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お茶の後、ロン先生と入れ替わりでマリア先生が部屋にやって来た。
今日はロン先生はもとより、当然マリア先生の授業の予定は無かったのだが、ロン先生の授業が早く終わってしまったために急遽母が呼び寄せたのだろう。
ロン先生は当家に住み込みなのである程度の融通が利くのだが、マリア先生はご家庭があるためわたしの指導のために通ってくれている。
そのため、このように空いた時間に突然予定を入れるのは難しいはずだというのに、申し訳ない限りだ。
これまでにもわたしの我儘でこういったことはあったと思うのだが、そのときにはそのことが当然だと勘違いしていたために申し訳なさなど感じていなかったことに更に恥じ入る思いだ。
「エレノア様、ご機嫌麗しゅう」
マリア先生はいつものように灰色の髪をすっきりと後ろで纏めており、落ち着いた灰茶色のドレスで静かにわたしの目の前まで歩を進めたあと、美しい淑女の礼をとった。
わたしも同じく淑女の礼を返す。
王子と会った時はあまりの衝撃に立ち尽くしていたわたしだが、マリア先生から侯爵令嬢としての立ち居振る舞いとして礼と挨拶は一番最初に繰り返し教えてもらったことなので、実はすでに身体に染みついている。
「マリア先生。何日もお休みしてしまい、申し訳ございませんでした」
「いいんですよ、それよりも・・・」
視線をわたしの足元から頭のてっぺんまで数回往復してから、マリア先生はふうと一息ついた。
「エレノア様、なんだか人が変わったようですわね」
「えっ・・・」
人は変わっていません。前世の記憶を思い出しただけです。
なんてもちろん言えないので、わたしは黙ってマリア先生を見つめ返した。
「立ち姿も礼も、形としてはできています。それはこれまでもそうでしたね。ただ、これまでにあった威厳が感じられませんわね」
6歳にして威厳がある立ち姿とは・・・ただ偉そうだっただけでは?とは言えまい。
今では特段自分が凄いのではないのに周囲に持て囃されていただけであることも、そのことが後に終わりを告げることも知っている。
前世のゲームの知識は、自分という存在がいかに取るに足らないのかを認識するのに十分だった。
それに、今が侯爵令嬢でも赤ん坊から数えてもたった6年のことだし、前世は30年以上庶民だったのだから、どちらが染みついているかは考えなくてもわかる。
「威厳・・・ですか?」
顎をくいっとあげて上から目線をしてみたら偉そうに見えるのかしら。
それとも相手を睨みつけるとか?
前世を思い出す前の自分の振る舞い、ゲームの中のエレノアの立ち姿を思い正して頭を抱える。
うんうん唸っていると、マリア先生がクスリと笑った。
「エレノア様違いますわ。そのことが悪い、と申し上げているのではありません」
マリア先生に促され、椅子に腰かける。
座る姿すらも背筋が伸びていて美しいマリア先生は、前世を思い出す前から憧れの存在だ。
自然と背筋が伸びる。
「エレノア様はこれまで瞳に自信を宿しておられました。でも今はそれが感じられません。ともすれば、不安や戸惑いを宿しているように感じますわ」
さすが、としか言えない。
黙っているとマリア先生は続けた。
「王子の婚約者となられるのですから、威厳は必要なものであると考えます。でもまだあなたは幼いのですから、そのことが負担となってこれまでの自信を失われてしまったのかもしれませんわね」
やっぱりマリア先生も、王子の婚約者を前提としているのね。
不安や戸惑いの理由は違うものの、マリア先生の言葉は納得できるものがある。
確かに将来王妃となるのであれば威厳は必要だろう。
「ただこれまでのエレノア様は、いささか自信があり過ぎるきらいがございました。これからあらためて淑女としての振る舞いを覚え、あらたに内面からにじみ出るような自信をつけてまいりましょう」
つまり、これまでは根拠のない自信に満ち溢れる傲慢な子どもだったが、今後はしっかりと淑女としての振る舞いを学び、本当の意味での威厳を纏わせよう、ということね。
マリア先生は礼儀作法を指導してくださることから、わたしの周囲の大人の中でも厳しい方だ。
それでもはっきりと否定されたりはしないのだけど。
ゲームの中のエレノアは大いに偉そうであったものの、たしかに侯爵令嬢として十分な立ち居振る舞い、言葉遣いではあったように思う。
それはひとえに、マリア先生がしっかりと教えてくれたからではないだろうか、と推測してみる。
破滅フラグ回避いかんに関わらず、貴族としてこの世界で生きている以上、礼儀作法や立ち居振る舞い、言葉遣いをしっかりと学ぶことは大切なことだ。
さらには、将来的にもし破滅フラグを回避できたとして、マリア先生のように家庭教師なんてできれば、わたしでもなんとか生きていけるような気がする。
こんな中でも前向きにそう思わせるほど、マリア先生の立ち居振る舞いは完璧なのだ。
マリア先生のご指導の下、立派な淑女となろうと改めて心に誓った。




