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帰路、レオは御者の隣に乗っているため、馬車には父と二人で乗っていた。
「お父様、今日はありがとうございました」
「いやいや、却って嫌な思いをさせてしまったかな」
わたしは大きく首を振って否定した。
「いえ、お父様が領のことを考えて食料の安定的な供給を考えていらっしゃることを知ることができ、誇りに思いましたわ。それに、ヘレン様がわたくしなんかでもそのお手伝いができるとおっしゃってくださったことも、とても嬉しく思いました」
父の方を見て、にっこりとほほ笑んでみる。
「今日は魔法研究所に行くことができて、本当に良かったですわ」
「そうか。そう言ってもらえて良かったよ」
父は心からホッとしたように息を吐いた。
「ハンスとヘレンはそれぞれ、元は貴族の出なんだ。爵位を捨てて研究に進んだ口でね。ハンスはあれで私と子どもの頃からの付き合いなんだよ」
「そうなんですのね」
「不愛想なところはあるが、真面目で良い奴だ。今後もあの研究室に行くのであれば、そういう奴だと思って欲しい」
「はい」
父はハンス氏と本当に仲が良いらしい。
今日のハンス氏の態度についてフォローが入り、微笑ましく思う。
父の子どもの頃を知る人という点でも興味がある。
次に会う時はもう少し話をしてみたいものだ。
ところで、本当は思い出したくもないのだが、気になるのはクラーク氏のことだ。
最近爵位を賜った研究員。
栗色の髪。
偶然ではないだろう。
ここ最近、わたしの頭を悩ませていた『ノア』のことを思い出していた。
もしかして、ノアを虐待していた親はあのクラーク氏ではないだろうか。
「お父様、クラーク男爵ですが・・・」
「ああ・・・」
父もあまり話題にはしたくなさそうだ。
苦々しい表情をしている。
「彼はつい最近爵位を得た男爵だ。領地は持っておらず、爵位を得てもなおあの研究所で研究している。どうも爵位に興味はないらしく、使用人もなしで、ほとんど家にも帰らず研究をしているらしい」
「ご家族は・・・?」
「家族か・・・妻がいたな。一緒に研究していると聞く。あと、子どもが一人いた、か・・・?」
「子ども・・・」
ノアの顔が浮かぶ。
「ああ、夫婦揃って研究好きで有名だったから、子どもがいると最近までは聞いたことがなかったのだがな」
「もしかして、その子の名前はノアではありませんか?」
「そうだったかもしれないが・・・如何せん、あまり話題にも出ないのでな。確かではない」
渋い顔で答える父であったが、話を聞く限り、やはりあのクラーク氏はノアの父なのだろうと思う。
もしそうだとすると、まさかとは思っていたが————
ノアは攻略対象その2の可能性が高い!!
『ノア・クラーク』
栗色のクリクリ天パと色素の薄い茶色の瞳がキュートな一つ年齢が下のショタ要員。
わたしはショタ属性が無かったので、あまり思い入れが無かったが、無邪気にヒロインに纏わりつく様は私から見ても可愛らしくて悶絶ものだった。
性格は無邪気、可愛い、素直であったことから、この前に会ったノアとは印象が違いすぎて全く結び付かなかった。
それにノアという名前はこの世界ではよくある名前だし、珍しくも無い。
前髪も長くて顔がよく見えなったことも気づかなかった理由の一つだ。
しかし、名前がノア・クラークだとすると・・・。
もしあのノアが攻略対象であるならば本当はできる限り関わりたくはない。
フラグ回避のためにはヒロインや攻略対象と関わらないに限るからだ。
放っておいても、数年後にはゲームのように素直で可愛いノアになるのかもしれない。
それならば今があの状態でも問題ないのではないだろうか?
そう考えてから、あの日、教会で出会ったノアを思い出した。
そしてその後に聞いたシスターの話も。
やっぱり、放ってはおけない。
あの様子からして、ノアが今も虐待を受けているのは間違いなさそうだ。
今後ゲーム通りにいくのであれば、これから数年後には明るい表情をすることが約束されている。
でも、もしそうならなかったら?
ノアの過去についてはゲームでは語られていなかった。
こんな辛い過去があるなんて、あのゲームをしていたプレイヤーの誰が想像しただろうか。
本当にゲーム通りになるのかわからない。
今だって、ゲーム通りに進んでいるのかなんて全く分からないのだ。
それなのにシナリオを信じて良いのかしら。
ゲーム通りにならないように動いているわたし自身がゲームを信じているなんて、皮肉もいいところだ。
だからこそ、自分が正しいと思うこと、自分がしたいと思うことをしよう。
「お父様、クラーク男爵のこと、ご存知のことがあれば何でも教えてください。わたくし、助けたい方がいるのです」
「助けたい、とは・・・どういうことだい?」
真剣なわたしに、驚いた様子の父はそれでもしっかりと話を聞いてくれる。
わたしはこういった話には大人の力も必要だろうと思い、教会でノアと出会ったこと、シスターから聞いたことを詳細に話した。
「成程。確かにその話を聞くと、クラークがそのノアという少年の親であると思えるな」
「はい。今日、クラーク男爵からは・・・正直に申し上げて、嫌な印象を受けました。子どもの世話をしないのは立派な虐待ですわ。もしそれが真実であるならば、ノアを助けたいと思います」
強く主張しているうちに力が入っていたらしい。
わたしは両手をきつく握っていた。
父はわたしを落ち着かせようと頭にぽんと手を置いた。
そして優しく撫でてくれる。
「気持ちは私も同じだよ、エレノア。しかし相手も爵位を持つ者。男爵とは言え、簡単ではないだろう。ここは私に任せてはくれないか?」
「お父様・・・」
「悪いようにはしないよ。でもちゃんと調べてから動かなければね。私を信じてくれるかい?」
父は真っすぐに優しい視線をくれた。
子どものわたしが何をしても、男爵をどうにかすることは難しいだろう。
ここは父に頼ることが正解だと思う。
力がない自分を悔しく思う。
わたしは唇を噛み締めて、小さく頷いた。
「お願いします。お父様」
「うん。良い子だね」
もう一度頭を撫でてくれた。
「お前にもできることはあるよ。助けることができたとしても、ノアの心理状態はきっと不安定だと思う。お前はそのときに、ノアに優しく寄り添ってあげなさい」
「はい」
父に丸投げになることは悔しいが、確かに、子どものわたしにもできることがある。
心のケアだって大切なことだ。
家に帰って直ぐにシスターにあてた手紙を書いた。
勝手に父に頼ることになったことを詫びつつ、大人の力を借りることでより早く確実に解決できるだろうことを伝える。
そして、わたしたちはノアの心を支えようと綴った。
後日、シスターからはお礼と共に、わたしたちだけでなく、心の支えには教会全員がなるだろうと綴られていた。




