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クラーク邸は中も掃除が行き届いていなくて埃っぽく、昼間だと言うのに薄暗かった。
人の気配はなく静まり返っているところを見てもやはり使用人はいないようだ。
使用人がいないのであればこの家の警備は不完全。
万が一に半刻経過した時にレオやジェーンが侵入するとしても容易かもしれない。
そのことがわたしを少し安心させた。
わたしはクラーク夫人の案内で応接室に通された。
「こちらでお待ちください」
そう言ってクラーク夫人が部屋を出て行ったことで、やっと一息ついた。
一人でクラーク邸に入るなんて家族が知ったら怒られそうだと思いつつもノアの様子がわかるかもしれないという期待と緊張でドキドキしている。
手持ち無沙汰で部屋をぐるりと見回す。
部屋も埃っぽいし調度品も磨かれた様子がない。
普通であれば人を通す部屋であるのだから少しは綺麗にしておくものだと思うが、普段人を迎え入れることが無いのだろう。
壁に掛けられた絵なんかを見たりして暫く待っていると、扉が開く音がした。
振り返るとそこにはクラーク夫人だけが立っていた。
手にはティーセットを持っている。
イスを勧められ、腰を下ろすとお茶を出してくれた。
お茶を飲む気にはならなかったが、クラーク夫人が射るように視線を向けてくるので、お礼を言って唇を濡らす程度に口を付けた。
落ち着いたところで、正面に腰かけるクラーク夫人に問いかけた。
「ノア様は?」
その疑問に、クラーク夫人はにやりと笑みを返した。
「ノアは貴方にお会いしないと言っていました。それよりも、せっかく来たのですから少し私とお話しませんか?」
その笑みがあまりにも不気味で、わたしは手が震えるのを感じた。
「わたくしはノア様に会いに参りましたので・・・。なぜお会いできないのでしょうか」
「理由は言えません。そんなことよりも私とお話しましょう」
やはりクラーク夫人も光の魔法持ちであるわたしに並々ならぬ興味があったのだろう。
一人になるべきではなかった、と思ったが既に遅い。
わたしは立ち上がって、部屋の外に向けて声を上げた。
「ノア!ノアー!!会いに来ました!出てきてください!!」
突然の大きな声にクラーク夫人は驚いた顔をしたが、言っている内容は友人に会いたがっているというものなのでそれ程意に介さなかったようだ。
「大きな声を出しても、会わないと言っていること自体は変わりませんよ」
余裕の笑みを浮かべている。
「ノア!!ノア!!」
続けて声を上げ続けると、遠くの方からガシャンと何かが割れる音が聞こえた。
これに反応したのはクラーク夫人の方だった。
先ほどまでの笑みが嘘のように顔を歪めている。
「今の音は・・・?」
「窓が開いていて、風で何かが割れたのでしょう」
静かに言うクラーク夫人は、冷たい瞳をしている。
わたしはこれまでとは違った意味で恐怖を感じた。
瞬間、ここからすぐにでも立ち去りたいという考えでいっぱいになった。
「ずいぶん風が、強いんですね」
顔が引きつる。
「ええ、そうですね」
さっきの音はノアではないかと思う。
直ぐにでも逃げたい、でもノアがいるのであれば様子を確認したい。
どうしたものかと考えるけど、考えが纏まらない。
そうしている間に、いつの間に立ち上がったのか、クラーク夫人がこちらに向かって来ていた。
ゆっくり一歩、一歩とこちらに近づいてくるクラーク夫人が不気味で、わたしも同時に、一歩、また一歩と後ずさった。
壁に背中がついてしまって、これ以上後ろに下がることができなくなってしまった。
クラーク夫人が目の前に来ると鼻に何か甘い香りが漂ったかと思うとすぐに意識が遠のいていった。
最後に見たのは、クラーク夫人の嫌らしい笑みと冷たい瞳だった。
目が覚めると、そこは薄暗い場所だった。
起き上がろうとすると、手が引っ張られたようになってできなかった。
手首を見ると、そこには細い紐を結び付けられていた。
そしてその紐はどこかに繋がっているようで、びくともしない。
足を動かそうとすると同じように引っ張られる感覚があり、足首も紐で結ばれているらしい。
かろうじてベッドに寝かされてはいるが、大の字に紐で結ばれた状態になっているようだ。
ここがどこなのか、どのくらいの時間が経ったのか、全くわからない。
わかることと言えば、ノアに会いにクラーク邸に来てどうやら気を失ったという事実だけだ。
あのお茶に何か入れられていたのだろうか。
それともあの時漂った甘い香りだろうか。
とにかく、お付きを連れてやって来た侯爵令嬢をこんな形で捕らえるなんて、まさかそんな短慮なことをしないだろうと思っていたのだが。
クラーク夫人は思っていた以上に浅はかだったらしい。
クラーク夫人の人となりを全く知らないのに飛び込んだ自分も十分に短慮だと思うが、この際それは棚に上げる。
それよりもこの状況をどうにかする方が大事だ。
あれから半刻経っていれば、ジェーンとレオが何かしら手を打ってくれると思うが、待っているだけでもいられない。
まずは手足をばたつかせて、紐が緩まないかを試した。
結果、痛いだけで全く緩まなかった。
さてどうしたものか。
口にも布で猿轡されているので、声を出したところで意味は無い。
それに、起きていることを知られるのも得策ではない気がした。
直ぐに縄が解けないなら、次は情報収集だ。
そう思って息を潜めて耳を澄ませる。
音の情報を得るためだ。
遠くの方で声が聞こえる。
「ですから、エレノアお嬢様を連れてきてください」
「エレノア様は今日は我が家に泊まるとおっしゃっています。お引き取りを」
「いいえ。旦那様の許しを得ずに勝手にそのようなことをすることはできません。今日はお嬢様を連れて帰ります」
「ノアと遊んで疲れている様子で寝ていらっしゃるのです。このまま寝かせていれば良いでしょう」
どうやらジェーンがクラーク夫人に抗議しているらしい。
どのくらいの時間言い合っているのかはわからないが、ジェーンは焦った様子で強く抗議している。
しかしクラーク夫人も引かない。
すぐにわかりそうな嘘をつくなど、なんて大胆な人だろうか。
ある意味感心してしまう。
ジェーンが約束通り助けに来てくれていることに安堵した。
さらに、少なくともああしてクラーク夫人の気を引いてくれている間はわたしは無事だと思うこともできた。
おかげで少し落ち着いてきたので、暗闇に慣れてきた目で周囲を見回すことにした。
小さな部屋。
態勢的に床の方は見えないが、ベッドとその側に小さな椅子がある以外は何もなさそうだ。
窓はあるが分厚そうなカーテンで日が遮られている。
この部屋が何階かはわからないが外から建物を見た時に2階建てだったと記憶している。
手足を拘束している紐が解ければあの窓から出られるだろうか。
そんなことを考えていると、静かに部屋の扉が開いた。
「!!!」
突然のことに声にならない悲鳴をあげる。
暗い部屋に弱い光が差し込んできた。
それでも暗闇に慣れた目には眩しく、目を細めて見てみると、そこには青い顔をしたレオが立っていた。




