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「続けてくれ」
父が促すと、兄はわたしたちを順番にぐるりと見てから話し始めた。
「今クラーク男爵が研究所で研究している内容は、魔力増幅についてだ」
兄の言葉に、わたしはあまりの衝撃にびくりと身体を揺らした。
その研究内容は先日クレアから聞いたものだ。
わたしの動揺に気づいた兄は視線を一瞬わたしに向けたが、そのまま話を続けた。
「近くに住む魔法持ちの子どもを研究所に呼んで研究しているらしい。自分の子どもを虐待していたクラーク男爵が子どもを研究対象としているという点で、すでに不安に感じるところではあるけど。だからこそなのか研究方法については上手く隠されていたよ。前にエレノアが、同い年くらいの子どもが研究所に出入りしていると言っていたね」
突然聞かれ、ドキリとした。
「テイラー夫人の、お子様・・・クレア様、ですね」
言うと、兄は深く頷いた。
「そう、そのクレア嬢がその研究対象だ」
これには、テイラー夫人の友人である母も小さく悲鳴を上げた。
母の様子を気にしながらも兄は続ける。
「研究は、どうやら精神的または身体的に負担となるような刺激を与えることで魔力を増幅させるというものらしい」
「刺激・・・」
つまり、ストレスということか。
わたしは研究について尋ねた時のクレアの表情を思い出した。
あの時、彼女は研究方法を「言えない」と言っていた。
暗い表情をしていた。
わたしはあの時、彼女の触れられたくない所に触れてしまったのではないだろうか。
そう考えて、改めて自分の短慮に頭が痛くなる。
「刺激すると言ってもどの程度かどんな内容かまでは分からないんだ。彼女を見るに少なくとも身体的なものでは無さそうだったけど、精神的なものは目に見えない分程度がわからないから余計に心配だよ」
「・・・このこと、テイラー夫人は?」
母は泣きそうな表情だ。
兄は目を閉じて首を振った。
「知らないと思う。少なくとも彼女は母親には言っていない。それにどうやら養母であるテイラー夫人の姉も知らないようだよ。この研究への協力はベネット男爵の一存のようなんだ」
「そう・・・」
友人であるテイラー夫人を思い、母は目を伏せた。
「そこで、ここからはまた俺の想像になるんだけど・・・」
そう前置きをして、兄は一度言葉を詰まらせた。
どうしたのかと兄を見つめると、ひとつ息を吐いてから口を開いた。
「ノアは、家で研究対象としてそういった刺激を与えられているんじゃないかな。つまり、これまでの無関心や放置といった種類の虐待では無く、別の・・・」
「なぜそう考えた?」
兄が話している途中で、父が厳しい顔で尋ねる。
「理由は二つある。一つ目は研究第一主義であるクラーク夫人が、ノアが帰ってきた時期から研究室に近づいてもいないこと。二つ目はノアがいなくなった時期から始まったクレア嬢への研究が、ノアを連れ戻した時期以降には頻度が下がっていること」
言いながら、兄はひとつ、ふたつと指を立てていった。
父は腕を組んで考え込んでいる。
重い空気の中、口を開いたのは母だった。
「つまりウィル、あなたはこう考えてるのかしら。クラーク男爵夫人がノアを研究のためと称して虐待している。他所の子には与えられる刺激に限度がある。でも自分の子なら・・・遠慮はいらない」
母の厳しい声に、兄は頷いた。
「その通り」
「そんなことって・・・」
母は自分で言ったことであるにも関わらず、兄の同意に絶句した。
「俺の考え過ぎならいいんだけどね。ただ、気になるのは・・・エレノアが会って以来ノアの目撃情報がないことだよ。恐ろしいことになっていなければいいんだけど・・・」
そう聞いて、わたしは怒りや不安といった気持ちが入り混じって涙が溢れてきた。
「なんとか、助けられないのでしょうか」
わたしは絞り出すような声を出した。
ノアのことを考えると腹が立って仕方がなかった。
クレアだって辛いに違いないと思うと苦しかった。
色々な気持ちが渦巻いて自分ではどうしようもない。
兄はわたしの涙に顔を歪ませた。
「俺も、なんとかしたい。でも簡単ではない。クラーク男爵について色々と調べたよ。金銭に関すること、研究に関すること・・・端的に言えば悪事を働いていないかってことをね。悪事を働いていることを明らかにすれば、貴族を失墜させるのに一番話が早い。でも彼は狡猾で、なかなか尻尾を掴ませない。ここまで調べて何も出ないのはかえっておかしいと思って別の方向から調べてみたら・・・どうやら男爵には研究を裏で支援している人がいるとわかったんだ」
「それは?」
「バレル公爵。この人も黒い噂が絶えない人だよ」
「嫌な名前が出たわね」
母が思わずというように呟いた。
バレル公爵は歴史ある貴族のうちの一つだ。
会ったことは無いので人となりはわからないが、以前兄から、立場を振りかざす高慢で威圧的な人物だと聞いたことがあった。
我がフローレス家より高位であるし、もし男爵の後ろに公爵が付いているとなると面倒だなと思った。
「公爵は以前から軍事に意見したりと頻繁に介入している人だったけど、息子が騎士団に入ってからはよりその頻度が上がっている。男爵の研究を軍事に取り入れる提案をしたのはバレル公爵なんだよ。ちなみに、その研究を大きく評価して爵位を与えるよう進言したのも公爵だ。こうなると2人に繋がりが少なからずあるのは間違いないと思って、公爵についても調べてみたんだ。本当は極力公爵には関わりたく無かったんだけど、今回は我が領で起きている問題だからね」
兄が肩を竦めた。
「調べると、どんどん2人が繋がっているということを確信していった。まず、男爵はずっと我が領に住んでいたとされていたが、生まれはバレル公爵領だった。それからさっき、男爵の研究に対する協力者が揃って口を噤んでいるという話をしたよね。協力者たちの多くはバレル公爵領の人間だったんだよ。その人たちは研究が終わった後にまた公爵領に戻っているんだけど、その殆どが現在は消息不明なんだ」
「消息不明?」
「そう。だからこれまで協力者たちの証言が得られなかったんだよ」
兄は溜息交じりに呟いた。
「今、消息のわかっている人を中心に証言をしてくれそうな人を探しているんだけど、正直に言ってあまり上手くいっていないんだ。男爵の研究がいかに非人道的かを公に出来れば、大きな一手になると思うんだけどね」
「そうね」
母が同意した。
「公爵の羽振りがここ数年良くなってることからも、男爵との金銭的な繋がりも考えられるんだけど、ここは俺の力では調べるのが難しくてさ。父上の力を借りようかと思っていたところなんだ」
そう言われ、父は腕を組んで考え込んだ。




