閑話1
その娘について父から初めて聞いたのはいつだっただろうか。
気づいた時には「お前には、婚約者にと考えている女の子がいるんだ」と繰り返し言われていた。
あまりに繰り返し言われていたからだろう、その相手と婚約し、結婚するのだと子どもながらに信じて疑わなかった。
そうなると次に気になったのはその相手がどんな女の子なのかだった。
それを聞くと父はまかた繰り返し言うのだ「聖女様と同じ光の魔法持ちだよ」と。
赤ん坊の時から読んでもらう本はほとんどが「聖女様」だった。
「聖女様」はすごい人、素晴らしい人、と刷り込まれていた僕は、それを聞く度に誇らしかった。
僕の婚約者は「聖女様」だ。
そんな相手と結婚できるなんて僕はすごい。
今考えると恥ずかしい。
相手がすごいからと言って、自分がすごいわけではない。
それでもそう考えてしまうほど僕は心から誇らしかったのだ。
初めて会う、となった日。
その日に僕たちふたりを引き合わせることで婚約を確実なものとするのだと聞き「あれ、まだ婚約者じゃなかったのか?」と混乱したのは秘密だ。
とにかく、僕は喜びと期待でいっぱいになっていた。
お忍びで父に連れられて行ったのは王都の中にある相手の家の別邸だった。
そして、案内された部屋で会ったのは、それはそれは綺麗な女の子だった。
綺麗な金色の長い髪。
真っ白な肌なのに、頬と唇は血色が良くほのかに赤い。
瞳は深い青で、真っすぐ見ると吸い込まれてしまいそうだ。
少しつり目なのも、その目の傍にあるホクロも、子どもなのにどこか大人の女性のようにも見せていた。
「聖女」のイメージがあるからだろうか。
なんだか全身が輝いて見えた。
父親同士が挨拶や紹介をしている間、緊張した様子でにこりともしていなかった女の子が、僕の名前を聞いた後、ピクリと動いた後に全く動かなくなってしまった。
よくある令嬢のドレスをつまんだ礼をしてくるかと思ったら、微動だにしない。
おや、と思ったものの、相手が王子だと聞いていなかったのだろうと自己完結した。
緊張を解してやろうとばかりに、僕は片手をだした。
王族や令嬢がしない、気軽な握手を求めてみたのだ。
もちろん笑顔での挨拶付きだ。
「君の名前はエレノアというんだね。僕はリアム。リアム・ルイ・ハワードだ」
期待していたのは、手を出して握り返してくれること、名前を名乗って初めての挨拶をすることだった。
それが、彼女の口から発せられたのは「あなたがリアム様?」という確認だ。
そしてそれ以降は白い顔を青くして立ち尽くしただけだった。
僕は落胆した。
期待していた女の子は、確かに綺麗で光って見えて「聖女様」みたいだと思ったけど、まともに会話どころか挨拶もできなかった。
「聖女様」ならもっと凛としているはずだ。
落胆した僕と、青い顔で動かない彼女を無視して、僕たちの父親は婚約の話を進めた。
僕はどうでもいいという気持ちでそれを見ていた。
それでも帰り道になって、納得がいかない思いが消え去らないため思い切って父に聞いた。
「なぜ、彼女なのか」と。僕の婚約者ということは、次の王妃になるということではないか。挨拶も禄にできないのではと王妃になどなれはしない。当然の意見のように思った。
この時すでに、僕の中には彼女に対し「聖女様」というイメージは無かった。
父は「緊張していたのだろう」と言ったきり、この話は終わりだと言わんばかりに黙った。
どうやら父の中では彼女が僕の婚約者になることは決定事項のようだった。
数日後、父から驚くべきことを言われた。
彼女の家に行って会って来いというのだ。
なぜ僕が行かなければならないのか、前回の謝罪として向こうが来るべきだと主張した。
しかしそれは聞き入れられず、もう手紙をだしたから決定事項だと言われた。
