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教会に着くと、子どもたちが孤児院から飛び出して来て、直ぐに馬車を囲んだ。
とはいえ、馬車の近くは危ないので、後ろから神父やシスターが追いかけてきて、子どもたちをうしろに下げた。
そうして子どもたちが落ち着いてから、漸くわたしたちは馬車を降りた。
大歓迎を受けながらの訪問に商家の奥様方が驚いている。
わたしも初めての時は驚いたが、今となっては慣れたものだ。
母が行っている慈善活動は子どもたちにしっかりと伝わっているようで、誇らしさすら感じる。
「リリー様、今日は来てくれてありがとう」
可愛らしい女の子が、一輪の花を持って母の前に出てきた。
母はしゃがみこんでその子に目線を合わせ、にっこりとほほ笑んで花を受け取った。
頭を撫でてお礼を言われ、女の子は照れた顔で他の子どもたちの後ろに隠れに行った。
貴族のご婦人がこのようにしゃがみ込むなど、あり得ないことなのだろうが、母はそれを迷いなくする。
そんな様子に、奥様方は二度驚いた。
わたしと奥様二人にも、小さな子どもたちがお花を持ってきてくれる。
わたしたちは母と同じうようにしゃがんで目線を合わせたうえで、花を受け取った。
こうした歓迎を受け、母は満面の笑みで子どもたちを見回した。
「今日はみんなに本をたくさん持ってきましたよ。まずは運ぶのを手伝ってくれるかしら?」
母の呼びかけに、元気よく子どもたちが返事をして、荷馬車へと向かう。
わたしも奥様方も荷馬車へと向かい、子どもたちに本を手渡ししていく。
母は少しだけ神父と話をしてから、すぐにこちらに戻って来て作業に加わった。
本を渡し終え、教会の隣に併設されている孤児院に持って行く。
本棚にあった破れてしまった本たちを片付け、空いたスペースに新しい本を収めていく。
子どもたちは新しい本を早く読みたくてたまらないのか、そわそわしながら作業をしている。
何人かは持っている本をちらりと見ていて、それを周りの子どもに注意されている。
そんな光景は、それほど年齢が変わらないわたしから見ても微笑ましいものだ。
この孤児院にいる子どもは赤ん坊から10歳までと幅が広い。
10歳になると奉公などで出ていくほか、シスターとして残るものも何人かはいるようだ。
奉公に出るまでに養子としてもらわれていくこともあるが、大きな街に近いここはそういった話が少ないと聞いている。
そのため、将来自分で生計を立てていかなければいけない子が多いと考えられ、少なくとも読み書きは全員ができるようにとシスターが必死に勉強を教えているのだが、なかなか上手くいっていないらしい。
母もわたしもここに来ては、読み書きや算術を教えるのだが、全員にまでは手が回らないため難航しているのが現状だ。
書けなくてもいいから、せめて文字を読めるようになってほしい。
そう考えて、今回は絵本を多めに用意した。
絵本や図鑑は子どもたちに人気がある。
絵で見てわかることや、読みやすさが理由にあると思うのだが、それを有効に使って文字を読むことに慣れてもらいたいと考えている。
それに、図鑑もいろいろなことを学んだり興味を持ってもらう良いきっかけになると思い、少々高価なものなのだが、たくさん用意した。
その甲斐があったようで、子どもたちは興味を持って、いろいろな本を手に取っている。
その様子を見て、わたしと母は笑顔を向け合った。
「それでは、最初に一冊だけ、一緒に絵本を読みましょう」
母の呼びかけで、読み聞かせが始まった。
事前に一冊の絵本を選んでいた。
一匹の子猫が仲間たちと出会い、勇敢に戦って幸せになる、という可愛らしい絵本だ。
母はゆっくりと大きな声で皆に聞こえるように絵本を読んだ。
子どもたちは真剣にその本と声に集中している。
短い物語ですぐに終わってしまうのだが、子どもたちの「もう一回」があったので、繰り返し繰り返し母はその絵本を読んだ。
そうしていると、ふと、隣に人の気配を感じた。
見ると、栗色のクリクリ天パで、前髪が顔の半分まである男の子が座っていた。
これまでにわたしがこの教会に来ているなかでは、見たことが無い子だった。
最初から隣にいたかしら、と不思議に思っていると、その子が小さな声でつぶやいた。
「幸せなんて絵本の中だけだよ」
髪の隙間から辛うじて見える瞳は絵本を読む母を真っすぐ見ているもののどこか虚ろで、なんだかこちらが悲しくなる。
男の子の手を見ると強く握りしめていて痛そうな程だった。
上から手を載せて、やさしく包み込む。
「絵本の猫のように、仲間と一緒に頑張れば幸せになれるんじゃないかしら」
「簡単に言うね」
そっけなく返されて、確かにと思う。
この子にはその場しのぎの言葉ではいけない、そう感じた。
でも、と、自分のことを振り返ってみる。
前世の記憶を取り戻してから、これから起こりうる破滅への道をなんとか避けるため、フラグを回避することだけを考え続けている。
まだまだそれは始まったばかりだけれど、すでに一つ分かったことがある。
それは、自分一人で考えて堂々巡りするよりも誰かに相談した方がいいこともあるということ。
わたしにとって、その誰かは母だった。
今後も何かあれば、母だけでなく、父や兄、ジェーンたち使用人にも相談するだろう。
そうしてフラグを回避して、必ず穏やかな生活を送るんだ!!
そこまで考えて、やっぱり・・・と思う。
「考えてみたけど、やっぱり仲間と一緒に頑張るのが良いと思うわ。あなたが言うように、確かに言うのは簡単で実際に行おうとすると大変なことよね。でも一人で頑張るのは限界があるし、助け合うのが幸せへの近道じゃないかと思うわ」
「そんなの嘘だよ。じゃあ誰が僕を助けてくれるって言うのさ!仲間なんてどこにいるんだよ!」
男の子は声を荒げてわたしの手を振り払い、孤児院から出て行ってしまった。
驚いて呆然としていたが、暫くして周りを見回すと、母の読み聞かせはすでに終わっていて、みんなが思い思いに本を手に取って読んだり騒いだりしていたので、男の子の行動に気づいたものは少なかったようだ。
母に少しだけ外に行くと伝えて、遅ればせながら男の子を追いかける。
しかし、孤児院の外には男の子の姿が見えず、教会の方に行ってもいなかった。
怒らせてしまったこと、いなくなってしまったことに焦りを感じて、背中にじんわりと汗が滲んだ。
どうしよう。
そう思っていると、一人のシスターがわたしに声をかけてきた。
このシスターはさっきの男の子とわたしの様子を見ていたらしい。
「あの子は自分の家に帰ったと思います」
「自分の家、ということは、この孤児院の子ではないのですか?」
そう聞くと、シスターは言うかどうかを少し悩んだ様子だったが、暫くして、わたしを教会に誘った。




