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兄は無言で父を見ていた。
母もわたしも父を見つめた。
父は腕を組んだまま、強く目を閉じている。
「あなた・・・」
母が呼びかけた。
わたし達は父の言葉を待った。
父は暫く黙った後、息を吐いた。
「バレル公爵を探ることはできる。しかし、時間がかかるぞ。時は一刻を争うのではないか?」
父の言葉に、兄はハッとしたあと肩を落とした。
「私たちの目的はノアの救出だ。バレル公爵やクラーク男爵の悪事を証明することを優先すればそれは成せなくなるだろう」
「・・・おっしゃる通りです」
「そうは言っても、無論、お前が調べてくれたこの事実は放っておいて良いものではないと私も思う。だからこそ、気づかれて隠蔽されぬように慎重に調査したいと思う」
「はい」
「公爵・・・特に相手がバレル公爵であるのであれば、とてもじゃないが一筋縄ではいかない。焦って足元をすくわれることにならないよう、慎重に行動することが求められる相手だ。我が家は領主でもある。領主の行いは領やその民にも影響する。その重みを持って私達は生きねばならない。そのことを領を治るものとして常に念頭に置かねばならないのだ」
父の言う事は領主としては至極全うだ。
だからこそ、兄は何も言えない。
兄も父も唇を引き結んで苦々しい表情をしている。
その表情から、わたしは頭を殴られたような衝撃を受けた。
父も兄もわたしよりも事情がわかっている分、知っているのにすぐには動けない分、より辛いのかもしれない。
そう考えて、涙を拭って無理やり止めた。
わたしには父と兄の前で泣く権利はない。
父の発言のあと、暫くわたしたちは皆沈黙した。
その沈黙を破ったのは母だった。
「せめてノアが今どんな状態かだけでもわかればね・・・」
母が溜息をつきながら呟いた言葉に、最初に反応したのは兄だった。
「そうだね。俺の取り越し苦労で、実は今は虐待を受けていないかもしれないし」
兄の言葉は楽観的過ぎてここにいる誰もが同意しかねるものではあったが、誰もがそうであれば良いと思うものでもあった。
何か手は無いかと考えていて、ふと、わたしにもできることがあると感じた。
「あの・・・」
それまで黙っていたわたしが発言したことで、三人の視線が集中した。
「ノアの様子をうかがうのであれば、わたくしが適任かと」
「どういうことだ」
父の鋭い視線に少し気圧されたが、わたしは思い切って発言した。
「わたくしがクラーク邸に出向いてノアの様子を窺いますわ」
「どうやって?」
兄の質問に、わたしは落ち着いて答えた。
「わたくし、ノアとは面識がございます。年齢も近いですし、友人としてノアを訪ねますわ」
わたしの発言に、兄は眉を顰める。
「正攻法で正面から行くってことか」
「はい」
答えると、兄は腕を組んで考え込んだ。
「ノアに会わせてもらえるのであれば少なくとも様子がわかりますもの。もし元気であれば、お兄様のおっしゃるようにクラーク男爵が心を入れ替えているということになります」
「会わせてもらえなければ・・・?」
「そのときは、最悪の状況を考えなければいけないな」
「・・・はい」
わたしはそうでなければ良いと思いつつ、父の言葉に頷いた。
「しかし、クラーク男爵は光の魔法持ちであるお前に興味を持っている様子だった。夫人がそうではないとは言い切れない。みすみすお前をそんな所に行かせたくはないがな」
「そうだよ、訪ねるだけなら教会の子どもたちにお願いしてもいいじゃないか」
父や兄の発言は最もだ。
わたしだってクラーク男爵のあの嫌な視線は覚えている。
先ほどの兄の話から、クラーク男爵の研究方法に良い印象も無い。
本来ならば近づきたくはない。
でも—————
「でも教会の子どもたちでは身分の違いから会うどころか玄関先で帰されてしまいますわ。その点わたくしであれば無下にはされないのではないでしょうか」
わたしの言葉に、父が考え込んだ。
もう一押しだ。
「当然一人では参りませんわ。誰かを伴って出かけます。この件はわたくしが持ち込んだ話。わたくしにも何かさせてください」
わたしは誠心誠意伝えるために父の目を見てから、頭を下げた。
父に決定権があるため、母や兄は父の発言を息を詰めて待っている。
そして暫くして、父が溜息を吐いた。
「わかった。でも決して無茶をするんじゃない。ノアを訪ねるだけだ。約束してくれるね?」
「はい」
わたしは笑顔で答えた。
「事前の手紙は出さずに、明日にでもクラーク邸に行ってみますわ。抜き打ちの方が虚を付けますから」
わたしの言葉に対し母と兄は何も言わなかったが、父だけが頷いてくれた。
心配そうにしている母に、父が微笑みかけた。
「付き添いにはレオとジェーンを付ける。エレノアは賢い子なんだ、無茶はしないさ」
そう言われると、無茶はできない。
わたしは安心させるように頷いて見せた。
母は父とわたしを交互に見てから、少しだけ表情を和らげた。
「そうね、最近は落ち着いていたから忘れていたけど、エレノアちゃんは言い出したら聞かない子だったわよね」
無理やり納得させている様子の母には申し訳ないが、結局わたしがノアの様子を窺いに行くという事で話が纏まった。
そして、ノアの状況がどうであっても、父がバレル公爵を兄が引き続きクラーク男爵を調べることになった。
貴族として許し難い行為を行っているのであれば、同じ貴族としてそれを止めなければならないからだ。
夕食の後に随分話し込んでいたため、この時点でかなり遅い時刻になっていた。
いつもであれば、食後に少しだけ本を読んでから眠りについていたのだが、その時間はすでに無かった。
明日のことを考えて、すぐにベッドに潜り込んだ。
それでも、今日は色々な情報が一度に入ってきたことで脳が興奮状態になっていたこともあったのか、すぐには眠れなかった。




