10 赤い少女はただ進む
ラヴィスの帰りを待つ間、私は物陰に隠れながら、彼女の事を考えていた。
さっきまでの震えはすっかりどこかへ行ってしまった。体の震えもどこへやら、今はむしろ熱いくらい。……それもこれも、ラヴィスがあんなことを言うからだ。
「私を守る、かぁ……」
まるで物語の王子様のような台詞に、不覚にもドキッとしてしまった。同時に、自分が情けなくなった。その役目は、私がやりたかったんだ。私はお姉ちゃんとしてラヴィスを守ろうと思ってた。まだ時間は経ってないけど前よりもずっと鍛錬に身が入ったし、強くなったと思ってた。
それなのに、いざとなれば、私はただ震えていただけ。私より弱い癖に、私なんかよりずっと勇気があって、冷静で。自分だって怖いはずなのに、私を優しく包んでくれて。役に立たない私を逃がして、私を守るだなんて言って、一人で出て行った。ラヴィスの体温を思い出して、身体が熱くなってくる。……そんな自分が嫌になった。これじゃあ、私はただの足手まといだ。
「守られるだけなんて、嫌。私だって……わっ!?」
そう呟いた時、突如大きな音が屋敷中に響き渡った。そっと部屋から出て、様子を伺う。これだけ大きな音が出たんだから、さっきの寝ていた人は起きてしまっているはずだ。ラヴィスが危ない……!
「……ごめんね、ラヴィス。ここで待ってるだけだったら、私はもう強くなれない気がするの」
あたりの部屋を見て回り、手槍とナイフを手に入れる。
「まだちょっと……すごく、怖いけど。ラヴィスがいなくなる方がもっと怖い。だから、私も……行くよ」
手槍を手に、ナイフを腰に。気合い十分、エントランスへ向かった。
……エントランスへは何事もなく着いた。誰にも会わなかったし、物音ひとつしなかった。エントランスを覗いてみると、荒れた室内が残っているだけだった。
「ラヴィス、いないの?……きゃっ!?」
落ちていた旗に足が触れた瞬間、布が両足に纏わりついて来た。慌ててナイフで裂いていると、小さな紙が貼ってあることに気付いた。
「これ、確か扉にも……」
そうだ。扉に貼ってあったこの紙を見て、ラヴィスが急に焦り出したんだった。……不用意に近づかないようにしよう。
改めてエントランスを外から見てみると、至る所に紙が貼られているのがわかった。
とにかく、ラヴィスはここにはいないみたいだ。一階を歩き回り、二階へ登った。階段から廊下の様子を伺うついでに、あの紙がないか遠目から確認していく。
「一枚、二枚、さ……!?」
慌てて口を抑え、身を隠す。廊下の奥の方、何もなかった空間に突然男が現れた。……心臓がうるさい。叫び声をあげなかっただけでも褒めてもらいたい気分だ。幸い、男はこちらに背を向けていたように見えた。そっと顔を出して様子を伺う。
「はーあ……あいつ、見殺しにしとけばよかったかな……!もうちょっとだったのにさぁ!」
エントランスにいたのとは違う人だ。ぶつぶつと呟きながら、私のいる方とは別の階段へ向かっている。……こちらには気づいていないみたいだった。
多分、騎士じゃ……ないよね。見殺しってことは仲間で、それがさっきの人だとしたら……ラヴィスはあの人に見つかったってこと?それじゃあ、ラヴィスは?
ぞっとするような想像を振り払って、出来ることを考える。
あの人。見間違いじゃなければ、何もないところに急に出てきた。そんなの、お兄ちゃんにも聞いたことない。最新型の魔法なのかな……?正面から使われたらどうしようもないけど……気付かれてない、今なら!
靴に縫いあげられている速力増加の魔法陣に大量の魔力を通す。手槍にも簡素な硬化の陣をナイフで刻んだ。そっと後をつけ、男が降った一階へ。
「足ちょーっと切っただけでお預けなんてさぁっ!そりゃないっ、よねぇ!」
(っ……!)