王族なのだから、婚約や結婚の相手を自分で選べるとは思っていなかった。
でも今の僕は彼女が相手では嫌だと感じている。
理由は簡単だ。彼女は「聖女様」じゃないから。
そう、僕には根拠のない自信があったのだ。
いつか理想の「聖女様」が現れる、と。
今よりももっと幼い頃から、ずっとずっと「聖女様のような人と婚約して、結婚するのだ」と信じてきたのだ。
今更それ以外の未来は無いとさえ思っていた。
盲目的になっていた。
そして、彼女に二度目に会ったあの日。
僕は嫌々連れていかれた。
彼女は前回が嘘のように挨拶や会話はまともにできた。
初めからこうであれば、ここまで嫌な気持ちにならなかったのに、と思った。
ただ、だからと言ってもう彼女のことを本当の意味での婚約者としてみることはできないと感じていた。
フローレス家の薔薇園を案内してもらった。
正直に言うと、花には詳しくない。特に興味も無かった。
彼女の説明により薔薇にもいくつかの種類があるということを初めて知ったぐらいだ。
そして、薔薇園のさらに奥に連れられて行くと、一際目を引く青が目に入った。
他が赤やピンクという暖色が多い中で、その青が珍しいことはすぐに分かった。
小ぶりだが、花弁が複雑な色合いをしていてとても美しかった。
香りも強すぎず、好きな香りだった。
彼女曰く「彼女のために作られた彼女のための薔薇」らしい。
そう考えると、色合いが彼女の瞳によく似ていた。
感想を正直に伝えると、なぜか彼女が動揺した様子をしたが、理由はわからなかったし興味もなかった。
「魔法で品種改良なんてこともできるんだな、便利だな」ぐらいに思っていた。
その後も突如彼女が黙るまではぼんやりと他のことを考えながら会話していた。
黙られるとさすがに気になって声をかけると、真剣な表情で「伺いたいことがある」という。
もったいぶるな早く言えと思って先を促すと、彼女から出た発言に驚いた。
他でもない、僕たちの婚約のことだった。
僕はその時とても傲慢な気持ちが湧いてきて、彼女から断られるのは嫌だと思ったのだ。
振られたとなっては僕のプライドと王子という立場が同時に傷つく。
それに僕が初回のあの態度に苛立って彼女のことを振る程、小さな男だと思われたくもなかった。
一番いいのは、親同士がこの婚約を解消してくれることだと思っていたが、父の態度を見るにそれは難しい。
理解した。
この婚約を受け入れるしかないことを。
そしてそれは皮肉にも、彼女が同じようにこの婚約に乗り気でないことがはっきりしたこの瞬間だった。
彼女の発言に対し、僕はさも婚約に前向きであると思われるよう答えた。
お前も諦めて受け入れるんだ、どうしようもないのだから、と思っていた。
一度納得したかに見えた彼女に、疲れたと息を吐いたその瞬間、さらに投げつけられた言葉に心の底から驚いた。
なんと彼女は「ほかにふさわしい人が現れたら身を引く」と言うのだ。
僕の心の中を見透かされたのだと思った。
「いつか理想の聖女様が現れる」
お前がそんな馬鹿みたいな夢をみていることを知っているぞ、と言われたような気がした。
だからこそ全力で否定した。
怒りで頭がおかしくなりそうだった。
いや、おかしくなってしまったのだろう。
その時、僕は恐ろしいことを思いついてしまっていた。
僕は彼女を婚約者だと思っていないが、彼女には僕を婚約者だと思ってもらおう、と。
そして、本当に「聖女様」が現れた時に彼女のお望み通りに通り切り捨ててしまおう、と。
惚れさせて、傷つけてやろう、というどす黒い気持ちが渦巻いた。
だからこそ思ってもいないことを言った。
そして僕が彼女との婚約に対し乗り気であるように装おうことにした。




