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「エレノア様、お身体はもうよろしいのですか」
ロン先生は部屋に入るなり、心配そうに尋ねてきた。
これまでロン先生に対して自分がしていた小生意気な態度を思い返して、なぜこんなに優しく気遣ってもらえるのか不思議に思う。
母もそうであったが、こんなふうに周囲が優しすぎるのも、エレノアが悪役令嬢になった要因の一つなのは間違いない。
「ええ。何日もごめんなさい。改めて今日からまたよろしくお願いいたします」
「そ、そんな、エレノア様!!こちらこそよろしくお願いします」
6歳らしからぬ言葉とともに深々と頭をさげるわたくしに、ロン先生は驚いているようだ。
母と同じく、これまでのわたしの態度と全く変わっていることが大きな衝撃なのだろう。
これまでが酷すぎるから致し方ないのだが。
「ちょっと思うところあって、これまで以上に勉学に励みたいと思っておりますの」
「なるほど。そうでしたか」
納得した様子で何度もうなずき、ロン先生はにこりと笑ってさっそく勉強に取り掛かった。
おそらく、ロン先生はわたしが王子の婚約者にという話があることをご存知で、未来の王妃となるためにこれまで以上に頑張ろうとしているのだと考えたのだろう。
実際は違うのだが、そのことをロン先生に言えるはずはないし、言う必要もない。
わたしは黙ってテキストを開き、先生の言葉に真剣に耳を傾けた。
以前のわたしが学ぶことが嫌いでなかったとはいえ、普通の6歳である。集中力が続かないのが普通だ。
でも今は違う。
前世では大学を出てOLをしていた。死因などは覚えていないが、前世最後の記憶は今の母と同じアラサーだった。
精神年齢はすでにもう十分すぎるほど大人である。
当然6歳よりは集中を持続することもできるし、異世界であっても数字の概念が一緒であったので子どもが学ぶレベルの算術など正直言って容易かった。
さすがメインの悪役令嬢、基礎スキルは高いようで、物覚えも良い。読み書きはすでにマスターしていた。
そういえば部屋に引き籠ってゲームの内容を書き出すとき、こちらの世界の言葉で書いていた。
無意識だったから、今気づいたのだが。
ロン先生もわたしでさえも思ってもいなかったスピードで今日の勉強が進み、今日一日で休んでいた数日分を取り返すどころか、先生が今日用意してくれていた教材の全てを終わらせてしまったため、昼食を挟んでも昼過ぎには今日は教わることがなくなってしまった程だった。
「エレノア様、今日は素晴らしい集中力でしたね。驚きました」
「ありがとうございます」
「さて今後の指導についてですが、どうしましょうかねぇ」
やることがなくなったため、少し早めの休憩としてお茶を飲みながら、ロン先生と今後の学習内容について話そうということになった。
これまでの進め方では満足できないことが明らかだったため、有難いことにわたしの要望を聞いてくれるというのだ。
窓を開けているため、風が入ってきて気持ちが良い。
弱い風がふわりとロン先生の長い前髪を揺らす。
瓶底眼鏡と長い前髪でロン先生のお顔はよくわからないが、意外と若いのではないかと思う。
兄の家庭教師もしていたとのことだけど、母とおなじぐらいかしら。
そんなことを考えていると、ロン先生が思案して組んでいた腕をほどき、さてと呟いた。
「エレノア様は読み書きはもとより問題なかったのですが、今まで苦手としていた算術も見事にクリアされましたね。もっと難易度を上げていくことを提案します」
「はい」
「語学については隣国の中でも大国の言語だけでよいと思っていましたが、今後のお立場を考えると、他にも数か国語マスターすべきでしょう」
「・・・はい」
ロン先生は王妃を前提にしているのだろうけど、わたしは破滅フラグの国外追放を想定している。
どこの国に追放されるのかゲームでは明かされていなかったため、多くの言語を知っていて損はないだろう。
先生の提案は願っても無いことだというのに、追放のことを思うと自然と返事が暗くなる。
「それに、我が国の歴史や政治についてはもう少し先の予定でしたが、それらも同時に始めていきましょう。近隣諸国についても学ばなければなりませんし、早い方が良いでしょうからね。ほかに何か興味があるものや、学びたいことはありますか」
「いいえ、わたくしはまだまだ基本ができておりませんもの。まずは先ほど先生がおっしゃたことを頑張りますわ。今後わたくしがどんな立場に立たされたとしても、得た知識や教養はチカラですもの。これまで以上に集中して学びますので、できるだけ多くのことを教えてください」
わたしの要望は奇しくも王妃を目指す教養に一致していたようで、ロン先生の提案に異論はない。
殊勝な態度のわたしに面食らったようにしながらも、ロン先生は笑顔で力強く頷いてくれた。
どうやら今後に向けて多くの知識を得ておくという目的は、ロン先生のおかげである程度までは達成できそうで少し安心することができた。