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父が今度は温室の方を見に行くと言うので、屋上に移動することになった。

ハンスが歩くうしろに父とわたしが並んでついて行き、最後にレオが続く。

研究室の中はややひんやりとしていたのだが、屋上に出ると温かい日差しがあって春であることを思い出す心地よさだ。

しかし温室に入ると、今度はじんわりと汗がにじむ程の温かさに変わる。

温室の中には以前来た時よりも種類が豊富になった野菜たち。

わたしは素直に感嘆の声を漏らした。


「お父様、奥まで見てきて良いですか」


「ああ、行っておいで」


父の許しを得て、野菜を順番に見ながら奥へと進む。

ちなみにレオは温室の入り口に待機しており、今は暫しの間だけ一人だ。

自由行動を楽しむことにする。

乙女ゲームの世界であるという影響からか前世と今世は食べ物の種類がほぼ同じなので、ここにあるのは見慣れた野菜たちだ。

やはり室内で栽培されていた時よりも野菜たちに元気さや瑞々しさがあるように感じる。


「今は野菜ばかりだけど、いつかは苺を作れたらいいかも」


テンションがあがり、思わず独り言が零れる。

頭に浮かぶのは、前世にテレビで見たことのあるいちご狩り。

将来的にそういったイベントが出来るようになれば商会としての収益も考えられる。

そのことを父に言えば、もしかしたら商会立ち上げについて前向きになってくれるのではないかとほくそ笑む。

そう考えて、まだ自由行動を始めて間もないのだが、さっそく父に提案してみようと入口の方に戻ることにした。

と、ぼそぼそと小さな話し声が聞こえる。

父とハンスが二人で話しているのがわかり、仕事の話の邪魔をしてはいけないと再び奥に行こうと振り返ったところでふと足を止めた。


「ところで、先日は弟夫婦に養子を紹介してもらったようで。お世話になりました」


ノアのことだ、と思った。

聞こえてきた話題に興味がわいてしまった。

それほど大きくない温室において、聞くべきではないとわかっていても僅かに耳には入るもので。

しかもその話題がノアのことならば、植物に夢中になっているふりをして思わず聞き耳を立ててしまうのは自然なことではないだろうか。


それにしても、わたしはハンスに対して仕事人間で素っ気ない人なのかなと思っていた。

だからまさか彼の方からプライベートな話をすると思っていなかったので驚いた。

しかしそう思っているのは当然わたしだけで。

昔からの知人である父はそんなことはかけらも思っていないので、ハンスの言葉に声を殺して笑った。


「そういう話をするのなら、敬語はよしてくれ。他に聞いている者もいないのだから」


迂闊です、お父様!わたくしがここにいます!・・・と名乗り出る訳にもいかないので、わたしは両手で口を塞いだ。

そして最大限植物に同化する。

菫色のワンピースとリボンをいかして、わたしは今だけナスになる!


「・・・せっかく敬語に慣れてきたのに、お前はすぐそういうことを言うから困る」


息を吐きながら出たハンスの声は、いつもの素っ気なさを感じないものだった。

人間味溢れる、砕けた雰囲気がある。


「俺としては、お前に敬語を使われる方が慣れないんだ」


「まあそう言うな。お互いそれぞれ立場があるんだから」


「まあ、そうなんだが・・・」


父の声もまた余計な力が入っていないもので。

わたしたち家族と話すときの話し方とも違う。

ここにきて、ようやく父とハンスが昔からの()()なのだと理解できた。


「それはそうと、改めてありがとう。弟夫婦は息子ができて相当喜んでるよ」


「それはこっちの台詞だ。立場上あの子をうちで育てるわけにもいかず、お前の弟が引き取ってくれることになって本当に良かった。・・・しかしお前はクラークのことを良く思っていなかったからどういう反応をするかと思っていたのだが。その様子だと問題は無かったか?」


「子どもと親は違う。・・・だろ?」


「ああ。そうだな・・・」


・・・沈黙。

父とハンスは黙ってしまった。

植物と同化中なので表情までは見えない。

え、何かしら。これはどういう意味?わたしが聞いていい話?

