
その姿を見てトレミエは、仄かに苛立ちが込み上げてくるのがわかった。
「(あんなところへ押し込められているというのに、泣いたり嫌がったりせず…本に没頭してるなんて。なんなの…気味が悪いわ。)」
迎えに気付き、今まで読んでいた本を片付けて図書室を出る。
トレミエの横顔を伺い、面白くなさそうな表情にシエールは笑いを噛み殺していた。
そのまま自室へ戻り、準備が整っている夕食をとる。
食後のお茶を飲んでいる間に、トレミエは本邸へと下がる。
毎日がこんな、繰り返しになっていた。
トレミエの仕事と言えば、初日にあんな大口を叩いていたにも拘らず、非常におおざっぱだった。
相手がシエールだと言うこともあるのだろうが、これならば自分でやった方が幾分ましな程度だ。
それでも気にならない程度に、自分で補正しながら生活を続ける…もちろんトレミエに対して、文句をいったり顔に出したりはしない。
その態度にトレミエが助長していったのか…少しずつ色々な不思議なことが増えていった。
寝具に入ろうと布団をめくると、ゴミがばらまかれていたり。
横になろうとすると、枕が濡れていたり。
朝着ようと思っていた下着が、前日の洗濯後から濡れたままでクローゼットにかけられていたり。
髪の毛を梳かすブラシが、糊で固められていたり。
すべてがリジアンの目の届かない場所で起こっており、シエールはそのトレミエの行動力に少し感動し、よくもまあ、こんなに思いつくものだと楽しんでいた。
何度も似たようなことが起き、シエールもいい加減飽きてきたので、少し意趣返しをすることにした。
ある日トレミエがいつものように、昼食を運びシエールの自室へいくと険しい顔のリジアンが立っていた。
「…どういうことです?」
そう言われても、トレミエには何のことだか覚えがない。
リジアンの態度に怯えながらも部屋に入り、食事を並べようとすると、シエールの洋服が目に入る。
シエールが来ていたアイボリーの洋服は、何日か前にトレミエが全面に大きくオレンジジュースをかけた大胆なシミが残ったままの物だった。
トレミエはシエールがそれを着るとは思っていなかった。
何着もあるのだ、その洋服が汚されていることに傷つけばいい…あとは、シエールが汚してしまったと洗濯メイドへと任せようと思っていたのに…。
「朝クローゼットに行くと、このような形で汚れていたの。」
何事でもないようにシエールは汚れた洋服を着て、昼食を持って来るトレミエを待っていた。
驚き目を見開いたかと思うと、一瞬で表情を取り繕い涙目ながらに怯えた様子を作り出したトレミエ。
「…それは、お嬢様が自分で。」
その言葉に、眉を片方上げてリジアンは言葉を遮った。
「おかしいですね、オレンジジュースは朝食の時にしかお出ししていません。朝の時間帯は私がお嬢様のお世話をしております、故にそのようなことが起きていれば確実に私の目に入るはずです。たとえ貴女の言うようにお嬢様が自分で汚したのだとしても、午後の清掃を担当しているのは貴女です。いずれにしても貴女にはメイドとしての資質に、問題があるようです。一度ディアンジュ様へしっかりと、報告せねばなりませんね。」
自分の資質を問われ、ディアンジュ様へ報告される…トレミエは内心とても焦っていた。
やったことに対しては、ディアンジュ様から怒られるようなことはないだろう。
問題はこのことをリジアンが正式に抗議し、この別棟のメイドからトレミエが外れてしまうことだった。
きっとディアンジュ様は、トレミエに失望するだろう…そして本邸に戻されたとしても、トレミエに居場所はない。
「…私の配慮が不足し、申し訳ありませんでした。」
ぎりぎりと音がしそうな程、歯を噛みしめトレミエは言葉を絞り出した。
リジアンがそれとわからないよう溜息をつき、視線をはずした瞬間に…顔を赤くし、唇を噛みしめながらシエールを睨みつけることを忘れずに。
そしてシエールはその視線をあっさりと無視し、汚れた服のままゆっくりと昼食を取り始めた。




