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菓子先輩のおいしいレシピ⑨

 後片付けをして、残りのキーマカレーをタッパーに入れて持ち帰る。


「夕飯作らなくていいから助かる~」


 と、柚木さんがいっぱしの主婦のようなことを言っていた。


「あのさ、文化祭前にこむぎちゃんが聞いたことあったよね」


 すっかり暗くなった廊下を歩きながら、みくりちゃんがつぶやく。非常灯が月明かりみたいできれいだから、夜の学校は嫌いじゃない。


「なにを?」


 マフラーとコートで防寒していても、吐く息が白くなる。手をこすってあたためながら答えた。


「私が最初に、部活に入らなかった理由」

「ああ、うん」


 みくりちゃんのハンバーガー事件のあと、入部しないか誘ったときに「料理部にはこむぎちゃんだけがいたほうがいいと思う」と一度断られたんだっけ。文化祭のときは、菓子先輩が拒食症じゃないかと疑っていて、それでみくりちゃんが遠慮したんじゃないかと思っていたのだけど……。


「あのときはね、百瀬先輩って人当たりがよくてにこにこしてるけど、本当の気持ちは誰にも見せないようにしている人なんだなって思ったんだ」

「えっ、菓子先輩が?」

「あ~それ、あたしも思った。壁がある……っていうほどのはっきりしたものじゃないんだけど、すごくやわらか~く距離をとってる感じっていうか。先輩後輩の関係だし、あたしはまだ付き合いも浅いからそうなのかなって思ってたんだけど」


 隣を歩いていた柚木さんも同意する。


「そうなんだ……」


 すごく遠慮なく心の内側まで入ってくる人だと思っていたから、二人がそう感じていたなんて意外だった。


「さっき百瀬先輩のお母さんが亡くなってるって話を聞いて、なんだか納得したんだ。きっと百瀬先輩は、誰にも自分のことで心配をかけたくなくて、誰にも傷ついて欲しくなくて、すごく慎重に人と接するようにしていたんじゃないかって」


 菓子先輩は、いつも近くにいた私にさえ味覚障害だということを気付かせなかった。自分の悩みや苦しみは、いつだって周りに感じさせない人だった。


「私……、そんなことちっとも考えつかなかったよ。こんなにずっとそばにいたのに……」

「だって先輩は、こむぎちゃんに対してだけは素を出しているように見えたもの。何て言ったらいいのかな、私たちにはあった壁がこむぎちゃんに対してはなかったっていうか」

「そうなの?」

「うん。こむぎちゃんはきっと菓子先輩にとって特別なんだろうなって思って、それで最初は入部を断ったんだ」

「私が特別?」


 浅木先生も言っていたこと。当の私には実感がなかったんだけど、これだけ言われると信じたい気持ちにもなってくる。


「まあ、人って猫とか犬の前では素になるし。百瀬先輩の気持ちはなんとなく分かるな。小鳥遊さんの前で気を張っていても仕方ないとこあるよね」

「柚木さん、それはどういう意味かな」


 とうとう柚木さんにまでペット扱いである。きっ、と睨みつけても柚木さんはどこ吹く風だ。


「まあそれは冗談にしても、先輩のためにここまで必死になってる小鳥遊さん見てると、百瀬先輩が小鳥遊さんを大事に思う気持ちも分かるなって」

「それは……。だって、菓子先輩のほうが私に対して、もっとずっといろんなことしてくれたよ。これだけじゃ返せないくらい」

「うん。でもさ、そう思えることも、他人に対してこれだけ一生懸命になれるっていうのも、すごく貴重なことだと思うよ。あたしは人付き合いとか淡泊なほうだけど、小鳥遊さんたちの関係はなんかいいなって思える」

「そうだねえ。私、彼氏が同じことになっても、ここまで尽くせるか分からないなって思ったよ」

「あ~、御厨さんはのろけと男の話題禁止ね」

「なにそれ、ひどい」


 じゃれあっている二人を横目に、胸がぽかぽかとあたたかくなる。菓子先輩と出会えたことも、二人と出会えたことも、私にしては上出来の、とびっきりの奇跡。そんなふうに思えた。


「明日、頑張ろう」


 二人に聞こえないようにつぶやいた私の決心が、笑い声と混ざりながら夜の校舎に吸い込まれていった。



 ぴんぽーん。

 鍵が開いているのは知っているけれど、木村さんのようにあがりこむ勇気はまだないので、おとなしくチャイムを鳴らす。


「はいはい。ちょっと待ってくださいねえ」


 一度会っただけなのに懐かしく感じるおばあちゃんの声。と、ぱたぱた玄関を降りてくる音。


「はいどうも、お待たせしました……あらまあ?」

「こんにちは……。菓子先輩、まだお休みしているみたいなので、お見舞いに来ちゃいました」


 大きなタッパーをお土産に携えて、菓子先輩の家に二度目の訪問。


「あらあら、まあまあ。学校帰りに遠いところまで、ありがとうねえ。ばあちゃんもこむぎさんが来てくれて嬉しいよ」


 突然の二度目の訪問にも関わらず、おばあちゃんはしわくちゃの笑顔で出迎えてくれた。


「さあさあ、あがっていってねえ。菓子ちゃんは自分の部屋で勉強してるから」

「おじゃまします」


 昨日作って一晩寝かせたキーマカレーと、今日は手作りのナンも持ってきた。これもコピーさせてもらった菓子先輩のお母さんのレシピと同じ。フライパンでナンが焼けちゃうなんて最初は半信半疑だったけれど、出来上がったものはお店のものと遜色ない見た目と味だった。さすが家庭料理の魔術師。


