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父から魔法研究所へ行かないかとお誘いがあったのは、母と教会に行った日からほんの数日しか経っていない日のことだった。
もしかしたら、母とのお出掛けがわたしにとって良いガス抜きとなったと話していたことを何処からか耳にして、男親として悔しく思ったのもしれない。
そう思うのは、わたしを誘う時の父の勢いが凄過ぎて、一緒にいた母や侍女のディアナだけでなく誘われた本人のわたしですらちょっと引いてしまう程だったからだ。
まあわたしとしても外に出たいと思っていたので断る理由などない。
喜んで誘いを受け、いつものようにレオを伴い、父と三人で魔法研究所にやって来た。
魔法研究所にはこれで三度目の訪問となる。
入口まで迎えに来てくれたのは、前回と同じくヘレンだった。
「久しぶりだねエレノア様!それからようこそ領主様」
ついでのように父に挨拶をしたヘレンは、今日も服装に気遣う様子も無くシンプルなパンツスタイルの服を見に纏い、相変わらずハキハキとキレのある動きで迎え入れてくれた。
以前父は彼女もまた貴族であったと言っていたが、例えばわたしが今日身に着けている菫色のリボンやドレープのきいた訪問着を彼女が着ることを想像することは難しい。
貴族の令嬢というよりも騎士だったと言われる方が幾らか納得できる、そんな雰囲気の人である。
でもそれが悪いという話では全く無く、周囲には例の無い存在であり、わたしはそんな彼女をとても魅力的だと思っている。
前世で言うところの宝塚のような雰囲気で、もしかしたら令嬢として暮らしている時も一部のご令嬢には大変な人気であったのでは無いだろうか。
かく言うわたしも、この訪問はただ試験や課題からの解放というのでは無く、ヘレンに会うの楽しみにしていたと言っても過言では無い。
研究所に来ない間も手紙のやり取りをしていたので、以前よりやや気安い心持ちで話ができ、道中おしゃべりをしながら研究室へと向かった。
「ハンス、エレノア様と領主様をお連れしたよ」
研究室に入るとすぐに、大量の野菜の陰からむくりと男性が顔をのぞかせた。
ハンスだ。
「やあハンス」
父が声をかけると、ハンスは表情を変えることなく「ようこそ」と答えてから、頭を掻きながらさも面倒くさそうにこちらにやって来た。
「進捗はどうかな」
父の質問に、ハンスは肩をすくめる。
「まあまあというところですね。屋上の温室で作っている分は冬の間順調でした。研究室と温室ではやはり環境が違いますね。ああそれと、お嬢様のご提案の水耕栽培についても検討しているところですよ」
ハンスの言葉に、父が私の方に振り返った。
その表情には驚きが見える。
「実はエレノア様には手紙で助言をもらってたんだ」
父に見せつけるようにヘレンに肩を抱かれる。
わたしは気恥ずかしさに視線を逸らした。
「そんなことをしていたのか・・・」
「はい。お母様にもご相談をしながら、わたくしなりにお力になれればと思って・・・。黙っていてごめんなさい」
前世の記憶を持つわたしと今世の知識を持つ土いじりが趣味な母。
この二人が力を合わせれば、そんじょそこらの貴族や魔法研究者では農業の知識は負けない自信がある。
「謝る必要はないよ。誇らしいことだ」
父は満足そうに頷いて、再びハンスに向き直った。
「しかし、そういった話があるのであればちょうど良い機会だったかもしれないな。実はね、ハンス、ヘレン。そろそろ研究所の外でこの研究を進めてみてはどうかと思っているんだよ」
「研究所の外、ですか」
「ああ。温室と研究室の二か所を使っているが、規模としてもそろそろ出来ることに限界があるだろう。それに君たちは農業の専門家ではない。今後はより広い土地で、さらには農業の知識のある者の協力を得て研究を行っていく方が良いのではないかと思ってね」
たしかに二人は農業の専門家でない。
