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教会へ行く日、朝からわたしと母は準備に大忙しだった。
領内でも特に裕福な商家の奥様が朝から2人やって来たのだ。
本の提供だけでなく、どうせなら教会にも一緒に行って最後まで奉仕活動をやり遂げたいという積極的な方で、母は大喜びで今日の流れを伝えている。
その間わたしは、母と2人で行うはずだった荷馬車に本を詰め込む指示を一人で行った。
忙しく指示を出しながらちらりと母の様子を伺うととても嬉しそうで、わたしの提案が母の願いの手助けを少しでもできたのだろうと思い嬉しくなった。
準備ができて、数台の荷馬車が教会に向かって走り出した。
最後の荷馬車に続いて、わたしたちの乗る馬車が走り出す。
今日わたしたちが向かう教会は、領内で一番大きな街のそばにある。
そこは我が家から最も近くにある教会だ。
領内の他の教会に行くには荷馬車の移動時間では宿泊が必要となるため、今回は荷馬車で本と手紙だけを送り、後日母が改めて各教会に奉仕活動に出向くという予定になっている。
ちなみに、わたしはこれまでに一度も遠くの教会へは行ったことがないのだが、それは、わたしの馬車酔いを懸念してのことである。
わたしとしては他の教会にも行ってみたいと思っているのでこれまでも、そして今回も母に一緒に行きたいと申し出たのだが、許してはもらえなかった。
可能であればいろいろな場所へ行って見識を広めておきたいと思っているのだが、今回も叶わなかった。
父や兄のように馬で駆けることができれば大幅に時間が短縮できるためいろいろなところへ行くことが可能となるのだろうが、フローレス家の令嬢なのだから何かあっては困る、馬に乗る必要がないと止められているので実現するのは難しい。
やはり馬車酔いを克服する以外に方法は無いのだろう。
そういった経緯から今日の行き先も決まっていたのだが、商家の奥様方も一緒に行くのであれば、結果としてちょうど良かったと言える。
馬車に乗って揺られ始めると、すぐに奥様方の話に花が咲きだした。
話題はお互いの服やアクセサリーの褒め合いに始まり、それぞれの家の仕事の話、家族の話、噂話などであり、そこだけを聞くと前世も今世も平民も貴族も、話す内容は変わらないのだと感じるだろう。
しかし世間話と侮ることはできない。
さすが商家の奥様方、話題は王都や領内の最近の流行や他領や隣国の情勢などにも話は及んでいる。
わたしはそんな奥様方の話に積極的に参加することはせず、話を振られても笑顔で頷くぐらいであったが、そのぶん話はしっかりと聞いていた。
家からほぼ外に出ていないわたしにとって、ロン先生やマリア先生との学習時間以外で、この世界のことを知ることができる良い機会だと思ったからだ。
貴族の令嬢だからと世間知らずではいたくない。
フラグ回避には何においても情報が必要だと思うし、役立つだろう。
しかし、父も母も、兄ですら、わたしに対してあまり国や領の話をしようとはしないのだ。
だからこそ、どんな僅かな機会であっても無駄にしたくはない。
話を聞いていてまずわかったのは、商家の奥様がそれぞれガラス細工や美術品を主に販売している商会とドレスを生地から選んでオーダーできる仕立て屋のお二人だったことだ。
どちらも領内だけでなく他領や王都にも出店しているようで、手広く展開して成功している様子だ。
母は良い顧客であり、広告塔でもあるのだろう。
母との接点がわかり、成る程仲が良い筈だと納得する。
奥様方お二人に言わせると、今の国王は善政を敷いているということだ。
平和であればある程商いが上手くいくという業種であり、お二人とも、今の国王に感謝をしているようだ。
隣国との関係は、大国とは友好関係にあるものの、小国の中には緊張状態にある国もあるらしく、大きくも小さくもない我が国は大国に頼るしかない状況だということだ。
ただ、長らく緊張状態にあるため、他国と隣接していない我が領にいるとその状況を忘れがちになるとの話だった。
普段はわたしの前でそういった話をしようとしていない母も、奥様方との話に頷いたり、時には自分の意見を言ったりして、何やら盛り上がっている。
