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菓子先輩のおいしいレシピ⑪

 ――三月。


 桃園高校卒業式は、あたたかな陽射しの春の日に行われた。校舎に植えられた桃の花が卒業を祝うように咲き誇っていた。

 祝花を胸につけた菓子先輩は、とても晴れやかな笑顔で、菓子先輩に憧れていたたくさんの後輩に囲まれていた。

 涙ぐむ後輩のお願いを退けて、私に第二ボタンと校章をくれたこと、ずっと忘れない。

 私と菓子先輩、みくりちゃんと柚木さん。料理部の四人で撮った写真はお気に入りの写真立てに入れて、私の部屋の一番陽当たりのいい場所におさまっている。


 菓子先輩が第一志望の国立大学に合格したことは、その後のメールで知った。

 春休みも、菓子先輩は新生活の準備で忙しいだろうと思って一度も会っていない。メールのやり取りも頻度が減って、校舎の桃の花も散ってしまった。こうして菓子先輩のいない日常は過ぎていくのだろう。


 きっとこれからも出会いや別れがたくさんあるのだと思う。そのたびに笑ったり泣いたりしながら、私たちは大人になっていく。どんなに嬉しい出来事も、悲しい出来事も、いつかは過去の思い出になって、ときおり取り出して眺めるだけになってしまうのだろう。桃の花が散ってしまっても、さびしいのは最初だけなように。


 それでも私は、菓子先輩と過ごしたこの一年間を忘れない。

 心の宝石箱のいちばん広い場所に、いつでも取り出せる場所に、たいせつにしまっておく。

 私がいつか菓子先輩みたいなすてきな大人になって、もし再会できることがあるのなら。こんなことがあったよ、覚えていますか、って、私の宝物を菓子先輩にも見せてあげたい。

 だからそれまで、少しのお別れ――。



「こむぎちゃん、部活勧誘会、おつかれ~!」


 調理室に入ると、みくりちゃんにハイタッチをされた。菓子先輩がいなくなってから、どことなく殺風景になってしまった私たちの部室。


「め……っちゃ緊張したんだけど」

「いやいや、舞台袖で見ていたけど、だいぶ度胸あったよ。やっぱ部長にまかせて正解だったね~」

「来年は二人ともステージに乗せてやる……」


 四月。私たちは二年生になった。みくりちゃんと柚木さんとはクラスが離れてしまったけれど、自分でも驚くほど新しいクラスでも楽しくやっている。

 今日は新入生に向けての部活勧誘イベントがあった。体育館のステージで、部活ごとにいろんなアピールをするんだけど……。


「時間制限が三分だからって、本当に三分クッキングするとはね~。これで新入部員もだいぶ入ってくるんじゃない?」

「ほんとほんと。太巻きを切ったときの歓声、すごかったもんね~」


 断面が桃の絵になる、金太郎飴的な太巻きをステージで作った。具材をのせて巻くだけとは言え、新入生全員に見られている中で料理するのは緊張して、へんな汗をかいてしまった。


「春休み中に特訓したかいがあったよ」


 ストップウォッチで計りながら何本も太巻きを作った日々が思い起こされる。


「で、今日の部活はどうする? こむぎちゃんも疲れてるだろうし、反省会だけで終わりにする? 仮入部期間は明日からだし」

「そうしてもらえると助かるかな。今日は行きたいところもあるし」


 二人に戸締りをまかせて昇降口から出ると、春の風がスカートを揺らした。

 もう、一年たつんだな――。

 うすく霞がかったような、春の空気。陽射しもなんだか、桃色が混ざっているような気がする。

 ぴかぴかの制服に身を包んだ新入生をまぶしく思いながら、私は歩きなれた道を、あの場所に向かって足を進める。


 pale‐greenの扉の前で、大きく深呼吸する。二年生になってから来るのは初。

 柿崎先生は二月から産休に入り、春休み中に元気な女の子を産んだ。娘の名前はくるみちゃん。こむぎとくるみ、なんだかペアっぽくて嬉しい。くるみちゃんの写真を見せてくる浅木先生の顔はデレデレで、これはそうとう娘に甘いパパになるぞと、かつての恋心をなつかしく思う。

