19
目がさめて寝室から主室に移動すると、ラベンダーの香りがした。
どうやらメイドの誰かが飾ってくれたらしい。
有難いけど、香りで嫌でも思い出してしまう。
「これからどうしようかしら・・・ねぇ?」
ラベンダーを指でツンと弾いてみる。
勿論答えなんて返ってこない。
昨日王子と出掛けて、帰った後は後悔しかなかった。
フラグ回避のために王子とは出来るだけ距離を取っておきたいと思っていたのに、前より親密になってしまった気がする。
手紙と今後のお誘いを了承した、あの帰り際の約束。
なぜ了承してしまったのか・・・。
あの時は直前に話が盛り上がって、気持ちが高揚してて。
腕を掴まれて、真剣な表情に動揺して。
本当に一瞬、フラグのこと忘れてた・・・。
あの時に戻って、撤回したい!
現実的に考えて、戻ったところで断るのは無理なんだけど。
せめて、手紙の頻度を減らしたり、誘いをもっと事前に言ってもらうくらいのことは言えたはずだ。
そのチャンスはあったと思う。
しくじった。
その一言に尽きる。
そうしていると、朝の身支度のためジェーンがやって来た。
「お嬢様、おはようございます」
「おはようジェーン。昨日は1日ありがとう」
「とんでもございません」
そう言って、鏡と櫛を用意してくれたので、鏡の前に座る。
ジェーンは慣れた手つきで私の髪に櫛を通していく。
「昨日は楽しく時間を過ごされたご様子でしたね」
「そう、見えたかしら」
言われて苦い気持ちになる。
特に馬車に同乗したジェーンはそう思うわよね。
再び後悔。
「はい。帰りの馬車の中など、お邪魔をしてしまっているようで・・・」
「邪魔だなんて、そんなことはないわ!!」
思わず大きな声を出してしまい、ジェーンが驚いた顔をしている。
「ごめんなさい、大きな声を出してしまって・・・」
「いえ・・・」
昨日の行きの馬車と同じような沈黙が生まれてしまった。
気まずい。
「昨日はジェーンがそばにいてくれたからとても安心して過ごせたのよ。だからそんなことは言わないで頂戴」
「過分なお言葉です」
ジェーンはそう言って、櫛を置いた。
クローゼットから今日のドレスを用意してくれるので、着替える。
今日は紺色のドレスだ。
黒いレースが縁取られており、控えめに黒で刺繍が施されている。
袖を通している間ジェーンは黙っていたが、背中のボタンを留めるため後ろに回った際に小さく息を吐いたのを感じた。
「ジェーン?」
「・・・昨日は、申し訳ございませんでした」
「何のこと?」
「私が、行きの馬車の中でも王子のようにお嬢様とお話をしていれば、馬車酔いなど・・・」
思ってもない謝罪だ。
そんなことを気にしていたとはと驚いてしまって一瞬反応が遅れてしまった。
わたしは急いで振り返ってジェーンの瞳を真っすぐ見る。
「そんなことはないわ。元はと言えば馬車酔いするわたくしが悪いのよ。それにお話をしていても酔うときは酔うのよ。だから気にしないで」
ね?と語りかけると、ジェーンは納得していない表情のままではあるが、小さく頷いた。
あの時はわたしが魔法について聞いたりしたから2人が黙ってしまうことになったのだし、結局は自分が悪いのだとわかっている。
でもそのことをここで言うと、あの時の話の内容を掘り起こすようで口には出来ない。
「ところで、あの時のお茶だけど。香りも後味もとても良かったわ。檸檬かしら?」
話題の転換を図る。
前世でも味わったことが無い味で美味しかった。
ただレモンを入れただけの紅茶とは違うみたいだから、本当に気になっていたことだ。
「はい。檸檬と蜂蜜を入れています。蜂蜜も檸檬のものを使いました。檸檬に合うように茶葉もいつもとは違う種類のものを選びました」
「まあ!とても手が込んでいたのね」
「いえ、たいしたことでは・・・」
「そんな事ないわ。それに、飲んだら酔いがとてもスッキリしたのよ。ありがとう」
わたしのことをよく考えて用意してくれていたのだとわかり、より嬉しくなった。
ジェーンに心からの感謝を伝えると、やっとにっこりと微笑み返してくれた。
「あのお茶は・・・母が昔よく作ってくれたものなんです」
「まあ、ジェーンのお母様が?」
「はい。私とレオの思い出の味なんです。だから、お嬢様のお口に合うか不安でしたが、そのように言っていただけて光栄です」
ジェーンに身支度をしてもらうようになって2年近くになるが、ジェーンの口から家族の話が出たのは初めてだった。
なにせ、レオという双子がいることも、我が家で働いていることも知らなかったのだから。
ジェーンとの距離が縮まってきているようで素直に嬉しい。
やはり毎日一緒に生活している人とは仲良くしたいものだ。
「それでは、お母様にもお礼を言わなければね。お手紙を書いてはご迷惑かしら」
調子に乗って言うと、ジェーンは再び暗い表情となった。
まずい、と思った時には遅かった。
ジェーンは暗い表情のまま精一杯の笑顔を向けてきた。
「母はもう亡くなりましたので」
またやってしまった。
口に出したことは取り消すことができない。わかっているのに・・・。
「ごめんなさい!そんな・・・知らずになんてこと・・・」
「いいんです。お礼をとおっしゃってくださったこと、嬉しかったです」
そういってもう一度笑顔を向けてくれたが、わたしの心が晴れることは当然なかった。
ジェーンとレオには何か事情があるのかもしれない。
強い力を持っているのにメイドをしていることにも何か事情があるのかしら。
気になるけれど、詮索することでこれ以上不用意にジェーンを傷つけることはしたくない。
仲良くしたいもの。
その気持ちは本当なんだから。
結局重苦しい雰囲気のままジェーンは退室し、一人残ったわたしは自分の浅はかさを恥じることしかできなかった。




