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ノアと交流し始めて経ったある日、夕食に兄の姿があった。
ノアの両親であるクラーク男爵について調べるためバレル公爵領に行って以来、久しぶりのことだ。
良い知らせを持ってきてくれたらしく、食堂に入ったわたしを見た途端、笑顔で近づいてきて抱きしめてきた。
「ああ、エレノア。久しぶりだね」
「お兄様。お帰りなさい」
これほどまでに兄と離れたのは初めてのことだった。
再会を喜んでわたしも兄を抱きしめた。
暫くそうしていると母にそろそろ席に着きなさいと声をかけられ、わたしたちは離れた。
正面の両親に目を向けると、二人も心からの笑顔でいるのがわかる。
「やっぱり皆でこうして食卓を囲めるのは素敵なことね」
母が笑顔で言うと、父も頷いた。
「ウィルがこれだけ長期間外出するのは初めてだったからなあ」
「こんなに長期になるとは俺も思っていなかったよ。でも・・・成果はあった」
そう言う兄の横顔には自信が感じられる。
「成果って?」
わたしが尋ねると、兄はこちらを見てにこりとほほ笑んだ。
「クラーク男爵のこれまでの行為を実証できたんだ」
「それは、以前お父様がおっしゃっていた証人のことですか?」
公爵領でクラーク男爵の研究方法の非道さに関する証人を見つけ、連れてくることができそうだとは聞いていた。
そのことかと尋ねると、父と兄は揃って頷いた。
「それは素晴らしいですね」
わたしが心からの賛辞を送ると、父がそれだけじゃない、と話し出した。
「実はね、エレノア。すでにウィルは証人とともに魔法研究所に報告に行ったんだ」
証人を探し、連れ帰ってくるまでが兄の仕事かと思っていたので、これには驚いた。
そしてさらに父は続ける。
「そして、魔法研究所はクラーク男爵の研究の異常性を認めた」
「認めたんですか?」
思わず驚いて声を上げた。
これまでの貢献度合いを考えると、てっきり研究所は男爵を守るのかとも思っていたのだが。
「しかも、意外とあっさりさ。肩透かし食らったような気分だったよ」
兄は肩をすくめて見せた。
「研究所がもし彼らを庇って隠ぺいしようとするならば、もっと上に進言することも考えていたのだがね」
父も溜息交じりに呟く。
研究所よりも上とは何だろう。
王だろうか?
まさか、それは簡単ではないはずだが。
「そうなるとさらに長期戦になっていただろうから、本当に良かったけどね」
兄が明るい声で言う。
「そうね、これでクレア嬢に対する無茶な研究も取りやめになったし」
「クレア様・・・やっぱり無茶な研究を?」
母の言葉にわたしが反応すると、三人ともがしまったという顔をした。
三人は暫く目を合わせたあと、父が代表してわたしに向き直った。
「実はね、ノアを連れ出してから・・・クラーク男爵はクレア嬢に対する研究の頻度を再び上げていたんだ」
「そんな・・・」
わたしのせいで、クレアが。
ちゃんと考えれば想像できたことのはずだった。
それなのにわたしはそのことから目を背けていた。
なんて愚かだったことか。
「クレア様は、クレア様は無事なのですか?」
「ああ、頻度が上がったというだけでまだそれ程酷いことはされていなかったようなんだ。だからその点は安心してくれていい。ただ・・・長期化していたらどうなっていたかわからなかったのは事実だ」
父の言葉に、ホッとすると同時に嫌な汗が滲む。
皆の言うように、この件が長期化していたらと思うと怖くなってくる。
兄が証言者とともに魔法研究所に掛け合ってくれたことは、スピードの面でも良い判断だったのだろう。
「エレノアちゃんが心配するんじゃないかと思って、黙っていたのよ。ごめんなさいね」
母が申し訳なさそうに言うので、わたしは首を振った。
