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ノアが我が家から出て行ってしまってから数日、わたしたち家族はそれまでの生活にすっかり戻っていた。
父と兄は仕事に朝早くからでかけていき、母は慈善活動やお茶会にと華やかに動き回りながらも時間をみつけて趣味の庭の手入れをしている。
わたしはというと、午前はロン先生の指導の下で勉強を行い、午後はマリア先生の指導の下マナーやダンス、刺繍やレース編みを学ぶ。
夕食時にはできるだけ家族4人が揃って食卓を囲む。
わたしが勝手にノアを連れ出してからというもの、父やフローレス家に迷惑をかけてしまうと不安に思っていたのが嘘のように平和な日々だ。
ノアがいない寂しさはあるものの、新しいご両親のもとできっと幸せに暮らすのだろうという気持ちがあるので平気だ。
ノアの置かれた状況は名前も含めゲームの中とは随分変わってしまった。
ただ、ゲーム通りに進むと破滅しか待っていない我が身としてはゲーム通りである必要性を全く感じていないので、ノアが幸せならいいかという軽い気持ちだ。
ところで、クラーク男爵夫妻のことやノアのこと、クレアのことに我が家全員が奔走する中、わたしには一つの懸念事項があった。
リアム王子のことだ。
王子からはいつ頃我が家に来ればいいかと尋ねられていたのだが、現在そのことを放置した状態にある。
勿論忘れていたわけでは無いのだが、より大きな懸念事項があるのだと大義名分をかかげ、出来るだけ考えないようにしていたのだった。
しかし、相手は王族。
完全に無視を決め込むことなど出来るはずもなく。
実は両親からはしっかりと各々の予定を聞いていたのだ。
あとはわたしが王子に対し手紙を送るだけの段階まで、随分前から到達していたのだが、なかなか筆が進まずそのままになってしまっていた。
そんなある日のこと。
「ところでエレノアちゃん。リアム様はいつ頃お越しになるのかしら」
夕食の団欒で母から投げかけられた言葉は、わたしをこの上なく凍り付かせた。
カトラリーをお皿に軽く触れさせてしまい、その音がガチャリと響いた。
テーブルマナーが完璧な我が家では早々鳴らないその音により、この部屋にいる全員にわたしの動揺がわかりやすく伝わったことだろう。
「その様子だと・・・もしかしてまだ予定をお伝えしていないのかしら」
「ええと・・・はい。申し訳ございません」
珍しくピリリとした声音で詰められ、すぐさま白旗を上げた。
とはいえ、事実であるので元よりごまかすつもりは無いのだが。
素直に謝ると、母はすぐに仕方がないわねと溜息を吐いた。
わたしがこの婚約に乗り気でないことを知っている父も同様だ。
「しかしなあ、このままという訳にはいくまい。早めに手紙を送りなさい」
「そうよ。薔薇はもう咲き始めているわよ。見頃までひと月もないわ」
父と母に言われ、退路は断たれた。
王族の誘いを無碍にもできないうえ、「薔薇を見に来る」ということから見頃という期限があるのだ。
確かにあまり先延ばしにもできない。
わたしは諦めて、改めて二人の予定を確認したうえで夕食後すぐに手紙を書くことを約束した。
ジェーンにレターセットを準備してもらい、デスクに向かう。
そこに大きな箱も用意する。
この箱は木製のものでそれなりに大きいものだ。
蓋を上から乗せるタイプのもので、蓋にはたくさんの薔薇の花が彫られている。
4歳の誕生日に兄からプレゼントされたもので、なんと手作りのものだというから驚きだ。
当時兄は11歳。器用の一言だ。
4歳のエレノアにとって大好きな薔薇が彫刻されたこの箱はすぐにお気に入りとなった。
少し前まで、この箱はお気に入りのリボンや庭で見つけた綺麗な石、綺麗な絵柄の詩集などを入れていた所謂宝物入れだったのだ。
