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ノアが引き取られることを了承すると、すぐに養父母に名乗りをあげた夫婦が我が家にやってきた。

最初に出迎える際に母とともに同席したのだが、とても優しそうなお二人でわたしはその時点ですでに好感を持った。

その後に数回にわたってノアを尋ねてくるその夫婦は、その度にわたしにも気さくに話しかけてくれた。

話をしてその人柄に触れるにつれ、わたしはこの二人であればノアに深い愛情をもって接してくれるのではないかと感じた。

穏やかな話し方、優しい表情、礼儀正しく美しい所作、そして時折二人で目線を合わせてほほ笑む様子。

どれをとってもノアの両親とは全く異なる。

貴族には珍しく政略結婚ではなく恋愛結婚だったという二人は、結婚して10年はゆうに経っているという話なのに、纏う空気が未だ新婚のように甘い。

一方で王都で中央貴族として働いているその仕事ぶりは父も信頼を置いているという。

そんな私生活も仕事も順風満帆な二人にとって、子宝に恵まれなかったことだけが唯一の気がかりだったそうだ。

二人だけの生活にも十分に満足していたが、子供が好きな妻の気持ちと後継ぎが必要な家の事情を考えて養子を検討していたところに、今回の話を耳にしたようだ。

そして父からノアのこれまでの環境を聞き涙し、自分たちが幸せにしたいと養父母になることに名乗りを上げたという。

二人は必ずノアを幸せにするとわたしたち家族に約束をしてくれた。

あとになって知ったのだが、どうもこの養父母は魔法研究所で会ったハンス氏の弟夫婦らしい。

そう聞いてからそういえば初めてハンス氏に会った時に父からハンス氏は元は貴族だったと聞いたのを思い出した。

そのくらいハンス氏とその弟は似ていなかった。

どうやら長男であるハンス氏は研究の道に進み、次男の弟が家を継いだということのようだ。

ということは、わたしの父とノアの養父は昔からの知り合いということになる。

どうりでノアの詳しい事情なんかをよく知っていると思った。

父が仕事以外でも養父のことを知っていてノアのことを任せると判断したのであれば間違いがないだろうと思う。



そうしてノアと養父母の顔合わせが数度繰り返された後、ノアは我が家から出ていくことになった。




午前中の学習時間をロン先生に早めに切り上げてもらい、わたしは自室へと急いだ。

机の上に置いていた小さな包みを手に取り、そのまますぐに部屋を出る。

目指すはこの数日の間にすっかり通うことが日課となっていたノアの部屋。

令嬢としての優雅さを考慮しつつもかなり足早に歩いていたので、すぐにはノックせずに部屋の前で呼吸を整える。

呼吸が落ち着いたところでノックをした。

返事とともに扉が開き、中からジェーンが顔をのぞかせた。


「エレノア様、どうぞ」


お礼を言って部屋に入ると、そこには着替えが終わり最後にメアリに服を整えてもらっているノアの姿があった。

怪我を負っていた足は我が家のメイドと医師の協力のもとリハビリが順調に進んだらしく、ふらつくこともなく支えもなくノアは一人で立つことができている。

いつもベッドに横になっているか半身を起こしただけの姿しか見たことが無かったので驚いて声をかけるのを忘れていると、ノアが首だけで振り返り、わたしを目にとめた。


「ああ、あんたか」

 

