6 少女の生はいつまでも
私はひとまず屋敷全体を見て回ることにした。
窓は全滅だ。仮に非常時の隠し口があるとしたら通れるかもしれないが、見つけられなければ意味はない。やはり出られないようだ。
全ての部屋を訪れたが、窓に貼られた「開かない」「割れない」の札と思い出したかのようにトラップが仕掛けられているだけだった。他に異常はない。
誰も、いない。物音も聞こえない。そういう力のある囚人もいるが、これだけ動き回って襲われていないということは可能性は低い。今のうちにどうにかしてヴィジルを突破するか。
再びエントランスへ。ヴィジルは変わらず寝ているようだ。体勢も散らばってる物の位置もさっきと同じ。熟睡だな。気付かれずに辿り着ければ……やれる。
先ほどまでは着の身着のままだったが、今は装備が異なる。ここに来るまでに拝借したナイフ二本と腰に巻くタイプのナイフホルダー、深く被れば顔をよく見られずに済むであろうフードつきの黒ローブを着用している。
ヴィジルはフォーマルな人種、急所はわかる。喉を一突きでいい。問題はトラップ類か。
札の効果を慎重に確かめながら、細心の注意を払ってじわじわと近づいていく。下を通れば落ちてくる天井板、近づくと音を立てて自壊する壺、触れた者に絡みつく騎士団旗、射線に入った者へ射撃するクロスボウ。クロスボウの作りは荒い。お手製という訳か。
この世界に物理的な遠距離武器はなくはないが、かなりマイナーな部類らしい。しかもその大半が刻まれた魔法陣による補助を受けている。ヴィジルの札は引き金を引いたり車輪を回したりといった物理的な力なら加えられるが、魔力を込めねば起動しない魔法陣には恐らく効果がない。
落ちている小物類に貼られているのは、「振動が倍増する」?……鳴子代わりだろうか。
振動を抑えるため、靴を脱いですり足を用いる。そのまま何事もなく、ヴィジルの元に辿り着いた。あとは喉を掻き切るだけ。振動に配慮し、ゆっくりと事を進める。
殺し、か。あれが召喚だったのか特殊転生だったのかわからんが、どちらにせよ、生きているんだな、214番。……私も今、生きているよ。死の怖さが少しは理解できるようになったと思う。
朽ちる気配のない身体、関わる者は自分と同じくいつまでも変わらない妖精達と死後の囚人。生死など些細なことだと思っていた。
ここに来たのは君達の意思外の事だろう。だから、君達に罪はない。この世界に生きるというのなら、私はそれでもいいと思う。
ナイフをホルダーから抜き取る。
だが……私も、生きたいんだ。死後どうなるかわからないのが怖い。死ぬ予定のなかった私が死後どこに行くのか、想像もつかない。ただ監獄に戻るのか、そうはならないのか。
頸動脈に狙いを定める。
わざわざ君達を追い詰める気はない。だが、私は私が大事だ。守りたい者もいる。だから……降りかかる火の粉は払わせてもらう。
振り下ろしたナイフは、空を切った。
「いやー惜しかったね。それにしても間抜けだなぁ、ヴィジルさん」
「っ!?」
ヴィジルの姿が突如消えた。いや、それよりも。
「ん……女の子?騎士の誰かの子かな。凄いねぇ、この部屋の罠全部避けるなんて。勘がいいのかな」
開かないはずの扉の前に男が立っていた。こいつも、知っている。視線を外してエントランスの外へと走った。札が効力を発揮し、小物からけたたましい音が鳴り響く。
「うわ、うるさっ……って、ちょっと、どこ行くのさ」
私の進む先に男が現れる。拾い上げた小物を男の横にある旗へ投げつけた。
「はずれー、って、うわっ!?」
はためいた旗が男に触れ纏わりつこうとするが、男の姿は消え、対象を見失った旗はその場に落ちる。
