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全員が食事を終えて食後のお茶を一口含んだ頃になって、やっと兄が口を開いた。
「さて、父上にはこれまでにも何度か報告していたけど、改めて最初から話した方がいいのかな」
「そうだな、二人にも聞いてもらいたい。悪いが最初から話してくれ」
父の言葉に兄は頷いた。
「まず男爵について。元は有名な研究家夫妻だった。研究が認められて爵位を得るに至った経緯について、エレノアは知っている?」
「いいえ、恥ずかしながら詳しくは・・・」
わたしが正直に答えると、兄はにこりと微笑んだ。
「男爵は昔から夫人と共に沢山の研究を行っている。代表的なもので言うと、魔法を効果的に掛け合わせる方法が発表されたことかな。おかげで夏や冬に室内を快適に保つことが出来るようになったんだよね?」
俺は幼くて記憶は無いけど、と兄が付け加えると、母は頷いた。
「火と風、水と風の室温調整における効果的な配分を明らかにしたのがクラーク男爵だったのよね。以来、確かに季節によらずとても過ごしやすくなったわ」
成程、言うなればエアコンを開発したようなものか。
それは・・・控えめに言って素晴らしい。
「そして昨年、魔力を貯める石を発見した。それが爵位を受けるに至った直接の研究だね。これが普及すれば魔法持ちで無くても魔法が簡単に使える時代が来るかもしれない。今の魔力至上主義な世界が変わるかもしれないな。まだまだ市場には出回らないけど、既に軍事利用は計画されている」
「凄い・・・」
わたしは思わず賞賛の声を漏らした。
「そう、確かに凄いんだ。でも素晴らしいのは研究だけだよ。男爵と夫人もについては、その研究について良くない噂があるんだ」
「・・・と言うと?」
苦々しく言う兄に対し、わたしは先を促した。
すると兄は低い声で続きを話し始めた。
「クラーク男爵夫妻は研究結果以外では、良い噂を全くと言っていい程聞かない人たちなんだ。特によく聞く噂は、熱心な研究家であるがゆえにその研究方法が協力者を廃人にしてしまう程に過酷であるということ。男爵夫妻は人を人と思っていない、なんて言われてる。まあこれは、これまでの研究協力者が揃って口を噤んでいたから真偽はずっと不明だったんだけど」
「確かに、そんな噂を聞いたことがあるわ」
兄の話に母は渋い顔だ。
「そんな男爵夫妻だから、初めて父上からこの話を聞いた時に疑いようがないと思ったよ」
「それは・・・」
わたしが呟くと、兄はそうだとばかりに頷いた。
そして、母が不思議そうにしているが兄は説明を続けた。
「男爵夫妻はずっと子どもがいないとされてきた。でも実はいたんだよ、男の子がひとりね。エレノアが教会で会ったという男の子、ノアのことだ」
母がわたしに視線を向けてきたので、わたしは頷いた。
「先日教会に本を届けた時にノアに会ったのです。その時に彼が虐待を受けているらしいと聞いて・・・」
「父上から、エレノアがノアを助けたいと言っていることを聞いた。そして調べ始めたのさ」
「虐待って・・・?」
母はあからさまに困惑の表情を浮かべた。
「男爵夫妻はノアを放ったらかしで研究に没頭していた。そうして子育てを放棄していただだけじゃない。それどころか生まれてからずっと出生の届出が出されていなかったんだ。そのため周囲も二人に子どもがいる事を知らなかった」
「そんな・・・」
母が信じられないというように眉を寄せた。
わたしもノアを思って胸が苦しくなった。
「それでも生まれてから暫くは同居していたクラーク夫人の母がノアの世話をしていたらしい。でもその人は数年前に亡くなって・・・ノアの面倒を見る人がいなくなった。元から研究、研究というふたりだったから、そうなったからといって生活は全く変えなかった」
そして本格的にノアは放っておかれるようになったということか。
「世話をしていたノアの祖母には友人がいた。その人に話を聞くことができたよ。その方は唯一、祖母からノアの存在を聞いていたみたいだ。祖母の死後からずっとノアのことを心配していたけど、他所の家庭のことだからでしゃばることができず、これまで何も出来なかったと言っていたよ」
「そう・・・」
相槌をうつ母に力はない。
「クラーク邸のご近所に聞いた話なんだけど。いつもは人の気配すらないくらいに静まりかえっているクラーク邸から、大きな怒鳴り声と何かが壊れる音がしたことがあったらしい。1年くらい前のことだけど、あまりに大きな音でよく覚えていると言っていた。ただ、その時はまた研究でもしているのかと思って特に気には留めなかったみたいだ。エレノアは、ノアが教会にいたと言っていたね。教会に現れた時期を考えると、恐らくその日にノアは家を出たんだろう」
「その音はなんだったのでしょう」
わたしが言うと、兄が頷いた。
「ノアはおそらく魔法持ちだ。その時に魔法を使って逃げたのだと思う。その日に親子でどんな話をしたのかまではわからない。でもそれまで耐えていた幼い子どもが逃げたのだから、相当のことがあったのだろうね。それまでのノアへの無関心さから、もしかしたらただ逃げたのであれば、あの家からそしてあの両親から無事解放されていたかもしれない。運の良いことにその後教会で保護されていたし、ね。・・・でも、そうはならなかった。クラーク男爵はノアを探した。そして、見つけた」
「なぜ、無関心では無くなったのかしら」
母が不思議そうに聞くと、兄は悲しそうに答えた。
「彼が魔法を使ったことによって両親は彼に興味がわいたんじゃないかと思う。逃げるために行動を起こしたことで逆に興味を持たれてしまったのだとすると、とても皮肉なことだけどね。それまで興味の無かった自分の子どもが、魔法を使えた。しかも爆発を起こすほどの大きな力。男爵が噂通りの研究家であれば、もしかしたら研究対象にでもしようとしたのかもしれない」
「そんなこと・・・」
わたしが呟くと、兄はこちらを向いて焦った表情をした。
「いや、これはあくまでも俺の想像だよ。実際のところはわからない」
「しかし、彼の人となりを考えるに、無い話では無い」
父は兄の発言に静かに呟いた。
わたしも同意見だ。
あの日見たクラーク氏の嫌らしい瞳は、わたしのことも研究対象として見ているように感じた。
「まあ、ね。とにかく、クラーク男爵はノアを見つけだして家に連れ戻した。遅ればせながら、その頃になってやっと出生の届出が出されていたよ。そうして周囲が男爵家に子どもがいるということを認識した。すでに子どもが大きかったからみんな驚いたけど、男爵はその理由を、子どもの身体が弱くて生まれてすぐに遠い親戚に預けていたため手続きができなかったと言っているらしい。相手は研究で成果を次々と出している男爵様だ。多少おかしいと思ったとしても、誰も興味本位で探る者はいなかった」
「今、ノアはどうしているのでしょう」
わたしの質問に、兄は悲しそうに瞳を揺らした。
「クラーク夫人がここ暫く家にいる。さすがに周囲に子どもがいることを認知されているため、世話をしない訳にはいかないからかもしれない。ただ、二人で一緒に出掛けたり仲良くしているという話は全く聞かないよ。ご近所さんに話を聞いても、子どもを見かけもしないらしい」
「そんな・・・」
わたしは絶句した。
兄はそこから、父に向き直った。
「ここまでが、これまでに父上に報告していた内容。そしてここからが、その後新しく調べたことだよ」