「ノア、貴方もう足は大丈夫なのね」


尋ねると、ノアは複雑な表情をしてから自身の足を見た。


「おかげさまで。立って歩くくらいはできるようになったよ。まだ走るのは無理だけどね」


「十分よ。良かったわ」


医師の見立てによると、立てるようになるのはもう少しかかる予定だと聞いていた。

ましてや支えなしに歩くなどまだ無理だと思っていた。


前世の医療技術と今世の医療技術はレベルが違う。

魔法研究が盛んな一方で医療に対する研究がほとんど行われていないこちらの世界の方がそのレベルが落ちることは言うまでもない。

しかし魔法研究が盛んであっても、よくあるゲームの『ヒール』なんて便利な魔法はこの世界には未だない。

そのため、ただでさえ少ない医師たちが少しずつ他国からの書物や伝聞なども用いながら細々と研究をすることでなんとか成り立っているのがこの国の医療なのだ。

我が家のようにお抱えの医師がいれば良いが、平民はお金がなくて満足に医師に診てもらうことができずにただの風邪で命を落とすこともある。

そんなこともあり、怪我の状態が酷かったノアが我が家に来たことはそういう面でも良かったと言えるだろう。


そんなことを考えていると、ノアが身支度を終えて振り返った。


「どうしたのさ、変な顔して」


どんな顔をしていたというのか。

すぐに思考を巡らせるのをやめ、目の前のノアに視線を向けた。


「何もないわ。・・・あら、その服とても似合っているわね」


ノアの服装は良家のご子息そのものといった上質な生地でありつつ、首元のリボンタイと膝丈のボトムスが6歳の子供らしさを見事に表している。

長めの白ソックスを身に着けており、ショタ属性が無くても「完璧」と言わざるを得ない出来栄えだ。

そう考えてそれはそれは良い笑顔で褒めたはずなのに、ノアは不服そうに口を尖らせた。


「そうかな。なんか子供っぽいしかたっ苦しいし気に入らないんだけど・・・」


「着なれないだけよ。その洋服はアシュトン様から?」


アシュトンというのは、新しいノアの養父母の姓だ。

わたしの質問にノアは頷いた。


「今後もこういう服を着るのかと思うと今からうんざりだよ」


「そんなこと言う割に、嫌な顔していないじゃない」


「そんなこと・・・」


否定の言葉を言おうとして、それ以上言わないところを見るとやはり本気で嫌なわけではないようだ。

わたしは安心して一つ息を吐いた。


「良い方たちよね」


「・・・そうだね。なんで僕なんかって思うけど」


静かに零れたその言葉は、不安が滲んでいる。

わたしは少し前に歩を進めてノアの近くまで行くと、ノアの右手を両手で包んだ。


「自信を持って、ノア。貴方は幸せになるわ」


まっすぐ見つめると、長い前髪の隙間からまん丸の瞳が揺れているのがわかる。

安心させるように微笑んで見せると、ノアも笑顔で応えてくれた。

わたしはそこで手をゆっくりと放した。


「ところでノア、前髪はそのままで行くの?後ろも髪が伸びっぱなしじゃない」


突然の話題変更にノアは驚いた表情をしたものの、前髪を指先で触りながら「そうかな?」と不思議そうにしている。

髪を切るとか整えるといった習慣がこれまで彼に無かったのだから仕方がないのかもしれないが、ゲームのノアを知るわたしはノアが美少年であることを知っている。

顔を隠すようなことは勿体ないと実はずっと思っていたのだ。

もしかしたら怪我をした顔を隠したいのかとも思っていたのだが、すっかり治った今となってはそれもないだろう。


「良い機会だからせめて少し整えていってはどうかしら?」


わたしの言葉に、同じようにノアの髪の長さを気にしていたらしいエミリとジェーンが一歩前に進んできた。

三人の気迫に押されたのかノアは黙って言うことを聞くことになり、鏡の前に座らされること数分。

可愛らしい顔がすっかり見える、くりくりの天パが天使のようなノアが出来上がった。


「切りすぎじゃないかな?変だよこれ、絶対」


「そんなことないわ、とっても似合ってる」


「そうです。本当によくお似合いです」


前髪切りすぎで明日学校行きたくない、と言う女子高生のようなノアに、わたしたち三人は口々に誉め言葉を口にした。

納得がいっていない様子ではあるものの切った髪を元に戻すことはできないので、最終的にはノアが折れた。


「そろそろいらっしゃる頃合いね。準備はできているの?」


「荷物は無いから、準備は僕の体一つだよ。ああ、あとはこれかな」


そう言って彼が手を伸ばしたのは先日兄の本棚から借りた魔法研究の本だった。

ノアは身一つで連れ出されたことと、もとから彼のために両親が何も買い与えていなかったこともあって他に荷物らしい荷物は無いのだろう。

着ていた服はボロボロだったので早々に処分されているし、我が家ではずっと兄のお古を着ていたのだが今後はその必要もない。


「そう。それなら、これも一緒に持って行ってくれないかしら」


わたしはそう言って徐に用意していた小さな包みを渡した。


「え、何これ?」


目の前に出したために思わず受け取ったノアだったが、驚いた様子で包みとわたしを交互に見ている。


「餞別よ。さあ、そろそろ行きましょう」


改めてプレゼントを渡すのは照れくさくて、背中を向けてそれ以上質問をされないようにした。

わたしの気持ちを汲んでくれたのかエミリとジェーンもノアに部屋を出るよう促したので、それ以上ノアから何も聞かれることなくまっすぐ玄関ホールに向かった。

その途中で既にアシュトン夫婦がやって来ていてわたしの父母と話をしているところだとレオから声がかかり、ノアは連れていかれてしまった。

そして父母とアシュトン夫婦そしてノアの五人で暫く話をした後すぐに発つことになり、あっという間にお別れの時になってしまった。

でも彼と最後に言葉は交わすことは無かった。

今生の別れではないことがわかっていたからだ。

彼もそれがわかっていたから、わたしたちはただ笑顔で別れた。

お行儀が悪いことをわかっていながら、わたしはノアを乗せた馬車が見えなくなるまで手を振り続けた。





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