迷える子羊と大きなハンバーガー③
次の日の放課後。私たち三人はまた調理室に集まって、ハンバーガー作りを開始していた。菓子先輩の指示にしたがって、野菜を切ったり、パティにするハンバーグのたねをこねたり。みくりちゃんも何か手伝いたい、と申し出てくれたので、洗い物やソース作りをお願いした。
作るものは私のリクエストでアボカドバーガー、ソースは玉ねぎをすりおろして醤油や酢と合わせた和風ソース。
パティは薄く焼いたほうが食べやすいのではと思ったが、バーガーの高さを出すために立体感を出しましょう、と菓子先輩に提案された。楕円形にふくらんだパティからは肉汁がじゅうじゅうとあふれて、焼いているだけでよだれが出てきた。
学校の調理実習にはあまりいい思い出がないけれど、こうしてみんなで料理するのは一人でするよりも楽しいんだなと気付いた。
調理室いっぱいに広がるおいしい香り。ときおり聴こえてくる吹奏楽部の音色。以前だったら胸がちくりと痛くなった、廊下から聴こえる楽しそうな笑い声。それらすべてが、今はとても優しい気持ちで愛しく思える。
菓子先輩のスープのおかげで私の毎日は変わった。だから今度は私が「おいしいものの力」でみくりちゃんを助けたい。
バンズの上に焼きあがったパティと野菜、ソースを慎重に重ねて。最後にゴマをまぶしたバンズをふわっと置いて、串を通す。
「……完成~っ!」
できあがった特大ハンバーガー。お皿にどーんと乗ったそれが並ぶ様は圧巻だった。
レタスはしゃきしゃき、トマトもアボカドも分厚くておいしそうで、玉ねぎは甘さをだすために少し焼き目をつけた。ソースもたっぷりで、具のあいだからあふれている。
「あれ……? ハンバーガー二つ? 百瀬先輩は食べないんですか」
疑問に思ったみくりちゃんが菓子先輩に尋ねて、私はなぜだかどきっとしてしまった。
「ええ、私はあまりたくさんは食べられなくて……。小さいサイズのものを別に作ったから、家族にあげようと思うの」
そう言って、ランチボックスに入れたふつうサイズのアボカドバーガーを見せてくれた。
「それなら、いいんですけど……」
「あ、ええっとぉ……! これって、どうやって食べるのかな?」
まだ何か言いたそうなみくりちゃんに、無理やり話を振る。
「え、普通に食べるんじゃないの?」
「それだと崩れちゃわない?」
「有名なお店のホームページによると、ナイフとフォークで食べてもいいし、少しつぶして手で食べてもいいそうよ」
菓子先輩は先にいろいろと情報収集してくれていたらしい。
「……私は、手で食べてみます」
「みくりちゃんがそうするなら、私も」
二人ともが難易度の高い食べ方をすることになってしまった。私には、どこからかじればいいのかも見当がつかないが、大丈夫なのだろうか。
「じゃあ、席についていただきましょうか」
菓子先輩がアイスティーをみんなに注いでくれた。
「ふふ、昨日のうちに水出しアイスティーを仕込んでおいたの」
アールグレイの柑橘の香りが気をゆるめてくれる。菓子先輩は本当に抜け目がない。
「では。本日の料理部のメニューは、スペシャルアボカドバーガーよ。みなさんどうぞめしあがれ」
「いただきます」
みくりちゃんはバーガーを持ち上げたまま、緊張した面持ちで固まっている。ここは私が先に勇気を出さなければ……!
