迷える子羊と大きなハンバーガー②
「それでね、そのクラブハウスサンドがすごくおいしかったんだ」
週明け、私はすっかり打ち解けた御厨さんに浅木先生のお店の報告をしていた。
「具がたっぷりでね。たまごはふわふわで、ベーコンはジューシィで……。パンもカリッと焼いてあっておいしかったなぁ……」
「そのお店、聞いたことあるかも。元うちの学校の先生がやってるお店でしょ? その先生、学校にいた頃からすごく人気で、先生目当てでお店に通ってる子もいるらしいよ」
「え……そうなんだ」
ものすごくライバルが多いことが判明して、がっくりしてしまった。別に先生と付き合えるとか、そんなずうずうしいことを考えていたわけじゃないんだけど、ちょっとは期待してしまっていたのかな、私……。
「私はあんまりイケメンには興味ないけど、そんなにおいしいなら一回行ってみたいなあ」
「ほ、ほんと!? 今度一緒に行こうよ」
菓子先輩に続いて御厨さんとも放課後デビューか、と思うと嬉しくて、思わず前のめりになってしまう。
「あっ……えっと、御厨さんが嫌じゃなければ……」
「一緒に行きたいに決まってるじゃーん! あと御厨さんじゃなくてみくり、って呼んで欲しいな。私もこむぎちゃんって呼ぶし」
「うん、みくりちゃん」
みくりちゃんがにっこり微笑む。付き合ってみると、みくりちゃんはさっぱりしていて面倒見の良い子で、とても話しやすかった。クラスでも会話の中心にいることが多いし、みんなのお姉さんという感じ。
「あ、そういえばさ……。この前こむぎちゃんにスープカレー渡してた先輩、料理部の部長さんなんだって?」
「うん。実は私も料理部に入ったんだ」
「えっ、もうすでに入っているのかと思っていたよ。先輩と親しそうだったし」
「それは色々とあって……。それで、菓子先輩がどうかしたの?」
「う~ん……。実はちょっと、頼みたいことがあって」
みくりちゃんは珍しく言葉を濁した。
*
放課後。調理室に集まった私と菓子先輩、連れてきたみくりちゃんは同じテーブルを囲んでおしゃべりをしていた。わきあいあいとした部活動、仲良しの友達と過ごす放課後。そのどれもが心をふわふわと浮き上がらせるものなのに、私は先ほどから殺気立っていた。
「こむぎちゃん、落ち着きましょ」
「……その男、許せない……」
私はみくりちゃんの元彼氏だという、名前も顔も知らない男に怒りの炎を燃やしていた。
「だって! そんな理由で別れるなんてひどすぎます。みくりちゃんはこんなに素敵なのに……。私とも仲良くしてくれるくらいのいい子なのに……」
「そんな、照れるよ」
「こむぎちゃんは、御厨さんが大好きなのねえ」
私が怒れば怒るほど、当のみくりちゃんと菓子先輩はなぜかほのぼのとした雰囲気になっていた。
「こむぎちゃん、その話は終わったことだから、そんなに気にしなくていいよ」
「だって、そのとき私はみくりちゃんとはまだ知り合ってなくて何もできなかったから……。だからかわりに今怒っておくの」
「その気持ちだけでけっこう嬉しいかも」
みくりちゃんは中学のとき、同じ学校の男の子と付き合っていたらしい。男子バレー部と女子バレー部の部長同士だったという二人は、さぞかしお似合いだったのだろう。まわりもうらやむ爽やかカップルだったらしい。
そんな二人も、三年に進級したある日、急に別れを迎えることになる。その原因が。
「その男にハンバーガーをぶつけてやりたい……」
「食べものを粗末にするのはダメよ、こむぎちゃん」
そう、ハンバーガーなのである。
デートは放課後の公園かテスト前の図書館、という初々しいお付き合いをしてきた二人が、初デートでファストフード店に行くことになった。部活を引退したので休日に出かけることになったらしい。みくりちゃんは大好物だというテリヤキチキンのセットを、彼はダブルバーガーのセットを頼んだ。
実はハンバーガーはお上品に食べるのは難しい。大口をあけてかぶりついたほうがスムーズに食べられるのだ。
みくりちゃんは、彼氏を目の前にして緊張していたのだろう。女の子らしく見せたいという気持ちもあったのかもしれない。小鳥のように、ちびちびと控えめに食べていたらしい。
しかしそのせいで悲劇が起こってしまった。時間をかけたせいで袋の内側にたまってしまったテリヤキソースが、スカートに垂れてしまったのだ。
あわてるみくりちゃん。気付けば手もソースでべたべただった。そんな彼女を見て、彼氏は思いもよらない一言を投げつける。
「……おまえ、食べ方汚いな」
と――。
その言葉は、彼氏に少しでもかわいいところを見せたい、といじらしい気持ちでいたみくりちゃんの心を、さぞかし抉ったことだろう。私の胸も痛い。その男の顔面をテリヤキソースまみれにしてやりたい気持ちでいっぱいだ。
その後。よそよそしくなった二人はほどなく別れたそうだ。もともと彼氏と同じ共学の高校を志望していたみくりちゃんは、悔しさをバネに志望校のランクをあげ、見事桃園高校に合格を果たした。
「まあ、おかげでこの学校にも入れたし、悪いことばかりじゃなかったかな」
過去のつらい思い出もさらっとした口調で話してくれたみくりちゃんは、さっぱりとした顔で微笑んでいる。
その出来事がなければ、私がみくりちゃんと出会うこともなかった。そこだけは元彼氏に感謝してあげてもいいけれど、やっぱり許せない。
「まあまあ御厨さん。こむぎちゃんは置いておいて、私に頼みって何なのかしら?」