イラついたように時折壁にナイフを突き立てながら、男はそんなことを言った。……違う人かもしれない。でも、もしそれがラヴィスの事だったら。激昂を通り越して、すっと心が冷えた。男がナイフを振りあげたところで、手槍を構え、魔力を解放し、飛び出す。
「…………シッ!」
「やっぱ後で殺、が、ぁッ!?」
「っ、いない!?」
男の姿は消えていた。脇腹へと刺した感覚は確かにあった。手槍にも血が残っている。
(ただ見えなくなる魔法じゃないってこと!?そんなのズルい!!)
愚痴っても仕方がないけど、言いたくもなる。そのまま駆け抜けて、最奥の壁に背をつけた。そして、そう遠くない場所に男が現れる。傷は思ったほど深くなかった。
「……今やったの、君?」
「だったら、何!」
「ふぅん……さっきの子に比べて随分アグレッシブだねぇ」
「な……あの子に何したの!?」
「何もしてないよ?する前に取られちゃったしねぇ。ちょっと足を引っかいたくらいかな。お友達?」
「ラヴィスはどこ!?答えてっ!!」
今すぐ駆け出したいのを抑えて、手槍で威嚇するだけに留める。
「おー、怖い怖い。いいよ、連れてってあげる」
突然、風景が切り替わった。……違う、場所は同じ。ただ、さっきよりも随分と荒れ果てている。
「多分二階にいるよ。行ってあげなよ」
どういう訳か手を出して来ないらしい。警戒しつつ足を踏み出して、慌てて足を戻した。……あの紙がたくさん散らばっている。
「どうしたの?行かないの?」
「うるさいっ!」
意を決して、紙に気を付けながら歩き出す。途中、男の横を抜けないといけないけど……男は脇の部屋に入り、道を譲って来た。
「なんだ、君も知ってるんだ。ちょっと面白くないけど……今はいいや。早く行きなよ」
言われなくてもそのつもりだったけど、私が罠に引っかかっては意味がない。全速力で突っ切りたいのを抑えて慎重に進んだ。それでも、全てを避けることはできない。
近くにあった魔力灯が破裂した。飛び散ったガラスが肌に突き刺さった。
遠くに転がっていた剣が飛んできた。なんとか弾いたけど、衝撃に耐えられず手槍を手放してしまった。
突然、左腕に何かが突き刺さった。声にならない叫びをあげ、痛みに震える指でそれを抜いた。後ろで男が笑っていた。
痛くて、苦しくて、悔しくて、涙が零れて。でも、足は止めなかった。
「は、はは……いいね、いいよ、君、最ッ高!」
外野がうるさい。……階段を登り切った。重い体を無理矢理動かして、廊下へ出る。
「あ……ラ、ヴィス……?」
廊下の中程に、求めていた彼女を見つけた。……ぴくりとも動かない、倒れた姿で。
「ラヴィス……!」
身体の傷も、辺りの罠の事も忘れて、一心不乱に駆けた。また、傷が増えたけど。どうでもよかった。
「ラヴィス、ねぇ、起きてよ」
彼女の身体にすがりついて、肩を揺らす。
「ねぇ……起きてってば……」
胸に手を当てる。震えているのは自分の指だけだった。
「嘘、だよね……?絶対戻って来るって言ったもん……!」
「ふ、あはっ、くっふ、ふ、はっ……最ッ高だ、今までで一番だよ!!」
「ラヴィス、ラヴィスぅ……!」
「はぁ、はぁ……はあぁ……よし、この最高の気分で……締めないとね。仕上げまでやってこその芸術なんだ……」
何も考えられない。何もかもどうでもいい。ただ、最期まで一緒にいたくて。彼女の身体にすがり続けた。
「名残り惜しいけど……君には感謝してるよ。こっちに来て間違いなく、今が最高の瞬間だ。だから、一息に首を落としてあげるからね……」
そういえば、昔お兄ちゃんに死後の世界の話を聞いたことがある。それを信じる宗教があるんだって。いい事をした人は楽園に、悪い事をした人は暗い牢屋に。確かそんな話だった。……私はそんなに悪い事はしてないと思う。きっと、ラヴィスも。だったら、今度はそこで、ずっと一緒に……幸せに暮らしたいな。
「じゃ、さよなら。……あれ?」
「……あ、えっ!?」
ぐいっと身体を押しのけられた。……ラヴィスに。