「はい、残念。あれ?」
再び現れた男に構わず走り抜け、エントランスから抜け出した。適当な部屋に飛び込み、物陰に身を隠す。
あのタイミングの良さ、途中から見られていたのか。失敗したのは痛いが、顔を見られていないのは救いか。私がこの世界にいると知られれば確実に面倒なことになる。それは避けたい。
「お嬢ちゃーん?出ておいでー。お話ししようよー」
廊下から男の声が聞こえてくる。見失ってくれたようだ。今の内に奴の情報を整理しよう。
囚人番号914、前名、ル・ジェイ。好戦的ではないが、嗜虐心が強い。戦闘能力はそれなりに高い。能力は特殊空間の生成。生物とそれに付随する物体を除き、発動時の現実と瓜二つの仮想空間を作り出す。自身は常時、他者は視線が合っている間又は意識がない場合、任意で現実と空間の同座標を行き来させることができる。現実側の出入りに影響はないが、空間側から自力で出る方法はない。範囲は……この屋敷くらいなら包めるだろう。
ジェイは一つ一つ部屋を開けて回っているようだ。徐々に近づいてくる。
主な使い方は空間に一人逃げ込むことでの実質的な完全回避と、獲物を空間に閉じ込めること。騎士達は奴の空間に放り込まれたか。空間自体に攻撃能力は一切ないが、恐らく向こうにはヴィジルのトラップが大量に配置されている。エントランスのものはあくまで周辺警戒用、本気の罠は直接殺せるようなものだろう。ヴィジルだけを先に飛ばしておけば好きなだけ設置できる。なるほど、かなり噛み合っているな。
隣の部屋が開けられた。動き方から察するに、この部屋は次の次。
結局のところ視線さえ合わせなければ影響はないが、私が奴とまともに相対して勝てる可能性は0だ。向こうで騎士達が生き残っていることに賭けて飛ばされてみるか?……そもそも飛ばしてくれるかもわからんか。小娘一人、能力なしでどうとでもなる。
真向いの部屋に入っていった。次はこの部屋だ。隠れ続ける手もあるが、このまま放置するのはまずい。リーネのいる部屋まで行かれては困る。奴の匙加減にはなるが、賭ける他ないか。
ナイフを使ってベッドを裂き、鼻から下を覆った。フードを深く被り直し、目だけが見えるように。そのままナイフを持ち、扉の前へ。
扉を開けた瞬間、こちらから襲いかかる。反射的に飛ばしてくれればそれでよし、そうでなければ腹でも狙って適当に突き出し、そのまま逃走を……
「見ーつけた」
「なっ!?」
部屋の中ほど、背後から声が聞こえてくる。
「可愛い声だねー、っと。いただき」
振り向きざまにナイフを振るったが、空振りした。その際目が合い……先ほどと同じ部屋だが、騎士が一人倒れている。
完全に不意を突かれた。こちら側で部屋に入ってから現実に戻ったのだろう。だが、飛ばされることは出来た、この人は駄目だが騎士もいる!あとは戦える者を探して協力を……!
「ようこそ、僕の箱庭へ。って、えぇ……?」
破壊されている扉から飛び出し、ボロボロの廊下を走る。
「ちょっと順応性高すぎでしょ……怖がってくれないとこっちもやり甲斐ないんだよねー。あ、そこ危ないよ」
「いっ、あ、ぐ……!」
床板が跳ね上がり、私を側面からしたたかに打ち付ける。衝撃に体が浮き、逆側の壁まで弾き飛ばされた。
「反応うっすいなぁ……ほら、待っててあげるから、逃げていいよ。だからもっと……必死な声を、聞かせてくれ!」
趣味の悪い奴だ……が、今は助かった。まだ動ける、お言葉に甘えるとしよう。
嗜虐的な笑みを浮かべるジェイを無視し、廊下の奥へ。
ジェイに言わせるところの、“狩り”が始まった。