軽く手でつぶしたバーガーに、意を決してかぶりついた。思いっきりあけた口の中に、ソースの甘み、アボカドのコク、パティの肉汁がいっぱいに広がる。
「……おいしい! ハンバーガーって、こんなにジューシーだったんだ!」
上手には食べられなくて、手や口のまわりがべたべただったけれど、そんなことは気にならなかった。
「野菜もしゃきしゃきでおいしい! 厚く切ったたまねぎも、火を入れたから甘くてとろっとしてる」
私の様子を見て、みくりちゃんも大口をあけてハンバーガーにかぶりついた。
「おいしい……」
みくりちゃんが感極まった様子でぽつりとつぶやく。その後、私たちは一言も話さずに夢中で食べ続け、大きなハンバーガーをぺろりと完食してしまった。
「私……間違ってたんだね。ハンバーガーって、お上品に食べるものじゃなかったんだ」
ひと息ついて食後のアイスティーを飲みながら、みくりちゃんが静かに話し出した。
「あのとき食べたハンバーガーは味がしなかった。今日はこんなにお行儀悪く食べていたのに、すごくおいしい」
そう言ってうつむき、自分の手のひらをじっと見つめる。指先がソースでべたべたになってしまい、思わずぺろっとなめてしまった私を見て、みくりちゃんも笑いながら指をなめていた。
「ハンバーガーがきれいに食べられるようになったら、彼氏の前でも失敗しないで食事ができると思ったんだ。でも……私、失敗してもいいや。いつも通り、大口をあけてハンバーガーを食べてみる。だって、おいしいものをおいしく食べられない相手なんて、付き合っていても楽しくないもの。……そうですよね? 百瀬先輩」
菓子先輩は、それがいちばん大切なことよ、と言って朗らかに微笑んだ。
*
「それで、御厨さんは彼氏さんの前でちゃんとごはんが食べられたのかしら?」
数日後の調理室で、菓子先輩が料理をしながら私に尋ねる。初回がむずかしいメニューだったため、今日は私のレベルに合わせてもらってクッキーだ。私が簡単なドロップクッキーでも苦戦しているのをよそに菓子先輩は、チェリーを乗せた絞り出しクッキー、ココナッツの入ったココアクッキー、アイシングを施したレモンクッキーなどを次々に完成させていた。菓子先輩の今日のクッキーだけで、缶に入った詰め合わせが作れるのでは……。
「この前食べられなかった駅前のファストフード店にリベンジしたらしいです。みくりちゃんは因縁のテリヤキチキンセットを頼んで、彼も同じものを注文したって。」
「食べものの好みが合うって素敵なことよね。恋人同士ならなおさら」
「そうですよね。それでみくりちゃんも安心して、いつも通りハンバーガーを食べられたらしいんです。でも――」
「でも?」
「油断していたら、口の周りにソースがべったりついていたそうです」
「あらまあ。それで彼氏さんは?」
「それがですね……」
私はこの話を聞いたときのことを思い出し、顔が赤くなってしまった。
「そんなみくりちゃんを見て、可愛いな――って言ったんですって!」
この話をした時のみくりちゃんの顔が忘れられない。ほほを桜色に染めて、本当に幸せそうに微笑んでいた。透明なまなざしは、きっと恋をしているから。今までで一番、みくりちゃんが綺麗に見えた。
私は甘い台詞を自分で言いながら興奮していたのに、菓子先輩はやっぱりね、といった顔だ。
「……もしかして菓子先輩、こうなることが分かっていたんですか?」
「ふふ。御厨さんの中学時代の話を聞いたときからね」
「どういうことですか?」
「御厨さんのした失敗はもともと、恋人に振られるほどの大きな失敗じゃないのよ。相手が自分を好きなら微笑ましいと思えるし、逆にそうじゃないなら――うんざりした態度をとる人もいるかもしれないわね」
「じゃあ、もしかしてみくりちゃんと元彼は」
「その時にはもう、お互いの気持ちが離れてしまっていたんじゃないかしら。御厨さんはそれに気付かず、そのことが原因だと思い込んでしまったのね」
「じゃあ、今の彼氏はみくりちゃんのことを――」
相手によって変わる失敗なら、みくりちゃんに可愛い、と言った彼氏は。
「もちろん、こむぎちゃんの思っている通りよ」
その時の菓子先輩の笑顔は、満点をもらったときにほめてくれた、小さい頃のお母さんみたいだった。
そういえばみくりちゃんに、料理に興味が出たなら部活に入ってみない、と誘ったのだけど、
「うーん、お料理は思ったより楽しかったし、高校では文化部に入るのもいいなあと思ってたんだけど……。やっぱり私は遠慮しておくね。菓子先輩のそばにはこむぎちゃんだけがいたほうがいい気がする。……なんとなくだけどね」
と断られてしまった。
どういう意味なんだろう、と菓子先輩の後ろ姿を見つめる。相変わらずお母さんみたいにてきぱきと動く割烹着の背中。つやつやの長い髪は、おそろいのシュシュで束ねている。
「こむぎちゃん」
くるりと振り返った先輩と、急に目が合って心臓が跳ねる。
「は、はいっ?」
「なんだか香ばしすぎる匂いがするんだけど……」
菓子先輩が不安そうな顔でオーブンを見つめる。
そうだった。クッキーが思ったより大きくなってしまったから、ちょっと長めに焼き時間を設定していて。途中で確認しながら調整しようと思っていたんだけれど……。
「あーっ! 焦げてるぅ……!」
慌てる私を見て、菓子先輩が笑う。
エプロンと割烹着、おそろいのシュシュ。春の光が射しこむ明るい調理室、シャボン玉みたいな笑い声。
菓子先輩の謎はいろいろあるけれど。今はまだ、この幸せなおいしい日々に、ひたっていたい。