獣の音
ヴァンガードはオークの中では少し浮いた存在だった
彼は幼い頃から回りの仲間達が狩りに興じている中で一人、旅の吟遊詩人の奏でる音に耳を傾けて他のオークが剣や槍の手入れをしている時には口笛を吹いて詩人の真似事をしていた
そんなヴァンガードの様子見かねた父親は帝国の軍隊に半ば無理矢理入隊させる
しかしヴァンガードは軍隊に入ってからも相変わらずいやむしろ音楽への熱意は悪化した
一日の仕事を終え軍の仲間達と酒飲む際には必ずと言っていいほど自慢の横笛を吹き酒の席を盛り上げ口癖のように引退後は詩人になるのだと言った
そんなヴァンガードの生活が変わったのは彼が人間の歳で20になる頃であった
帝歴205年の春少し早い夏の兆しが見え始めた頃
皇帝オルキスの一人娘ヴィクーリアの18の誕生日それは国中に広まった
「娘に幸福を感じさせた者を娘の婿とする」
皇帝オルキス自らの大々的な宣言
無論色々な憶測が流れる中、ヴィクトーリアの婿になろうと国のあちこち果ては他の国からも男が彼女の前に現れた
最高の料理を振る舞う者
煌びやかな財宝を捧げる者
その外にも花や舞、大道芸等で彼女に幸福を感じさせようとした
しかし―
「ありがとう どれもとても素敵なモノばかりでも皆さま申し訳ございません この胸にこの心に温かいモノはどうしても灯りませんの」
誰の言葉にも誰のモノにも誰の行為にもヴィクトーリアは幸福を感じられなかった
意気消沈で帰っていく男達の姿を見て誰かが言う
皇女は呪われていると
悪魔に心を奪われたと
魔女に感情を凍らせられたと
だから皇帝はあんな宣言をしたのだと
実際の事は分からない
しかし一度広まった疑惑や噂は早々に消えはしない
ヴィクトーリアの婿探しの話はいつの間にか彼女が呪れているという話に変わった
それはヴァンガードの仲間の中でも囁かれた
何時ものように仕事終わりの宴会の最中に仲間達がそんな陰気臭い話をするのがヴァンガードには許せなかった
それでも帝国に仕える軍人かとオークらしい怒りを感じ
何故、彼女がこんなにも酷い事を言われなければいけないのだと嘆く
ヴァンガードは不意に手元の笛に目を落とした
(そうだこんな時は好きな音楽を奏でよう)
そう思うといつもの仲間達の前ではなく一人誰もいない城の近くの湖に向かった
(今日は満月で雲もないいい景色を見ながらの音楽ならこんな気持ちも消えるはずだ)
そうしてヴァンガードは湖に着くや否や笛を吹いた
何時もの酒の席で奏でる陽気なモノではなく何処か悲しくそれでも最後には胸に温かい気持ちを宿してくれる曲を
ただこの怒り消えるようにと
ただこの悲しみが薄れるようにと
そして皇女に幸福が訪れるように願い笛を吹いた
「素敵な曲ですね」
曲を吹き終えた時にヴァンガードの耳に凛としてそれでいて優しい声が届いた
「皇女様……」
振り返るとそこにはヴィクトーリアがとても……とても幸せそうに微笑んでいた
「良ければもう一曲お聞きになられますか?」
「ええ、是非」
これは獣の人生を変えた一夜の演奏会
演奏は変わり者の獣
観客は呪われた皇女
他に誰もいない獣の音が月夜に響いた