18
日が傾いてきて、気づいたら帰る頃になっていた。
結局、ラベンダーを見ている間は王子とは会話らしい会話をほとんどしなかった。
ラベンダー畑から戻ってみると、日よけや即席サロン、ティーセットなどは綺麗に片付けられていた。
「帰りは送っていこう」
王子の一言により、馬車の行列とたくさんの護衛の馬による大移動で帰宅の途につくことになってしまった。
仰々しいことこの上ないが仕方がない。
諦めて乗ってきた馬車に向かうと、迷わず王子が先に乗りこんだ。
「一緒に乗るんですか?」
「送る、とはそういうことだろう」
当然のように言われ、確かに、と思う。
でも子どもとはいえ、男女が二人きりで馬車にいるのははしたないとされるのではないだろうか。
そう考えているとうしろから「同乗させていただきます」と声をかけられた。
ジェーンだ。
「もちろん構わない」
王子もジェーンも二人きり、とは考えていないらしく少しホッとする。
クリフに手を引いてもらい、わたしも王子が乗る馬車に乗った。
王子は気を使ったのか、わたしとジェーンが隣り合うように、また進行方向を向けるように座ってくれていた。
三人で乗り込んで暫くして、馬車は走り出した。
「気分が悪くなったら構わず言え」
声をかけられ、はいと頷く。
やはり馬車酔いを心配してくれている。
そのためか、先ほどまで無言で過ごしたのが嘘のように王子から話しかけてきた。
「やはり君は花が好きなんだな」
「そうですね。花に囲まれて育ったので」
「ああ、あの薔薇は素晴らしかったな」
「ありがとうございます。秋にはまた秋の薔薇が咲きますわ。香りがより強くなってそれは素敵なんです」
「薔薇は一年の中で何度も楽しめるのだな」
好きなものの話なので、考えなくても会話が弾む。
ちなみにこの会話の間、ジェーンは隅の方に黙って座っており、気配を最大限消している。
「王子は好きな花はございますか」
「好きな花・・・か。これまで考えたことがなかった」
「きっと男の方はそうですよね」
言うと、いや待ってくれと目の間に手を出された。
腕を組んで暫く考えて、考えて、考えて。
「なんというのか、こう、大きいものは好きではない。香りが強いものも、好きな香りでなければ嫌だな」
身振り手振りをしながら一生懸命ひねり出した答えは「嫌いな花」だった。
言い切ってからそのことに気づいたらしく、いや違うんだと首を振る。
その様子がおかしくて、思わずクスリと笑ってしまった。
「なぜ、大きいものは好きじゃないんです?美しいものも多いですよ」
尋ねると、「それは・・・」と小さく呟く。
少しだけ顔を近づけてその先を視線で促すと、観念したように口を開いた。
「だって、なんだか怖いじゃないか」
理由に今度は少し声を上げて笑ってしまった。
はしたないのだが仕方ない。
恥ずかしそうに言う王子がおかしかったのだから。
「そんなに笑うことはないだろう」
「申し訳ありません。あまりに可愛らしい理由だったもので、つい」
「男に可愛いとは、失礼じゃないか」
いたずらっぽく言うと、王子はすねたように顔をしかめた。
もう一度謝ると、少し王子の表情が緩んだ。
少し話題を変えよう。
「王子がイメージしておられるのは食虫植物ではないですか?」
「食虫植物、とは?」
「その名の通り、虫を食べる植物ですわ。大きくて美しい花や良い香りで虫を引き付けて、食べてしまうんですの」
「そんなものがいるんだな。僕のイメージはまさしくソレだ」
「だとしたら、わたくしも怖いと思いますし、あまり好きではありませんわ」
「そうだろう!!」
うんうんと頷いて、納得している。
こうして話していると、表情がくるくると変わって年相応だと感じる。
拗ねていた王子が笑顔になったことで安心していたら、ふと、王子が真面目な顔でこちらを見た。
どうしたのかと、わたしも王子を真っすぐに見る。
「好きな花、のことだが」
「はい」
「この間見た『エレノア』・・・ああいう花が僕は好きだな」
瞬間、顔が熱くなった。
前に褒められたのと同じ、今回も『エレノア』の話だ。
なのに、また照れてしまった。
「ありがとうございます。母も喜びますわ」
無難に答えて、目を逸らした。
この王子、子どもとはいえ顔がいいからこういう真面目な顔で言われると普通に照れる。
「また見に行ってもいいだろうか」
嫌に静かに耳に届いた。
照れていて心が落ち着いてないからか、余計に言葉が頭に響いた気がした。
「残念ながら『エレノア』が咲くのはワンシーズンのみなんです。次は来年ですわ」
思いのほか冷たく言ってしまったが、王子は気にした様子はなかった。
しかしその内容に対して残念そうに王子は微笑む。
「そうか、では来年の楽しみにしておこう」
簡単に来年の約束をする。
婚約者なのだから、当たり前なのだけれど。
「それでは、母にしっかり育てるように伝えておきます」
「そこは自分が頑張る、じゃないんだな?」
「だって、母の方が確実ですもの」
軽口を言うと、王子は笑った。
その笑顔には年相応の子どもの無邪気さがある。
そんなふうにその後も意外と話が弾み、気づいたらあっという間に家に到着した。
馬車が止まり扉が開けられた時、王子も同じようだったようで「もう着いたのか」と呟いた。
そして、ジェーンが先に馬車を降りて、次はわたしの番となった時だった。
後ろからぐいと腕を掴まれた。
驚いて後ろを振り向くと、真剣な顔の王子。
胸がざわつく。
「今日はありがとう」
「こちらこそありがとうございました」
「ラベンダーをクリフに持たせている。受け取ってくれ」
わたしが気に入っていることに気づいていたからだろう。
いつの間に、とは思ったが素直に嬉しい。
なかなか素敵なことをしてくれる。
「ありがとうございます」
「それでは」と笑顔で帰ろうとしたが、王子は真剣な顔のままだ。
掴まれた腕が痛いくらいに、手に力が入っている。
「・・・王子?」
尋ねると、王子は弱々しい声で言った。
「エレノア嬢、また、手紙を書いてもいいだろうか」
これまでにも送ってきてるのに、突然どうしたのだろうか。
意図はわからない、が。
考えるより先に答えがすぐに口から出た。
「はい」
「では、またこうして誘ってもいいだろうか」
間髪入れず問われた。
それに対する答えも同じだった。
「はい」
思考と感情が別の動きをしていている。
言ってしまった後に「ああ違う」とすぐに思ったが、王子の嬉しそうな顔を見ているともう何も言えない。
せめて、と思いお願いを一つだけ。
「王子、毎回のプレゼントは不要です。そんなことをしなくてもちゃんと返事を書きますわ」
王子はそのお願いに、驚いた後で笑顔で大きく頷いた。
そうして、王子とわたしの初めてのお出掛けは終わった。
そう。まぎれもなくデートだった。




