013
カルネヴァル侯爵邸、別棟の夜は深い。
人がいないことも含め、生活のために使う光は少なく…それさえも真夜中となると、全ての光が閉じてしまう。
石造りの冷たい静寂を、高く生い茂る木々かそっと覆い隠し、その闇を深くしていった。
ひんやりとした寝具の中に、丸くなって眠るシエールは…この暗さが苦手だった。
もう二度と帰らないお母様、何度呼んでも振り向かないお父様の夢を、何度もみた。
しかし今のシエールにとっては、優しく包み込む揺り籠のようだ。
カーテンの隙間をゆらゆらと海の底を漂うような月の光が、木々に反射して穏やかな浅葱色に輝く。
全てを失くした時、側にいてくれた…影を孕んだ、トパーズの瞳のように。
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「…お嬢様、申し訳ございません。お嬢様。」
ゆらゆらと、心地の良い眠りから引き上げられるようにリジアンの声が耳元へと響く。
「…えっ、嘘。」
ぼんやりと目を開くと、古い造りのランプを片手にリジアンがベッドの側にいた。
その姿を確認したシエールは、最初に自分が寝過ごしてしまったのだと思った。
朝訪ねてきても返事のにないシエールを心配して、リジアンが寝室まで様子を見に来たのだろう。
申し訳ない気持ちと、自分への腹立たしさで泣き出しそうになりながら、シエールは何度も瞬きをする。
「ごめんなさい、すぐに準備をします。」
あわてて身体を起こし、髪の毛を撫でつける。
寝具から抜け出そうとすると、シエールの肩をリジアンがそっと抑えて頭を振った。
「いいえ、お嬢様。まだそんな時間ではございません。…こんな夜分に申し訳ないのですが、少しお付き合いいただきたいのです。」
そう言うとリジアンは、シエールへ腕に下げていた厚手のガウンを渡す。
シエールが寒くないようにしっかりと着込んだことを見届けると、リジアンは手を差し出し、シエールを部屋の外へと連れ出した。
薄暗い廊下を、リジアンの持つランプ一つで移動する。
窓から見える景色を眺め外の様子を伺うと、今がまだ真夜中だということがわかる。
建物に籠る寒さと、薄暗い得体の知れなさで、少し身震いをしてリジアンへと身体を寄せた。
その様子を横目で確認しながら、リジアンはシエールに説明を始めた。
「お嬢様…お嬢様は昨日私がお話ししたことを覚えておいででしょうか?私の予想ではどのような形になるかはわかりませんが、夜が明けその日のうちに、ディアンジュ様側の監視がつくのではないかと思っております。私が常にお嬢様のお側に控えることができればと思いますが、ディアンジュ様のあのご様子では、なかなかに難しい状況になるでしょう。その間、お嬢様の身の安全を、どのように守るかを考えておりました。」
話しているうちに別棟一階の一番奥の、重厚感が漂う扉の前に立つ。
その扉は邸の扉の中でも、明らかに異質なものだった。
王宮の広間にも相応しくあるその扉は、訪れる者を拒んでいるかのようにその重々しい硬質な顔をのぞかせていた。
大きさから察するに、重量もかなりあるだろう…とても幼いシエールが、ひとりで開くことができる代物とは思えなかった。
「…今、この扉には鍵がかかっております。」
そう言うとリジアンはジャケットの内側のポケットから、大事そうに鍵を取り出した。
扉が見せる表情とは違い、細く繊細そうな銀色の鍵は、差し込む先が透かし絵のように大きさの違う三つの薔薇の形になっていた。
「ではお嬢様、開けてみてください。」
リジアンは鍵をシエールには渡さないまま、シエールへ扉を開ける様に促す。
「(開かないことを確認させたいのかしら?)」
現在鍵がかかっていて、シエールひとりの力では開くことができない扉。
それを開けてみろと、リジアンは言う。
腑に落ちないまま、シエールは扉のハンドルへと手をかけた。
瞬間…ハンドルの少し上にうっすらと、鍵と同じ薔薇の細工が見えたような気がした。
それが何か確認しようと、手を引くと…同時に扉はなんの力もかけずに音もなく開いたのだった。
「…開いた?」
ぽかんと口を開けたままのシエールに、リジアンは納得したように頷き、自分が知っていることを話しだした。
「この邸は元々お嬢様の祖母に当たるベルドゥ様のご生家…カルネヴァル侯爵邸を、爵位と共に母上のロヴェリア様が引き継がれたのでございます。そしてこの部屋はカルネヴァル…紫の系譜と呼ばれる者が、代々大切に管理をされ引き継いでこられました。系譜の者であれば、誰でも鍵を使わずに簡単に開けることができますが、その他の者が開けようとするとこの鍵と相応の力が必要となります。」
信じられない気持ちで見つめるシエールを横目に、リジアンは再び力を込めて扉を閉めて見せた。
改めてリジアンの持つ鍵を差し込み扉を開く。
部屋の中には四方の壁に作り付けられた本棚以外に、迷路のように本棚が等間隔に配置されており、さながら小さな図書室といった雰囲気だった。
「では、中へ入ってみましょう。」
床に敷き詰められた、紫紺色の絨毯を踏みしめ更に奥へと進むと、その一角に書き物が出来るくらいの大きさのテーブルと椅子が置いてある。
リジアンはその簡素な造りのテーブルへ持っていたランプを置くと、その周囲を見渡した。
そして大きく一息つくと、リジアンはシエールを真っすぐに見つめ言い放った。
「明日からはお嬢様に勝手をしていただかないよう、午後はこちらに勉強という名目で閉じこもってただこうと思っています。」
シエールのリジアンを見つめる瞳が、ひと際大きく見開かれた。
「(この部屋に、私を閉じ込める?どうやって?)」
シエールが触れれば鍵がなくても扉は開く、リジアンの考えがわからずにシエールは高い本棚に囲まれたまま不思議そうに佇んでいた。