 あの日のあと。浅木先生に菓子先輩の味覚が戻ったことを話すと、とても喜んでくれた。菓子先輩が教師を目指すということも。「採用試験や教育実習の相談なら乗ってあげられるし、やっと教師っぽいことをしてあげられるなあ」と笑っていた。


 今日は部活勧誘会がうまくいった報告と、太巻きの相談にのってもらったお礼を言いに。そして柿崎先生とくるみちゃんの近況も聞きたかった。


「こんにちは~」


 厚い木の扉をぐっと押すと、軽やかなベルの音がいつも通り迎えてくれる。


「ああ、こむぎちゃん、いらっしゃい」

「いらっしゃいませ~!」


 そして、浅木先生の爽やかな声もいつも通り……。


「えっ」


 いつも通り、じゃない。

 浅木先生の声に重なって聴こえてきた、甘くてやさしい、お菓子みたいな声。

 ふわふわの笑顔の菓子先輩。が、なぜかカフェの制服を着て浅木先生の隣に立っていた。


「え、え、菓子先輩? なんで!?」

「ほら~、やっぱり。菓子ちゃんがこむぎちゃんに内緒にしておきたいって言うから、あんなに驚いてるじゃないか。かわいそうに」


 浅木先生が、いたずらが成功した子どものように笑っている。ちっとも「かわいそう」と思っているようには見えない。


「ごめんなさいね、こむぎちゃん。どうしてもびっくりさせたくて」


 私のそばに駆け寄ってきた菓子先輩は、少しふっくらして、お化粧もしていて、卒業式で会ったときよりずっときれいになっていた。


「どういうことですかっ」

「実はね、大学に入ってもバスで一時間以上かかる通学は無理そうで、一人暮らしさせてもらうことになったのよ。それで生活費くらいは自分で稼ぎたくて、浅木先生のお店でアルバイトさせてもらうことになったの」

「ちょうど、三月でアルバイトをやめる子がいてね。こっちが助かったよ」

「アパートもね、大学とお店の中間くらいに借りたのよ。高校からも近いから、いつでも遊びに来られちゃうわよ。気が早いけど、お客様用のおふとんやお泊りセットも用意しちゃったの。だから早くこむぎちゃんに泊まりに来てほしくって……、こむぎちゃん?」


 うつむいてぷるぷる震えている私の顔を、心配そうに菓子先輩がのぞきこむ。


「わ、私の感傷を、返せ~っ!」

「ええ~っ?」


 心の宝石箱がどうだとか、すてきな大人になったらどうだとか、恥ずかしげもなく語った感傷的なモノローグを、ぜんぶ、ぜんぶ、なかったことにしたい。


「わ、私だってこむぎちゃんに内緒にしている間、つらかったのよ? 四月に入ってから、早く来ないかな~って毎日うずうずしていて……」

「そんなの知りませんっ」

「あ~あ。だから怒らせるって言ったのに」


 浅木先生が、オレンジフロートをさっとカウンターに置く。すっかりおわびの仕方もスマートになった浅木先生。たいていが浅木先生のせいじゃないのに、申し訳ない。

 私は菓子先輩を無視して席についた。


「こむぎちゃん……。怒ってる?」

「……オムライス、おごってくれたら許してあげます」

「ほんとっ?」

「ちゃんと卵がふわっとしたやつですからね! デミグラスソースたっぷりの!」

「うん、うん」


 菓子先輩が嬉しそうに厨房に消えていく。浅木先生がやれやれ、と肩をすくめながら私に微笑む。


 新入部員が入ったら、このお店を紹介しよう。素敵な先生たちと、ちょっとふしぎな先輩のこと。

 見た目は美少女なのに、中身はずうずうしいお母さんみたいで、でもあったかくてやさしくて、なんだかぜんぶが許せてしまうふしぎな先輩。

 魔法のようにおいしいものを作る先輩なんだよ、そのおいしいもので、たくさんの人をしあわせにしてきたんだよって。菓子先輩が解決してきたおいしい事件を、ひとつひとつ話して聞かせてあげよう。


 あなたは信じてくれるかな。

 菓子先輩の、おいしいレシピを。


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