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研究室を出ると、今日の付き添いとして一緒に来ていたレオが扉の前で待機していた。
「エレノア様、どちらへ?」
「お父様のお話が長引きそうだったので、中庭で待ちます」
そう言ってから、入り口までは一本道だったのでわたしは迷わず歩き出した。
レオは少し間をおいて、どうやらわたしの後ろについてきたようだ。
わたしの警護と見張りのためだろう。
研究室内でどんなことを三人が話しているのか気にならない訳ではないが、これ以上何か聞かれてもうまく誤魔化せる気もしないし、どこまで言ってしまって良いのかもわからないので、今は立ち去るのが良い。
逃げるが勝ちだ。
入口まで戻ると、そこから、緑あふれる中庭に入れるようになっていた。
少し中に入ると、小さなベンチを見つけた。
レオがすかさずハンカチを出してくれベンチに敷いてくれたので、そこに腰かけた。
中庭は天井がないため風が抜けて気持ちが良い。
研究に疲れた人たちの憩いの場なのだろうか。
なかなか良い職場環境だな、これでコーヒーでもあれば・・・などと思いつつ、一人まったりとする。
レオは少し離れたところで気配を消して待機しているので、この広い中庭にひとり占めしているような錯覚をおぼえた。
暫くそうして休んでいると、父がハンス氏とヘレンと一緒にやって来た。
「エレノア、待たせたね」
「お父様・・・勝手にこちらに来てしまって申し訳ございません」
視察について行きたいとわたしの方から言ったにも関わらず、話の途中で離れてしまうなんて非常に自分勝手だったとわかっているので、素直に謝罪した。
しかし、父は何でも無いことだと笑った。
「いやいや、エレノアには少し退屈だったかもしれないな」
全くの子ども扱いだ。
真に子どもだから当たり前なのだが。
「そんなことは・・・」
「そんなことはありませんよ」
やんわりと否定しようとすると、ヘレンが割って入ってきた。
「エレノア様は私に素晴らしい助言をしてくださいました。子どもとは思えない知識です。今後も研究に参加していただきたいくらいです」
力強く言うヘレンに、わたしも父も面食らってしまった。
ハンス氏はそんなヘレンに対し、冷たい視線を送る。
「先ほどからそんなことを言っているが、その・・・光合成?というのは、これまで読んだどんな文献でも見たことが無い。失礼ながら、お嬢様の戯言ではないのか?」
本当に失礼だ。
しかしそう思われても仕方がないだろう。
わたしはその言葉には苦笑いを返しておいた。
父もそんな辛辣な発言に、少しムッとしながらも何も言わない。
反論したのはヘレンだった。
「何言ってるんだ。さっきは君も試してみる価値はあると言ったじゃないか」
「それはお前の提案だと思ったからだ」
「誰の提案であっても、実際、今私たちは行き詰っているのだから、やる意味はあるだろう」
「それとこれとは・・・!」
言い合いが終わらないのでおろおろしてしまう。
父は二人の言い合いに慣れているのか、間に入るつもりはないらしい。
ああ、やっぱり余計なことをしなければ良かった。
そう後悔していると、咳払いが聞こえた。
見ると、中庭にひとりの男性が入って来ていた。
「クラーク・・・」
入ってきた男性を見て、ハンス氏はあからさまに苦々しげに呟いた。
「ハンス、君のところはいつもいつも賑やかだね。でもここは皆の憩いの場、場所を弁えてもらいたい」
言葉は嫌みっぽいが、正しいので反論できない。
ハンス氏は悔しそうに唇を引き結んだ。
クラーク氏はハンス氏が黙ったことで口の端を少し上げた後、父に向き直った。
「これはこれは、フローレス侯爵。このような場でお会いできること、光栄に思います。私、ジェイコブ・クラークと申します」
丁寧に礼をしているが、自分よりも身分が上の人に対し自分から挨拶をするあたり、礼儀がわかっていない。
父はクラーク氏の態度に何も言わず、ふむと顎に手をやって思案している。
「クラーク・・・か。確か、少し前に爵位を得た研究員がいると聞いたが・・・」
「私でございます」
そう言ってにやりと笑う。
栗色の髪にひょろりと高い背でぱっと見てなかなかの美形に見えるのだが、笑い方が下品でぞっとする。
「そうか、爵位を得てもなお、研究に精を出しているのだな」
「ええ、私にはこれが天職ですから」
「ほお・・・」
父とクラーク氏の会話を、ハンス氏とヘレンは苦々しげに見ている。
わたしはなんとなく居心地が悪くて、父の傍からヘレンたちの方へとゆっくり移動しようとしたのだが、クラーク氏の視線に捕まってしまった。
「そちらはお嬢様ですか?」
「そうだ」
わたしは挨拶をせず、それどころか視線を逸らした。
なんだかまとわりつくような視線で、良い気がしない。
「光のお嬢様ですね・・・これはこれは光栄だ・・・」
ゾクリとする。
わたしは父の手にそっと触れた。
父はそんなわたしの異変に気付いたらしく、わたしを自分の体の後ろに隠した。
「娘は人見知りをしてね。挨拶をせず申し訳ない」
「いえいえ、それぐらいの年の子はそんなものでしょう」
わたしの本音に気づかずに、クラーク氏は訳知り顔で頷いた。
「ところで、クラーク男爵。そろそろ私たちはお暇しようと思うのだが・・・」
「これはこれは、お引止めして申し訳なかったですね。それでは私はこれで・・・またお会いできることを願っております」
父が遠回しに話を切りにかかったところ、クラーク氏はすんなりとそれを受けて去っていった。
クラーク氏が中庭から姿を消したところで、やっと息を吐いた。
なんて変な空気を纏った人だろうか。
気持ち悪い。
父の手を思っていたよりも強く握りしめていたらしく、手を離すと、力が一気に抜けた。
「エレノア、大丈夫かい?」
「はい・・・申し訳ございません」
「いいんだよ」
そう言って父は頭を優しく撫でてくれた。
「あいつ、本当に嫌な感じ・・・」
「そう言うな、ヘレン。あいつ今は爵位もあるし、下手したら不敬になるぞ」
小さく話すヘレンとハンス氏の様子を見るに、クラーク氏はやはり嫌な人らしい。
父はそんな二人に苦笑しながら、帰宅を告げた。
「まあ、今日はこれで帰ることとするよ。また進捗については手紙を送ってくれるかな。時間が空いたらまた来る」
「はい、領主様」
「エレノア様の助言もありますから、必ずや進展させて見せますよ」
先ほどまでの言い合いが嘘のように二人は笑顔で請け負った。
父とこの二人との関係はなかなか良いらしい。
微笑ましく思いながら見ていると、ヘレンがこちらに笑顔でやって来た。
わたしの目線に合わせてかがんでくれる。
「エレノア様、貴方もまた来てくれるかな」
真っすぐ見つめられ、父に視線を送る。
父は大きく頷いてくれた。
「はい、また伺いますわ」
「待ってるよ」
そう言ってヘレンは笑顔を向けてくれた。
これで魔法研究所に来る理由ができた。
今日の収穫としてはまずまずだろう。
ヘレンとハンス氏の研究の手助けについても、父の助けになるようだし、良いこと尽くしだ。
ただ、クラーク氏にはもう会いたくない。そう思った。