「あ、そうですね。本題がまだでした」
みくりちゃんはすっと姿勢を正したと思うと、
「……えっと」
急にもじもじし始めた。
「遠慮しなくていいのよ? 何でも話してね」
「はい……。あの、実は最近、彼氏ができて。中学のときの男子バレー部の先輩なんですけど、通学のバスが一緒で親しくなって……」
「まあ! それは嬉しい報告ね」
きゃっきゃとはしゃぐ菓子先輩をよそに、私の心には雷鳴がとどろいていた。私が人生初の恋に浮かれている間に、みくりちゃんには彼氏が二人もできているなんて――。
「みくりちゃん。お、おめでとう……」
「ありがとーっ。なんか失恋の話のあとにこういう報告するのも恥ずかしいんだけど」
「もしかして、その彼氏について相談したいとか……なのかしら?」
「うーん、半分はそうなんですけど。どちらかというと私自身の問題です」
みくりちゃんの顔が翳る。私と菓子先輩も、笑顔を消してみくりちゃんと向き合った。
「――実は私、ハンバーガー事件のあとから、好きな人の前で食事できなくなってしまったんです」
*
みくりちゃんの相談事。それは、自分のトラウマを克服するために力を貸してほしい、ということだった。
「彼氏と付き合い始めてから、時間が合う時には一緒に帰ることになって……。降りる駅も一緒なので、この前、帰りにどこか寄って行こうか、って誘われたんですね。駅前にファストフードのお店があったのでそこに入ることになったんですけど、注文して席について、さあ食べようってなった時に異変に気付いたんです。手元がふるえて、ポテトを口にむりやり運んでも食べられなくて。その時は、体調が悪いみたいってごまかして帰ったんですけど、そう何回も同じことをしていたら不審に思われるし……」
「それは……、つらかったわね」
「また同じ失敗をして、この人に振られたらどうしようって、帰り道はそんなことばかり考えてしまって。今の彼氏はそんな人じゃないって信じているんですけど、やっぱり怖くて」
いつも明るいみくりちゃん。クラスでは、そんなことがあったなんて様子はみじんも出さずに、明るい笑顔をふりまいていた。むしろ人の相談や愚痴には乗ってあげるほうで、こんなふうに親しくなる前も、私はみくりちゃんが暗い顔をしたり人の悪口を言う姿を見たことがなかった。
だからみくりちゃんが――強くて明るくて、きっと弱いところなんてないと思っていた彼女が――同じ十五歳の繊細な少女なんだと気付いたとき、私は驚いて、でも前よりみくりちゃんを近くに感じることができて、なんだか少しだけ、嬉しかったんだ。
「力になりたい。菓子先輩みたいに頼りにならないかもしれないけど、私にできることがあったら、手伝いたい……」
みくりちゃんが、相談相手に私たちを選んでくれたことがとても嬉しかった。友達のために自分が役に立てる日が来るなんて。こんなに誇らしくてくすぐったい気持ちになることも知らなかったよ。
「ありがとう、こむぎちゃん。……じゃあ、百瀬先輩だけじゃなくて、こむぎちゃんにも……料理部の二人に改めてお願いするね。あのね、大きなハンバーガーを作って欲しいの」
「大きな」
「ハンバーガー?」
思わず、菓子先輩と顔を見合わせる。私の頭の中では「ぐりとぐら」のパンケーキみたいな大きいハンバーガーが浮かんでいた。
「うん。ちょっとこれを見て」
みくりちゃんがポケットからスマホを取り出す。私たちに見せてくれた画面には、串にささったハンバーガーが映っていた。バンズの大きさは意外と普通。でも、
「これ、高さがふつうのハンバーガーの十段サイズくらいない?」
「最近こういう本格派の手作りハンバーガーがはやっているみたいで。SNSでも人気でよく見るよ」
パティも分厚いし、玉ねぎやトマトなどの野菜も厚みがある。串にささっているのは倒れないためなのだろう。確かにおいしそうだ。
「へえ、アボカドにサルサソース……種類もたくさんあるのね。すごく手が込んでいるわ」
「そうなんです。でもこういうお店って高くて……。高校生が入るにはちょっとハードルが高いんです」
「そこで私たちの出番なのね?」
「はい。こんな大きなハンバーガーをきれいに食べられるようになれば、自信がついて彼氏の前でも普通に食事ができるようになるんじゃないかと思ったんです。自分で作ろうとも思ったんですけど、私、料理は全然ダメで。材料費は出すので、ぜひ作ってもらえませんか?」
私と菓子先輩は再び顔を見合わせて、もちろん、と大きく頷いた。
「うーん、腕がなるわあ。私もこんな大きなハンバーガーを作るのははじめて」
「このアボカドのやつ、作ってみたいです。バンズも作るんですか?」
「そうねえ、できれば作りたいけれど、パンは発酵に時間がかかるし、そこは妥協して市販のものを使いましょうか」
「材料費も、三人で割れば安くすみそうですね」
菓子先輩とてきぱき段取りを決めていく。みくりちゃんは逐一、感心したように頷いていた。
「こむぎちゃん、今日が実質料理部初日なのに、すごく頼りになるわあ」
菓子先輩の言葉で、顔が赤くなってしまった。ちょっと張り切りすぎてしまっただろうか。
「二人ともすごいなあ。やっぱり私も料理とか、少しはできたほうがいいのかな。女子力的に……」
「みくりちゃんは、そのままで充分だと思う」
「私もそう思うわ。でも、お料理に興味が出たなら、いつでも入部大歓迎よ」
私は自信満々に答えたのだが、菓子先輩はちゃっかり勧誘するのも忘れていなかった。