貴族令嬢であるわたしに助言を求めるぐらいだ。
二人もそのことについて異論はないようで、お互いに目を合わせただけで相談を必要としていなかった。
父の提案に対し、ハンスが代表して頷いた。
「そのご意見に対し、否はありません。しかしそのようなご提案があるということは貴方のことだ、具体的にいろいろと決めているのでしょう」
「さすがハンスだね。その通りだよ」
父はにやりと口の端を上げた。
「マシュバートに研究協力をしてもらおうと考えている。先方に打診したところ、村長は前向きに検討したいと言ってくれた。もし君たちが良しとしてくれるのであれば、彼らの生活の保障を考えて早急に進めたいのだが、どうだろうか」
「・・・マシュバートというと、昨年災害被害により不作だった村の一つですね」
ハンスの言葉に、わたしもロン先生との学習の記憶を辿る。
確か、マシュバートというのは領内の南方に位置している内陸の小さな村だ。
村の人口は少なくしかもそのほとんどが農家。
これと言った特産品は無いが、その分、作っている作物の種類は豊富であったと記憶している。
確かに父の言う通り、今回の研究に協力してくれれば心強いことだろう。
しかしそれは昨年起きた数十年に一度という大雨により農地のすべてが浸水するまでの話。
半年以上たつ現在でも大きな被害が残っていて、満足に農業を行えない状態だったはずだ。
研究協力している余裕があるのだろうか。
そんな風に考えているうちに、父がその疑問の答えを口にしていた。
「災害の後、村からは再度耕作するまでの補償についての要望書が回って来たんだ。さっそく被害状況を見に行ったのだが、聞きしに勝るものがあった。ひとまずの物資や金銭の援助については手を打ったが、元のような生活に戻るのは直ぐというわけにはいかない。このままでは村の男衆の多くが出稼ぎに行くことになって、さらに復興が遅れてしまう可能性もあると感じたよ。特産品も無い小さな村にとって、復興が遅れればそれだけ農業で立ち直ることは難しくなるだろう。そこで今回の研究内容を思い出し、そして閃いた。この研究を村全体で協力してくれるというのであれば、領の事業として予算を割くことができるのではないか、とね。それに君たちにとっても研究が次の段階に進めるという面があるのではないかと思ったのだ」
父の話に、ハンスはふむと腕を組む。
「村民たちが良しとしてくれるのであれば、こちらは構わないですが・・・なあヘレン」
「・・・そうだね」
ヘレンも少し考え込んでから頷いた。
言葉では確かに同意しているのだが、二人の表情を見ておやと思う。
全く前向きな表情をしていないのだ。
それを見て父も不思議に思ったようで、どうしたのかと問うと、ヘレンが気まずそうに口を開いた。
「村の事業として支援して、研究が上手くいった場合ですが・・・その村はどうなりますか」
「・・・と言うと?」
父が先を促すと、今度はハンスが請け負った。
「たとえば温室の研究が上手くいった場合、そのまま温室栽培を行っていくという事になりますか」
「まあ、そうなるだろうね」
「そうなってからも領は援助を続けますか」
ハンスの質問に父は不思議そうに眉を寄せた。
「そもそも、温室栽培が軌道に乗るのであれば、それ以上の援助は必要としないのではないかな」
父の返答に、ハンスは視線を落とした。
ヘレンも困り顔だ。
二人の様子に、今度は父も表情を暗くした。
「・・・そう簡単ではない、ということなんだね」
父の言葉に、ハンスは視線を上げることなく頷く。
「温室は実用化しても広く一般的に普及するのは簡単ではないですよ、きっと」
「なぜ?」
「資金ですよ。屋上の温室一つ作るのに、私たちですら数人の魔法持ちで協力して行いました。この研究所に在籍している力の強い者が集まってやっと作れる物、ということです。もしそこそこ程度の魔法持ちであれば数十人は必要となるでしょう。あれだけの技術を使うとなるとそれなりの人と資金が必要ということです。それに作っただけでは終わりじゃない。管理もしていかなければならない。壊れれば補修が必要です。領からの援助があれば可能でしょうが、その資金を自分で払えるような農家はまずいません」