そう悩んでいると、再び二人はぼそぼそと話し始めた。


「・・・ノアは確かにあの男の子どもだがとても良い子だよ。しかし残念ながらあの子は親の愛情を全く知らない。彼らのように愛情深い夫婦の下で育ててもらえるのはこれ以上ないことだよ」


「ああ。二人は長く子どもができないことでかなり落ち込んでいたから・・・。きっと心からの愛情を注ぐだろう」


「そうかそれは良かった」


先日出した手紙に対して、まだノアから返事をもらっていない。

それでもハンスのこの言葉でわたしは安心できた。

その後は二人が他の話題に変えたようだったので、今度こそわたしは二人から離れることにした。

気づかれないように温室の奥へと移動する。

そして隅に一つ小さな椅子があるのを見つけて、そこに腰かけた。


いちご狩りの提案は後にして、一先ずは父に提案する際の作戦を練ることにする。

とは言っても、いちご狩りについて前世ではテレビで見ただけで実際にはやったことがないわたしだ。

具体的なプランは思いつかないものの、だからこそ楽しそうなイメージだけが思い起こされてワクワクしてくる。

いちご狩りと言えば、と考えて思いつくのは練乳だ。

テレビの中で練乳をたっぷりつけて苺を美味しそうに食べるタレントの姿を羨ましく思ったものだった。

練乳はいちご狩りの必須アイテムと言っていいはず。

そうなると、まずはいちご狩りを提案する前に練乳がこの世界にあるのかを確認することが必要だと思い立つ。

家に帰ったら我が家のシェフに練乳について尋ねてみよう。

無ければ似たようなものを作れば良いだけだ。

そうして練乳が用意出来たら父に提案してみよう。

食べた瞬間、父も驚くのではないだろうか。

そう考えてまた楽しくなる。


どのくらいそうしていたのか。

いちご狩り、練乳、バニラアイス・・・というように、前世のことを連想ゲームのように次々と思い出しているうち、体が温かくなってきて少しずつ瞼が重くなって。

そして―———いつの間にかそのまま眠ってしまっていた。





ガタガタと体が揺れて、その不快な揺れに目を覚ます。

そこは馬車の中だった。

座席に寝かされており、布団代わりのストールをかけられている。

向かい側には父が座っており、わたしが目を覚ましたことに直ぐに気づいたようで目が合った。


「エレノア、目が覚めたかい」


「お父様・・・わたくし・・・」


「ああ、温室で眠っていたんだよ。よく眠っていたから起こさずにレオにお前を馬車に運んでもらった。今は帰り道だよ」


外出先で眠りこけるなど、淑女にあるまじき失態だ。

しかも眠ったまま運ばれるなど・・・。

恥ずかしさに急いで起き上がると、父は笑った。


「申し訳ございません」


「気にすることはないよ」


「でも、お二人に挨拶もせず・・・」


ハンスとヘレンには申し訳なさと恥ずかしさが同時に浮かんだ。

顔に熱が宿っているのを感じる。

きっとわたしの顔は赤いことだろう。

わたしが反省していると、父はなおも笑って頭を撫でてくれる。


「いやいや、二人は気にしていなかったよ」


父はそう言ってくれるが、家に着いたらヘレンに謝罪の手紙を送ろうと決める。

礼は無いが、そこにハンスにも申し訳なく思っているという旨書いておこう。

そして次に会った時に二人には直接謝る。

今の年齢が子どもであるとは言え、精神年齢は立派な大人だ。

謝罪は大事、これ常識。

わたしがこっそりとそう考えていると、父は少し困ったように眉を寄せた。


「お前をほったらかしにしてしまったのはこちらだから、本当に気にすることはない。それよりも、連日忙しそうにしているから疲れが溜まっていたのだろう。無理に連れ出して悪かったね」


「そんなことはありませんわ。研究所には行きたいと思っていましたから、本当に嬉しかったです。また是非連れてきてください」


謝る父に急いで反論する。

気持ちが伝わったのか、父は笑顔を浮かべた。


「そういえば、お前がヘレンと手紙を交わしていることは知っていたが、まさか研究に対して助言しているなんて思わなかった。驚いたよ」


「助言だなんて・・・。一つ一つは本当に他愛のないことなのです。それこそ、思い付きです。それをお二人が検討してくださって、形にしてくださっているだけですわ」


これは決して謙遜ではない。

いくら前世の知識があってもその道の専門家であったわけではないため、わたしの話はぼんやりしたイメージでしかない。

そのイメージでしかないことを実現していっているのは他でもないあの二人なのだ。

そのことを理解しているわたしは父の言葉に即座に否定したが、父は笑顔を崩すことはなかった。


「お前がこの研究を成功させようと考えてくれていること自体が嬉しいのだよ。そしてとても誇らしい」


「ありがとうございます」

 

誇らしい、という言葉は単純に嬉しく思った。

素直にお礼を伝えて、照れ隠しにふふふと笑う。

家族の役に立ちたいと思っていたことが、少しでも実現できているのだろうか。

もしそうならばとても嬉しいし、もっともっと頑張りたいと思った。







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