ふむふむと真剣に話に耳を傾けていると、奥様の一人、仕立て屋のテイラー夫人が穏やかに微笑みながらこちらを見ているのに気付いた。
どうしたのかと見つめ返すと、気まずそうに理由を教えてくれた。
「わたしの娘も、エレノア様と同じ年の頃でして。今は一緒に住んでいなので、なんだか娘と一緒に出掛けているような気持ちになってしまって。恐れ多いことで申し訳ございません」
「一緒に住んでいないのですか?」
家庭それぞれに事情があるものだろうに、わたしは思わずオウム返しのように疑問を口にしてしまい、直ぐにしまったと思った。
ただ、いくらそう思ったとしても口に出した後ではもう遅い。
隣に座る母に珍しく「エレノア」と小さな声で注意をされてしまい、肩を竦めた。
「いいんです、リリー様。わたしが言い出したことですもの。エレノア様をお叱りにならないでください」
テイラー夫人はそんなわたしたち親子の様子を見て、大慌てだ。
「わたしの娘は、生まれた時から強い水の魔法を持っていたんです。すでに息子が二人おりましたので、その子はわたしの姉の嫁ぎ先へ養女に・・・」
この世界ではよくある話だ。
有力な商家のなかには魔法持ちの子どもに家業を継がせる家もあるが、すでに後継ぎがいるのであればその限りではない。
言いたくないことを言わせたと思い、辛い気持ちになる。
「そうでしたか・・・」
「ああ、そんなお顔をしないでください、エレノア様。一緒に住んだり出掛けたりしていないだけで、よく会ってはいるんですよ。これから行くロアーの街の傍に魔法研究所があるのはご存知ですか?」
「はい」
「そこに子どもながらに通い詰めているようでして。わたしも様子を見に行くこともできますし、それだけでも十分に幸せだと感じています」
それを聞いて胸を撫でおろした。
それは母も同じだったようで、ころころと軽やかに笑いながら、テイラー夫人の娘が優秀であることなどを褒めつつ、上手に話題を変えていった。
魔法研究所というのは、その名の通り、魔法を研究する施設のことだ。
中央は王都にあり、ほかに分室として3か所の研究所がある。
我が領にあるのはそのうちの一つだ。
中央は魔法研究以外にも、全体の運営管理のほか、魔法学校の運営も担っている。
分室は各々で研究内容が異なっているが、大まかには、近隣の環境や取れる鉱物などの資源などを利用した研究を主としており、どこも同じである。
分室がある領は我が領を含め、他領と比べて栄えており、分室があることの恩恵に与っている。
その地の作物が実りやすかったり、細工の緻密な工芸品ができたりするなど、人の手だけでは難しいことを可能にする点もそうであるし、研究の成果である商品を作り販売することもその領が優先的に関わることができる点もそうだろう。
魔法研究所があるというだけで、その領の資金や物資は潤沢となることは間違いない。
他領の領主から、魔法研究所の増設や移転についての進言が後を絶たないのも頷けるというものだ。
ちなみに、魔法至上主義とも言えるこの世界では、魔法研究所職員になることは魔法持ちの仕事の最高峰と言われている。
わたしが後に通う魔法学校の卒業後の進路の一つは魔法研究所なのだが、倍率が非常に高いことで有名だ。
選ばれた魔法持ちのみが進むことができる進路であり、実力主義である。
それでも毎年希望者が多いのは、それだけ魔法研究所に進むことが誇りであり、名誉であるからだろう。
魔法学校に入るのはほとんど貴族であり家督を継ぐ予定の者も多い中で、研究所への希望者がそれだけ多くいる点もそのことを示している。
テイラー夫人の娘はわたしと同じくらいの年齢ということなので、6歳前後ということだろう。
その年齢で、研究所に出入りしているというのは、相当に優秀であると言える。
わたしのような珍しいとはいえ小さな魔法しか持たない者からすると、よっぽど羨ましい話だ。
しかし、魔法研究所に子どもが行くことができるとは知らなった。
少し思いついたことがあり、心の中でにやりとする。
家に帰ったら、さっそく父にお願いしなければいけないことができた。