ハンスの言葉に父は言葉を無くし、大人三人は揃って溜息を吐いた。
成る程、先程からハンスが浮かない顔をしている理由はこれかと納得する。
例え温室栽培の良さが実証できたとしても、温室自体を量産できないということではあまり意味がない。
この世界の技術ではビニールハウスは無理だ。
となると、温室はガラスハウスとなるが、ガラスは高価で加工も難しい。
難しい問題だ。
暫く沈黙していると、ヘレンが控えめに視線をよこしてきた。
「エレノア様、どう思う?」
「ひぇ?」
いけない、驚いて変な声出た。
ヘレンは真剣な目をしているが、他二人は当たり前にわたしに聞くつもりは無かった様子で、困惑顔だ。
「エレノア様の考えを聞きたいな」
それでもヘレンはわたしを真っすぐに見つめてくる。
わたしはうーんと悩んでから「あくまで思い付きですが」と前置きして話し出した。
「商会を立ち上げてみるのはいかがですか」
わたしの発言にさすがのヘレンも苦い表情だ。
「エレノア様、農業の商会は例に無いよ」
そう、今この世界にある農業に関する商会は農作物を売買するものだけなのだ。
そのため、わたしのこの発想は残念ながら斬新すぎること。
それはわたしに対して好意的であるヘレンのこの表情からも十分にわかる。
前世では農業法人とかあったのに。くそぅ。
わたしはあえて視線を上げることで、心を保った。
「それは存じています。でも・・・お父様もお二人も『環境に負けない食糧の生産』を研究し、それを広めたいのですよね?」
父とヘレンは大きく、ハンスは小さく頷いた。
「研究して終わりということではないのですよね?」
念を押すように尋ねると、三人は先ほどと同じように頷いた。
わたしはそれを見て笑顔をうかべた。
「それなら、やはりわたくしは商会を立ち上げるべきだと思いますわ」
わたしの考えはこうだ。
領の事業として行うのがあくまで研究である場合、研究が終わると、村は援助を無くして多額の管理費用を自身で捻出しなければならなくなる。
例えば領の事業として温室栽培をする場合、領が温室栽培を広げていく必要が出てきてしまうが、他の事業も行なっている以上、今後はこのことが足枷となることもあるだろう。
そうなったときには、先ほどの例と同じく、しわ寄せが来るのは村民たちだ。
どちらにしても費用の全てが村民に回ってきた場合に頓挫することは目に見えている。
そこで、わたしは商会という発想に至った。
もし前世の農業法人のように、商会が上手く組織として働くことができれば領の手が離れても村民一人一人に負担が行くことは無いはずだ。
村だけで商会のような役割が十分に出来れば必要ないかもしれないが、災害被害にあってすぐである現状を踏まえると、貯えとして難しいことは想像に難くない。
それに第一、現状として村民は経営の基礎も無い状態だろうから、こちら側で商会を用意する必要があると思われる。
わたしの考えを黙って聞いていた父は考え込むように唸った。
「しかし、問題はその話に乗ってくれる貴族や商家、農家がいるかどうかだな・・・」
「もしいなければ、我が家で商会を立ち上げてみてはいかがでしょうか。組織的に農業を運営することをその商会で見せて、良しとされれば他にも検討してくださる方も出てくる・・・というのは楽観的でしょうか」
言っていて自信が無くなる。
それでも、このことが成功例となれれば、温室栽培をしようという商会が増えることも、農業の商会が他にできることもあるかもしれない。
考え方として無しではないと思うのだけれど。
わたしの提案に再び父は唸る。
そして「この話は預かろう」と一言呟いた。
それを見て、わたしはひとまずこの話は終わったと安堵の息を零した。




