一匹狼の親孝行サンド②
「私ね、こういう時は他の友達に目を向けるチャンスだと思うの」
ひとしきり泣いて落ち着いた私に、菓子先輩はとても意外な言葉をくれた。
「他の友達?」
なんとなく恥ずかしくて、菓子先輩の顔がまっすぐ見られない。
「こむぎちゃんのいいところを分かってくれる人は、きっと他にもいるはずよ。今までお話ししたことのなかったクラスメイトにも話しかけてみて、お友達を増やしたらどうかしら」
「それはめちゃくちゃハードルが高いです……」
「難しく考えなくていいのよ。ちょっとしたきっかけがあったら、それを逃さないこと。勇気を出してみること」
「はい……」
どうせこれ以上悪くなることなんてないんだ。もう一人ぼっちなんだし。勇気を出すことくらい、怖くない……はず。
とは言ったものの。
そもそも、休み時間は机につっぷして寝たふりをしているし、放課後はすぐに教室を飛び出してしまうし、私にはちょっとしたきっかけさえない。
気分転換に立ち寄ったピーチ通りの本屋さんで、新刊を物色しながら考える。
本を読むのはけっこう好き。読んでいる間は、自分の悲惨な状況も忘れて物語に没頭できるから。現実では友達のいない女の子でも、本の中でだったらお姫さまにも名探偵にもなれる。
恋愛小説も好きだけど、ハラハラわくわくするミステリーも好き。現実にはありえないようなファンタジーよりも、現実味のある、少し手を伸ばせば届きそうな世界観が好き。そのほうが希望が持てるからなのかな。
「あ……」
好きな作家さんの新刊が平積みになっているのを見つける。これ、ずっと文庫になるのを待っていたやつだ。お小遣いじゃハードカバーなんて買えないし、図書館で借りるより手元に置いておきたい派だ。
「あっ」
本に手を伸ばすと、隣の人と指が触れあった。きれいにネイルアートされた指と子どもっぽい私の指が、本の表紙を左右から取り合っている。
「ご、ごめんなさい」
慌てて手を離して頭を下げる。ぼうっとしていて、まわりを見ていなかった。
「いや……こっちこそ」
小説や少女漫画だと恋でも始まりそうなシチュエーションだけど、聞こえてきたのは若い女の子の声で、
「ん……?」
よくよく見ると同じ制服を着ていて、その顔には見覚えがあった。
「もしかして小鳥遊さん? 同じクラスの」
「えーっと、柚木さん?」
「あー、あたしの名前、ちゃんと覚えててくれたんだ」
「さ、さすがに覚えているよ。もう入学して二か月以上たつんだし」
「ジョーダンだって」
柚木さんはからからと快活に笑う。なんだか教室でのイメージとは違う人だ。きっかけと、勇気。菓子先輩の言葉を思い出して、思い切って話を繋げてみた。
「あの……この本、柚木さんも買うつもりだったの?」
「ああ、うん。この作家が好きで。前から気になってたんだけど、文庫になるの待ってたんだよねー」
「そうそう、私も! 文庫しか買えないけど、この作家さんの全部集めているの」
「えっ本当? あたしまだ全部は読めてないんだよね。……ていうか小鳥遊さんさ、あたしみたいなタイプが本読むのって意外だと思わないの?」
柚木さんは、髪もばっちり巻いてメイクも強めで、迫力のある美人という感じ。佇まいになんとなく威圧感があるので、不良なのかと思っていた。進学系女子高にはあまりいないタイプ。そういえば柚木さんも周りから遠巻きにされていて、特に親しい友達はいないようだった。
「ああー……。言われてみれば、ちょっと意外かも」
「小鳥遊さん、正直すぎ!」
「ご、ごめん」
「いいよ、面白いから。あたし嘘つかれたり気を遣われるの嫌いだからさ」
柚木さんの言葉に胸がチクッと痛む。
「今まであんまり本の話できる人いなかったんだよねー。今日が雨じゃなかったら、そのへんのベンチでゆっくり話したかったんだけどな」
柚木さんの言葉で、落ち着いて話のできる場所がひとつ思い浮かんだ。しかし、今日初めて話した人を自分から誘うなんて、私にできるのだろうか。いやいや、今日は人前で思いっきり泣いてしまったし、それ以上に恥ずかしいことはもうないだろう。
「あの……っ!」
新刊を持ってレジに向かおうとする柚木さんの鞄を掴んだ。ん? と振り返ったきれいな顔を見て生唾を飲みこむ。これでは片思いの相手に告白しようとする男子中学生ではないか。
――きっかけを逃さないで。こむぎちゃん、勇気を出して。
菓子先輩の言葉が、私の背中を押してくれる。
「柚木さん、それなら私、いいところ知ってるんだけど……」
*
「こ、こんにちは~」
おそるおそる、pale‐greenの扉を開ける。いかにも常連ですって雰囲気を出して柚木さんを連れてきてしまったけれど、菓子先輩なしで来るのは初めてなので、内心かなりびくびくしていた。
「へー、こんな店あったんだ。いいじゃん、シンプルだけどシックな感じで、さっきの作家の小説に出てきそう」
柚木さんはお気に召してくれたみたいだ。
「ああ、こむぎちゃん。今日は菓子ちゃんは一緒じゃないんだね」
何回か通ううちに名前呼びに変わった浅木先生が、カウンターから出てきてくれる。
「え、なにこのイケメン。知り合い?」
「ちょっ」