わたしのしでかした事でクレアが傷つく可能性に気づけば、わたしは自分をもっともっと攻めていたことだろう。
こうして解決してから知らされたのは、わたしを気遣ってのこと。
家族の優しさだと思う。
しかし、子どもだからと自分のしたことに責任を持てていないこの現状は非常に歯痒いものがある。
「ひとまずは、クレア様が無事で何よりです」
なんとか悔しさが出ないように本音を隠して、クレアが無事で良かったという表情だけを表に出した。
その反応に三人はホッとしたようだ。
わたしは気を取り直して、ほかに気になっていたことを尋ねることにした。
「クラーク男爵は今後どうなるのでしょうか」
わたしが尋ねると、父は困った顔をして母と兄に視線を向けた。
そしてその表情のまま、父は口を開いた。
「クラークはその異常性から爵位を剥奪されることになるだろう。ただ、研究を辞めさせるには彼らのこれまでの功績はあまりにも大きい。そのため、魔法研究所本部に移籍させこれまで以上に強い監視下に置いて研究を続けさせることになる予定だ」
「そうですか・・・」
爵位剥奪。
男爵になったばかりのクラークにとって、その名を汚すことになる重い処罰と言える。
ただ、貴族であることに固執していない根っからの研究者である彼らにとってはそれほどの影響はないだろう。
魔法研究所本部でしっかりとした監視下のもとで研究をするのであれば、思う通りに研究はできないものの、研究自体は続けられる。
今後も素晴らしい研究成果を出してくれれば、わたしたちの生活は良くなっていくだろう。
わたしたちにとっては悪い話ではなく、クラーク夫妻にとっても最悪の結果ではない。
落としどころとしては納得できる。
しかしこの処分は甘いと感じざるを得ない。
「後ろ盾になっていると思われるバレル公爵が守ったのか、単純に研究を続けてほしい魔法研究所が妥協案として提示しただけなのか・・・。正当な処分である可能性も否定できないが、実際のところは不明だ。ただ、クラークの研究に対する異常なやり方については明るみになった。爵位剥奪という話題性からもこれまで程自由にできないのは確かだと思うのだが・・・」
「魔法研究所の本部に行くのなら、今後の彼らの動向は私たちにはわからないことだものね」
この言葉から、父も母もわたしと同じ気持ちなのだろうとわかる。
苦虫を嚙み潰したような顔をしているわたしたちに対し、兄は明るい顔をしている。
「みんなそんな顔をしないでよ。それよりも、エレノア。お前が心配していたことも解決したからな」
「心配・・・とは?」
ありすぎてどのことかわからず首を傾げると、兄は仕方がないなあと苦笑した。
「まずはお前がノアを連れ出した事。正当な理由で我が家が保護したと認められた。これはまあ、すぐに父上が対処してくれていたからなんだけど」
その言葉にはっとして父を見ると、父も苦笑している。
「ノアの状態があまりにも酷かったから、領主として行動を起こしただけだと主張しただけだよ。ノアを虐待していたことはクラーク夫妻も認めたから、我らが咎められることはない」
良かった。
ただ、この結論に至るまでには父が必死に奔走したことは間違いないだろう。
「それと、ノアのこと。クラーク夫妻に子供を育てる能力がないことは証明されたから、彼は今後両親と住む必要は無くなった。もう虐待されることはないよ」
「それは良かった・・・ですけど。今後ノアはどうやって暮らしていくんでしょうか」
一瞬喜んだものの、現実的な疑問が生まれて表情を曇らせた。
我が家にいてもらってもいいとわたしが思っても、フローレス家としてそれが出来るかは別の話だ。
それにノアの希望もある。
まさか虐待していた両親と今後も住みたいと考えているとは思えないが、そのあたりの話をノアから聞いたことは無いから真意はわからない。
「それについても解決済みだよ」
わたしの困惑をよそに、兄はほほ笑んだ。