しかし、前世を思い出して精神年齢が上がってしまった新生エレノアは、すぐさま用途を実用的なものへと様変わりさせた。
さてとと小さく息を吐いてから薔薇の蓋を取る。
箱の中にはたくさんの青い手紙が鎮座している。
そう、中身は青い手紙である。
現在この箱はこれまでに届いた王子との手紙専用の入れ物となっているのだ。
届いたものの他、わたしが送った手紙の写しも入っており、それらを日付順に並べている。
神経質と思われるかもしれないが、前世と違ってメールやSNSがないため、連絡手段は手紙が主流。
うっかり手紙の管理を怠ると、手紙であふれかえってしまって、いつ、だれとどんなやり取りをしていたのかがごちゃごちゃになってしまうのだ。
特にわたしの場合、どんな簡単な手紙やメモにも写しを用意している。
そのために社交デビューよりも前の年齢の割には管理するものがすでに多く大変なのだ。
さらには最近ではノアにも手紙を送ったし、こうして今後も手紙のやり取りをする人が増えてくると思われる。
そう考えて、すべての手紙や写しを一緒に管理していたのを、最近になって人ごとに分ける方法に変えたのだ。
結果は大正解。
お手製のインデックスを作ったりして改良を重ねたこともあり、すっきりと手紙を管理できるようになった。
そして、持っている手ごろな箱の中でこの箱が一番大きく、王子からの手紙が最も多いことから必然的にこの箱で管理するようになった。
ただそれだけの話なのだが、どうもメイドたちからすると「婚約者の手紙はやっぱり特別なのね。だから宝物入れで管理しているのね」と微笑ましく見られているらしい。
決して事実ではないので、そんなものは好きに言わせておけばいいと割り切ることにしているのだが。
箱の中から二通の手紙を取り出す。
ひとつはわたしが前回送った手紙の写しで、もうひとつはその後の王子からの返事だ。
内容を要約すると、前者は「予定がわかり次第お伝えします」というもので、後者は「予定を合わせるために出来るだけ早めに教えてほしい」という内容だ。
前回の王子からの手紙からひと月程あいているので念のため内容を確認をしたが、相変わらずお互いに簡素で端的であり、ほかの話題はほとんど書かれていなかった。
ふむと腕を組む。
前回のやり取りがこれならば、自ずと今回の手紙の内容は決まってくる。
手紙が遅くなったことを詫びつつ、父と母が在宅の日程を我が家の希望日順に書き、締めに「もし万が一ご予定が合わなければご無理なさらず。花束をお送りしますわ」と書く。
封蝋をしてから「予定よ、合ってくれるな」と呪詛を呟きつつ両手を合わせて念じる。
前世の時によくやった「一生のお願い!神様仏様~」状態だ。
これだけ祈れば、そのあまりの必死さに呆れたなんらかの神様的な存在が「仕方ない、叶えてやろう」と思ってもらえるのではないだろうか。
それぐらいに真剣に祈った。
翌日朝いちばんに身支度にやって来たジェーンに手紙を託し、わたしはすっかり一仕事終えた気持ちになった。
これで返事の手紙が届くまで、暫くはこのことを忘れて過ごせる。
朝食の際に食堂で会った母にもやり遂げた旨伝え、満足していた。
しかし。
通常手紙というのは送れば返事が来るものである。
さらには今回のように日程を決めるときなどは、お互いの予定もあるために早めのやり取りがあって然るべきだ。
つまりーーーー
残念なことに達成感を感じていられるのはほんの数日のことだった。
すぐに王子からの返事が届いたのだ。
そして必死に願ったにもかかわらず、内容は「それでは第一に希望していた日程で訪れることとする」というもの。
やっぱり神様なんて信じない。
今世もわたしは無宗教よ!
心の中で大いに叫ぶこととなった。
そして更には、手紙を見た瞬間に肩を落としたことで、手紙を届けてくれたレベッカを大いに驚かせることとなってしまった。