柚木さんが先生にも聞こえる声で会話するから、慌てて口をふさぐ。
先生は、聞こえていなかったのか聞こえないふりをしてくれたのか分からないけれど、普通に席まで案内してくれた。
「どうぞごゆっくり」
メニューを置いて立ち去る姿に見とれてしまう。お店の制服も夏服に変わっていて、半袖から伸びる筋肉質の腕にドキドキする。
「ねえ、あの店長っぽい人と知り合いなの?」
「前にうちの学校で先生してた人なんだって。私が入ってる料理部で顧問してたみたいで、それで何回か会ってるの」
「へえ、そうなんだ。……うわっ、ここドリンクのメニューめっちゃ多いじゃん!」
柚木さんは先生よりもメニューに夢中なようで、私はなんとなくホッとした。
「このさ、カフェロワイヤルとかシナモンティーって、前に出た小説に出てきたよね」
「ああ、あのカフェ店員の話? シナモンスティックで紅茶をかき混ぜるシーンに憧れたなあ」
「あたしも。あの作家やたら食べ物の描写上手いよね」
「わかる~。おいしそうだし、出てくる食べ物もオシャレだよね。あ、デザートにアフォガードもあるよ。映画化した本に出てきたやつ」
「エスプレッソにアイスが入ってるやつでしょ? うわ~、それ一回食べてみたかったんだ」
いろいろ迷った末、私はオレンジティーとシフォンケーキ、柚木さんはシナモンティーとアフォガードを注文した。
「ディナータイムだとフードメニューもいろいろあるよ。ビーフシチューとか、トマト煮込みとか」
「うわ、それも食べたい。でもディナーはなあ……。お金もないし、家で食べないと母親が心配するしなあ」
「そうなんだ。柚木さんのところも、親が厳しいの?」
「ていうか、うち、母子家庭でさ。母親が看護師で夜勤も多いから家にいない時も多くて。だいたいそういう時はスーパーのお惣菜かコンビニのお弁当がテーブルに置いてあるんだけどね。食べていないと心配かけるから」
「そうだったんだ……」
柚木さんの意外な一面を知って、何も言えなくなってしまった。文学少女で、苦労人で、母親思い。こんな人を不良なのかなと思っていた自分が恥ずかしい。
「まあ、日勤のときもカレーとかシチューとかが多いかな。あとはレトルトの中華の素を使ったり。うちの母親、料理あんまり得意じゃないから。……あっ、デザート来た来た」
スイーツとドリンクが並んだテーブルはとても華やか。オレンジの輪切りが浮かべてあるオレンジティー、ふわふわのクリームが添えてあるシフォンケーキ。シナモンスティックが添えてある紅茶に、黒と白のコントラストが美しいアフォガード。
「おお~……。これだけ並ぶと圧巻だなぁ。ね、スマホで写真撮っていい?」
「近くの席にお客さんもいないし、大丈夫だと思う」
目を輝かせながらスマホを構えている柚木さんは、とても無邪気で可愛かった。
「小鳥遊さんは撮らないの?」
「うん。私、スマホ持ってないし」
「はぁっ!? 今時、高校生で? 珍しくない? っていうか不便じゃないの?」
今まで友達がいなかったし、特に不便に感じたことはなかった。
「でもほら、ガラケーは持ってるんだよ。親のおさがりのやつだけど、メールと電話はできるし」
少々時代遅れの二つ折り携帯をポケットから出して見せる。
「これっておじいちゃんとかが使う簡単ケータイじゃん!」
なにがそんなにツボに入ったのか分からないけれど、柚木さんはしばらく笑い転げていた。
「あ~面白い。小鳥遊さんってやっぱいいわ~。実は一緒のクラスになった時から、なんかいいなって思ってたんだよね」
柚木さんは、エスプレッソの海に溺れたバニラアイスをせっせとすくい上げながら口に運んでいる。
「えっ、私を?」
「うん。あたし、女子特有のグループとか苦手でさ。本当に気の合う人と、必要なときだけ一緒にいたいんだよね。常に大人数で行動するのって息がつまるし、だったら一人でいたほうがずっと楽だから、まあ学校でも浮いちゃってるんだけどさ」
私にはコンプレックスでしかない友達がいないことを、こんなに明け透けに話す柚木さんにびっくりした。
「小鳥遊さんてさ、クールっぽい感じだったし、群れてないっていうか一匹狼っていうか……。そういうのいいなって思ってたし、こういう子とだったら仲良くなれるのかなって思った」
「そんな風に思ってくれてたんだ……」
かっこいい一匹狼は、柚木さんのほうなのに。私はなんの主義も主張もなく、ただ人付き合いが下手だから友達がいないだけで、柚木さんが思っているような価値のある人間じゃないのに……。
「柚木さん、私……」
「ねえ、早く飲まないと紅茶さめるよ」
「あ、うん……」
大好きなオレンジティーなのに、今日は苦味しか感じなかった。
「今日は本屋で会えてラッキーだったな。しかも好きな作家まで同じだったし。今度本の貸し借りとかしようよ。あたしのメールアドレス教えておくし」
「うん、ありがとう……」
本当の私を知ったら、柚木さんはきっとがっかりする。もう一人でいたくない。誰かに嫌われるのはつらい。
一度出しかけた勇気が、アフォガードのアイスクリームみたいに溶けてゆくのを感じた。頭の中では、「あたし、嘘つかれるの嫌いだから」という柚木さんの言葉が、いつまでも響いていた。




