28
その女性は、謝るわたしににっこりとほほ笑んで首を振った。
「いいえ、こちらこそ。お客様が来ることをすっかり忘れてたよ。挨拶もせずごめんね」
はきはきしたその女性は、右手を服で何度か拭ってから、スッとわたしに差し出した。
「私はヘレン。この研究室でハンスと共同研究をしているんだ。よろしく」
「エレノア・フローレスです。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
手を出して握手すると、ヘレンは屈託のない笑顔を向けてきた。
「エレノア様、ね。領主様のとこのお嬢様がこんなところに来るなんてもの好きなんだね」
歯に衣着せぬ、とはこのことだと思う。
敬語も礼儀もない。
ただ、この世界ではわたしに対して家族以外でこんな風に話しかけてくる人はいなかったので、逆に新鮮だ。
しかも、不思議と悪い気はしない。
「魔法研究所に興味がありましたの。ここの皆様の研究のおかげで、わたくしたちが快適に生活できていますもの。ヘレン様はここで野菜の栽培の研究をしていらっしゃるのですか?」
「そうだよ。ハンスが土の、私が水の魔法持ちでね。領主様の依頼の下、環境に負けない食糧の生産について研究しているんだ」
だからこんなに野菜だらけなんだよ、とヘレンは笑う。
「お嬢様からしたら、こんな土いじりなんて、考えられないでしょ」
ヘレンの表情からは嫌みであるとは感じられない。
本当にそう思っているのだろう。
わたしは首を振ってすぐに否定した。
「そんなことありませんわ。母も庭をつくるのが好きで・・・。一緒に花を植えたりしますの。そんなときには気づいたら服や手だけでなく顔にも土がついていたりしますわ」
「へえ、意外とお転婆なのかな」
にやりと笑われ、ヘレンの顔が整っているからなのか、喋り方が女性らしくないからなのかはわからないが、少しドキリとする。
「花を育ててるならさ、良かったらこの野菜たちを見て何か思うことがあったら言ってくれないかな。土や水に工夫はしてるんだけど、それだけではなかなか成果が出ないんだよね」
「そう言われましても・・・」
突然の話に、わたしなんかが役立つのかと思いつつも、もう一度改めて野菜を見る。
室内にしては、生き生きしていると思うし、十分じゃないだろうか。
周囲を見渡すと、窓は数個あるものの、日当たりはそれほど良くなさそうだ。
この世界には空調がないので、室温などはどうやっているのだろうか。
「野菜は光合成が必要だと思うのですが、日光はどうしているのですか?」
「光合成?・・・光合成って何?」
「え・・・」
光合成を知らない?
前世とこの世界では文明や知識に差があることはわかっていたが、光合成もそうだったとは思わなかった。
やってしまったと焦ったが、ヘレンはその言葉を聞かなかったことにはしてくれなさそうだ。
「ねえ、光合成って?エレノア様」
肩をがっしりと掴まれ、前後に揺さぶられる。
脳が揺れて正常な判断ができない。
「わ、わかりました。話します、話しますから揺らさないでください」
結局、そう約束するまで揺らされ続けた。
なんて強引な人。
揺れに解放され、息を整えてからわたしは期待に瞳を輝かせているヘレンに向かって「わたくしもそれほど詳しくないのですが」と前置きをした。
「植物というのは、確かに根から栄養を得ています。だからこそ、土や水は大切です。しかし、葉でも栄養が作られるのですわ。葉で空気中の必要な成分を吸収し、根から水を吸収し、そこに日光が当たることで栄養としているのです。このことを光合成と言うのです」
確か、と心の中で付け足す。
中学理科で習ったことだと思うのだが、如何せんこの世界では光合成なんて言葉を忘れて生きてきたので、正しい説明ができているか不安がある。
「へえ、初めて聞いた」
もうここまで言ってしまったので、後戻りはできないと思い、続けて話し出す。
「お二人の魔法のおかげでしっかりと栄養は取られているようですが、他にも広げていきたいのであれば、日光を効率的に得られる方法を検討されても良いかと思います。日光を受けやすい建物で栽培を行うか、日光の代わりとなるような明かりを考えられるのがおすすめです」
イメージとしては、ビニールハウスや水耕栽培の明かりだ。
実際には見たことは無かったが、テレビで見た記憶がある。
そのイメージを詳しく話してしまうのは憚られたが、それでも十分だったらしく、ヘレンは興味深そうに頷いている。
「それから、室内の環境ですが・・・。室温を保つような工夫はしていらっしゃるのですか?」
「ああ、それはしているつもりだよ。一定の温度を保てるよう、火や風の魔法持ちとも協力してるんだ」
「それはいいですね。でも、拝見していると、冬に育つ野菜と夏に育つ野菜が同じ部屋で栽培されているのが気になります。研究室をもう一つ使えるのであれば、もう少し分けられては・・・」
そこまで言って、偉そうに言い過ぎたかなと思って黙り込んだ。
ヘレンを見ると、驚いた様子で瞳を大きく見開いている。
「野菜に、季節とかあるの?」
そこからか、とわたしは脱力した。
この世界はわたしが思っていた以上に文明や知識が進んでいないらしい。
こういった研究を進めるよりも、魔法で無理やりに影響を与えてしまう方が早いのだろう。
そういえば、魔法で書き写す人がいるために印刷技術は発展していない。
風、火、水の魔法持ちがいるためエアコンなどもないし、冷蔵庫もない。
そういえば電気もない。
水だって、水道は無いので井戸からくんでくるか魔法だ。
前世の記憶が戻った時にはすでにこの世界で6年生活していたし、すべてのことを使用人が行ってくれるという便利さから、このギャップを感じることは無かった。
魔法が便利である反面、こういった影響があるのだと改めて実感した。
「野菜には旬、というものがあります。花に見頃があるのと同じですわ。旬に合わせて作りますと、その野菜本来の美味しさが出ましてよ」
「そうなんだね。エレノア様、詳しいんだね」
「そ、そんな・・・。偉そうに申し上げているだけですわ」
たくさん話してしまったことに恥ずかしさを感じた。
前世でも決して成績が良い才女だったわけではなかったはずだが、この世界ではその程度の知識でも十分に上回ってしまうらしい。
なぜそんなことを知っているのかと問われても答えられないのだから、前世の知識を話過ぎるのはあまり良くないだろう。
黙り込んだわたしに、ヘレンは微笑んだ。
「そんなことは無いよ。すごく参考になった。エレノア様の話を参考にして、さっそく改良してみるよ」
役に立てたらしいことに安堵した。
少なくとも、ヘレンにとっては有用な話ができたということだろう。
わたしたちの話が終わっても、父とハンス氏の話は終わっていなかった。
ヘレンはわたしに一言詫びてから、その話に参加しに行った。
さっそくわたしとの話をハンス氏にするためだろう。
そうなると、さすがになぜそんなことを知っているのかと問われるだろう。
そう考えるだけでなんだか居心地が悪くなってしまい、わたしはヘレンが話す前にと、入口すぐの中庭で待っていると父に言って研究室を出た。