「菓子先輩、おじゃましてます。小鳥遊こむぎです」


 菓子先輩の部屋の前で声をかける。


「えっ、こむぎちゃん?」


 驚きながら襖を開けてくれた菓子先輩は、ニットとロングスカートにはんてんを羽織っていた。なぜかノートで顔の下半分を隠している。


「な、なんでまた」

「お見舞いの二回目に……。ごめんなさい、勉強のおじゃまでしたか?」

「ううん、嬉しいのよ。嬉しいんだけど……。髪はひっつめてあるし、てきとうな恰好しているし、なんだか人に見られるのが恥ずかしくて」

「そんなことですか。菓子先輩はちゃんとしてるほうですよ。私なんて上下スエットとか、中学時代のジャージとか、家でよく着てますもん」

「そ、そうね……。というか問題は、さっきまでうっかり机で寝ちゃっていて、口のまわりによだれの跡がついていることなのよね……」


 菓子先輩の顔の上半分が真っ赤になっている。私はこらえきれずに吹き出してしまった。それでノートで隠していたのか。


「見ないようにするので洗ってきていいですよ」

「もうっ。おばあちゃんも、先に一声かけてくれればいいのに」


 菓子先輩はぷりぷりしながら洗面所に消えていった。

 菓子先輩のいない菓子先輩の部屋。勉強机には問題集や参考書が広がっていて、この前来たときよりは家主の存在を感じられる。

 机に備え付けの本棚には、難関私立の赤本と一緒に、桃園高校と同じ市内にある国立大学の赤本も並んでいた。


「ふう、さっぱりした。少し寝たから頭も冴えたみたい」


 菓子先輩がタオルで顔を拭きながら戻ってきた。前髪が濡れておでこに張り付いている。


「菓子先輩、この赤本……。この国立大学が第一志望なんですか?」

「うん、教育学部をね。やっぱりお父さんやおばあちゃんは東京や県外の大学に行かせるのは心配みたいで。できればそこに受かりたいんだけど、どうかしらね~」

「菓子先輩なら大丈夫ですよ」

「ありがとう。奨学金をもらっても私立の学費は厳しいし、なんとかして国立に受からないとね」

「そうなんですか? 菓子先輩の家は、裕福なほうだと思っていたんですけど……」


 家は大きいし、家具や調度品もよくよく見ると質が良さそうなものばかりだし。何より菓子先輩から漂う、そこはかとない品の良さ。白いワンピースと麦わら帽子が似合っちゃいそうなキャラは、女子高でもそうそういない。


「そうねえ。余裕はあるほうかもしれないけれど、将来は私一人でおばあちゃんとお父さんの面倒を見なきゃいけないじゃない? 残せるお金は残しておいたほうがいいと思うのよね、何かあったときのために」


 なんというか、横っ面を思い切りはたかれたような衝撃だった。二つしか歳の変わらない菓子先輩が、将来のことをここまで考えていたなんて。


「すごいですね……。私はそこまで考えていなかったな。なんとなく行きたい大学があるくらいで、学費のことや将来のことなんてあんまり……」

「うちは特殊だから、考えざるを得なくなっちゃうのよね。おばあちゃんもだんだん農作業が厳しくなってきているし……。大丈夫、こむぎちゃんはまだ時間があるじゃない。今は勉強をしっかりやって、志望校なんて受験するまでに決めればいいんだから」

「はい……。教育学部ってことは、先生になるんですか?」

「うん。家庭科の先生になりたくて。シェフやパティシエは私には無理だけど、やっぱり料理にはずっと関わっていたいから……」


 味覚のない菓子先輩にとって、料理人になるという夢は持てないものだった。きっと三年前に手放してしまったのだろう。さびしげな横顔に胸が痛む。


「桃園高校に入って、浅木先生や柿崎先生に出会って、教師になるっていう目標を持てたのよね。もう卒業かあ……。早いなあ」

「まだ卒業まで時間があるじゃないですか……」

「もうすぐ三年生は自由登校に入るし、クラスメイトや先生に心配かけるよりはこのまま休んで卒業式だけ出ようと思っていたの。出席日数は足りているし」

「じゃあもう、菓子先輩に学校で会えるのは、卒業式だけなんですね……」

「こむぎちゃん?」


 いろんな思いがぐるぐるして、菓子先輩の瞳をまっすぐに見つめられない。出会った日に感じた、菓子先輩の手のあたたかさ。ミネストローネがおいしくて泣きそうだったこと。学校に行くのが楽しくなったこと。放課後のピーチ通り探索、文化祭。

 私の胸にあるあたたかい思い出ぜんぶが、菓子先輩なしでは存在しなかったもの。

 最後に私が返せるもの。新しい人生を踏み出す菓子先輩に贈れる唯一のもの。それが今、私の手の中にある。


「私からの卒業祝いです。受け取ってくれますか」


 菓子先輩の目の前に、紙袋に入れたタッパーとナンを差し出す。


「これって……」

「改良したキーマカレーと、手作りナンです。この前は失敗しちゃったけど、今度は甘くできたんですよ。せんべつに……食べて欲しくて……」

「こむぎちゃん……」


 菓子先輩は、壊れやすいものに触れるように、ふわっと私を抱き締めた。


「ありがとうね。本当に、ありがとう」


 先輩の腕の中はあたたかくて、甘いお菓子のにおいがした。

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