011
少し拗ねるようなそぶりをみせて、扇子を広げて口元を隠す。
顔にかかる髪の毛を気にするよう手で払うがその動きは滑らかで、顔の輪郭をなぞりつつ首筋を滑ってゆく。
殿方の視線を誘導する様に動いて見せ、そっと視線を流し猫の目のようになにかを含んだ瞳で相手の様子を伺う。
そんなディアンジュの視線をさりげなく躱しながら、リジアンは自分の後方へと身体を開きシエールを見下ろしながら声をかける。
「…こちらへ。」
リジアンからの忠告を受けていた通りに、必要な事以外はしない。
シエールは声がかかるまで、動かずにその場でじっと佇んでいた。
目の前で駆け引きと思われるやりとりが終わり、やっとシエールに声がかかったと思う反面…それを表情には出さない。
数歩前に出て、軽く礼をとり名乗る。
「初めましてお義母様、シエール=カルネヴァルと申します。」
再び顔を上げまっずぐに視線をディアンジュへ向ける。
しかしその視線はディアンジュの瞳を捉えるものではなく、ただ虚ろに前だけを見ていた。
「あら…。」
ディアンジュは今初めて気がついたかのように、シエールをまじまじと見つめていた。
先程と同じように口元は扇子で覆われ、その感情を読み取ることは難しいかと思われた…しかしディアンジュは、貴族のご婦人としてはわかりやすい女性だった。
シエールを眺め、その中に何かを探すように、無遠慮な視線を投げつける。
その視線が全身に絡まりつくようで、シエールは不快な気分になった。
不躾なその態度に、普段のシエールならば怒りの感情を漏らしていたに違いない。
だが…それでも動かずに、表情を崩さないでいた。
ディアンジュはシエールを一通り観察し終わると、嫌なものを見る様に肩眉を上げて、鼻で笑う。
そしてゆったりとした仕草でドレスのスカートを少し持ち上げながら、ソファへと座った。
シエールを待たせたまま、自分は侍女へと新しい紅茶を入れる指示を出していた。
「…私の事は、ディアンジュ様と。」
つんと澄ましたようにそう言うと、紅茶を受け取りシエールとは反対側にある窓の外へと視線を移した。
シエールはこの言葉を受けて、これは決定事項なのだ…この事について、シエールの返事は必要がないものなのだと悟った。
名前で呼ぶと言うこと、つまりシエールの母になるつもりはないということだった。
「貴女には…旦那様の面影が少しもないわ。あの綺麗な面立ちを受け継いでいないなんて、可哀そうな子。貴女のその瞳はノヴァーリス公のものね。『碧眼翁』の瞳そのもので気味が悪い。まあそのシルバーブロンドの髪の毛だけは旦那様と同じかもしれないけど…それ以外は旦那様のお部屋にあるあの女の肖像画そのものね。」
ディアンジュは一気にそういうと、淹れなおした紅茶を一口含み、かちゃりとわざと音を立ててカップを受け皿へと戻した。
「…愛されて育ちましたって顔が、頭にくるわ。」
憎々し気に口から言葉がこぼれていく、ディアンジュは目を閉じ息を吐く。
そして遠い記憶を呼び寄せるように、すぐ目の前に手を伸ばしながら、うっとりとしていた。
「旦那様はね…そう私達が乙女の頃に、それはそれは人気があったの。シルバーブロンドにアメジストの瞳…儚い外見から品のある仕草まで、夢に見る王子様のようで。社交の場でお目にかかれることだけでも、胸をときめかせていたわ。一度勇気を出してお声をかけたことがあるのだけれど、私達に対する言葉ひとつにしても配慮があり、一瞬で女性を夢見心地にするほどだった。」
そうして再びシエールへと顔を向けると、眉間に皺を寄せながら語り始めた。
「なのに同じ系統というだけで…公爵令嬢だというだけで、あの女と結婚?ありえない…髪の毛が綺麗だというだけで、ぼんやりとした平凡な容姿のあの女が、旦那様と結婚なんて…碧眼翁に無理強いされたに決まっているわ!」
ディアンジュには、シエールの顔とロヴェリアの顔が重なったのだろう。
ずっと胸に閊えていたことが言い放てた、開放感に気をよくしたのだろう。
「でも、もう良いの。後添えとはいえ、旦那様と夫婦になれたのだし…侯爵夫人という立場にも収まれた。これでプリムヴェールに弟でもできれば…旦那様のご寵愛は確実だわ。お堅いノヴァーリスと、縁続きというのが窮屈だけど…息抜きも見つけたし、殿方の魅力も様々よね。」
シエールに言葉を向けつつ、ディアンジュはリジアンへと悪戯な視線を流した。
リジアンは目を伏せ、じっと佇んでいる。
「あとは貴女が成人までに、加護を発現すれば…私の地位はゆるぎないものになるわ。この侯爵家の為にも努力なさい。」
そこまで言うと興味がないとばかりに、扇子を閉じそのままシエールを追い払うように振る。
「(このご婦人…いやディアンジュ様は、こちらが警戒するまでもない。子供と身分の低い執事だと侮り、ぺらぺらとよくしゃべる。)」
シエールはそう思いつつ、礼をとり部屋を退出するために扉へとむかっていた。
すると背後から、まるでどうでもいいひとりごとのようにディアンジュが呟いた。
「そうそう、王陛下より貴女に縁談が来ているわ。ハイルヘルン伯爵家の次男…青の系譜ね。どちらにしても系譜からして、貴方に関わることはないわ。王陛下もこの娘へ…ではなくカルネヴァル侯爵家へ縁談をくださればよかったのに。そうすればプリムヴェールにも良い家と御縁ができたのに。まあまだ時間はあるのだし、そのうち縁談をすり替えることもできるかもしれないわ。」
シエールは立ち止まり、その言葉を背中で静かに聞いていた。
一度振り返り、ディアンジュへ向けお辞儀をすると、再び部屋をあとにした。
あのご婦人の頭は、熟れた桃か何かでできているのかしら?…おめでたい考えにもほどがある。
あの王陛下が、私に対して良い縁談を持って来るはずがない。
お父様の縁談も、お父様の加護に対し苦痛を与えるものだった。
さらにシエールに対してあの【誓約】があるうえで、青の系譜の婚約者とは嫌がらせ以外のなにものでもない。
王命に縛られた、嫌がらせの縁談…シエールは大きく息を吐き出す。
幼い身でありながら、課題は山積みだった。
それでも出来ることからこなさなければと、シエールとリジアンは速足で別棟へと歩いていった。




