オシドリのアフタヌーンティー⑦
アフタヌーンティーは大成功を収め、文化祭の閉会式では部活出展部門で賞をもらい、菓子先輩が檀上に上がった。体育館のステージの上から私を見つけて手を振るものだから、恥ずかしくて知らんぷりをしてしまった。拗ねた顔をしていたけれど、私の顔だって赤くなっているんだから、文句を言われても知らない。
クラス出展の片付けも終わり、教室はいつもの姿を取り戻した。準備するのは大変だけど片付けるのは一瞬で、なんだか寂しい。心なしか学校内にも祭りの後のアンニュイさが漂っている気がする。
ゴミを捨てに外に出ると、気付かないうちに校庭の木々も色付き始め、風もすっかり秋のにおいになっていた。意識していてもいなくても、いろいろなものが変わってしまう。終わらないで欲しいと思っていた文化祭が、終わってしまった。
「文化祭お疲れ様! かんぱ~い!」
陽も落ち始めた夕暮れ。私と菓子先輩、柿崎先生はpale‐greenに来ていた。柿崎先生のお言葉に甘えて打ち上げをするためである。ディナータイムにはちょっと早い時間。浅木先生は奥のテーブル席を予約席にしてくれていて、すぐにオードブルとノンアルコールカクテルを出してくれた。ジンジャーエールにザクロのシロップが入った“シャーリーテンプル”は、生姜がぴりりと効いていて大人の味。
「御厨さんと柚木さん、来られなくて残念だったわね」
「まあ、仕方ないですよ」
みくりちゃんは文化祭を見に来てくれていた彼氏とデート、柚木さんもお母さんと食事に行くそうだ。
わざわざ文化祭を見に来てくれた身内を大事にするのは当然だから、別に二人をうらめしく思う気持ちはない。まあ、うちの親は昨日来てくれたけど何も言わずに帰ってしまったし、私は他校に彼氏も友達もいないけれど。
憮然としながらノンアルコールカクテルを飲み干していると、菓子先輩がほっぺたをつついてきた。
「こむぎちゃん、ふたりが来ないからってすねないの。かわいい顔が台無しだぞ~」
「すねてないですっ。もとからこういう顔なんです! 菓子先輩こそふわふわして、ノンアルコールカクテルで酔っぱらってるんじゃないですか?」
「酔ってませんっ。私だってもともとです~」
私たちのやり取りを見て、柿崎先生が笑いをこらえている。
「仲いいのね、二人とも」
「はい~。こむぎちゃんはとってもかわいい後輩なんです」
「菓子先輩も、いい先輩ですよ……」
「こむぎちゃん、いいのよ、無理しなくて」
別に無理をして褒めたわけじゃなく、恥ずかしいからそっけない言い方になってしまっただけなのに。
「それにしても先生、結婚とお子さん、両方ともおめでとうございます」
菓子先輩がかしこまってお祝いを述べた時、私は先輩がまったく食べていないのを気付かれないように、チキンの骨やピクルスの串を菓子先輩のお皿に移している最中だった。
「あっ、今日は驚いてしまってすみませんでした……。私からもおめでとうございます」
慌ててお皿から手を離して頭を下げる。できちゃった結婚、なんて揶揄する言葉もあるけれど、ダブルでおめでたいことには変わりない。今目の前にいる先生のお腹に子供がいるなんて、しみじみ考えるとドギマギしてしまうけれど。
「ありがとう。実はね、既婚者の先生にはすぐ気付かれていたのよ。やっぱり出産経験のある女性の勘はするどいわよね~。でも私がやっぱり気まずくて、生徒には式をあげるまで内緒にしておきたいって言ってしまったの。まだ若い世代の生徒には気付かれないと思ったし、悪影響って言われるのも怖かったし……。教師なのにけしからん、って言う保護者がいないとも限らないからね……」
「古い考えの人はどこにでもいますからね。でも、生徒はみんな先生の味方ですよ。だから安心してくださいね」
「そうね、私も腹をくくって公表するわ。どうせお腹が大きくなったら、時期が合わないってバレることだったしね」
柿崎先生はさっぱりとした顔で宣言して、運ばれてきた料理を次々つまんでいる。食欲があるのは喜ばしいことだけど、つい最近までつわりだったはずなのでは。
「あの先生、前にお寿司屋さんの支部総会で何も食べられなかったって聞いたんですけど、それもつわりだったんですか?」
「え、そんなことまで噂になってたの? う~ん、生徒の情報網を甘く見ていたわ。かえって混乱を招いてしまってごめんなさいね。ええと、その時にはつわりはおさまっていたんだけど……」
「お寿司だったからダメだったんですね?」
説明に悩む先生から、菓子先輩がさっと言葉を引き継いだ。
「さすが百瀬さん。そう、魚に入っている水銀が胎児に良くないから、心配になっちゃって何も食べられなかったのよね。紅茶のカフェインもそう。一度妊娠初期に紅茶を飲んだらお腹が痛くなったことがあって、たまたまタイミングが悪かっただけだと思うんだけど、それ以来妊婦NGの食べ物には神経質なくらい気を遣うようになっちゃって。気にしすぎだとかえってストレスためるからって浅木先生にも怒られたんだけどね……」
なるほど、顔色が悪かったり弱々しかったのは、つわりだけじゃなくてストレスもあったのかもしれない。しかし今、気になる名前が出たせいで、先生の説明を咀嚼している余裕がなくなってしまった。
「なんで浅木先生が? 今でも連絡を取りあっていたんですか?」
「あっそうか、百瀬さんは妊娠は知っていても相手までは知らなかったのね」
「えっ、じゃあまさか、柿崎先生の結婚相手って」
何だか嫌な予感がする。心臓がドキドキして、一瞬で体温が上がるのを感じた。
「うん、浅木先生なの」
がん、と頭を殴られたような衝撃が走った。
「きゃーっ、そうなんですか!? 浅木先生ったら何も教えてくれないから! ちょっともう、浅木先生~!」
菓子先輩が嬌声をあげて、カウンターにいる浅木先生を呼ぶ。浅木先生はしきりに照れていて、柿崎先生と親しげな微笑みを交わしあっていた。
ああ、ほんとに、この二人は恋人同士なんだ……。子供も作って、結婚も約束して、私には想像もつかないくらいの高いところにいる、大人の関係なんだ……。この二人を見ていると、私の淡い片思いなんて、取るに足らない道ばたの石ころみたいに思える。柿崎先生の指に光っているダイヤモンドに比べたら、あまりにもぶかっこうで、幼稚で、安っぽい――誰かに蹴飛ばされたら消えてしまいそうな、私の恋。
菓子先輩がお手洗いに立って、私は柿崎先生と二人になった。何か話さなきゃと思っているのに、言葉が何も出てこない。笑顔も作れない。きっと先生は不審に思っている。
「小鳥遊さん。お祝いしてくれてありがとう」
「い、いいえ……」
「ごめんね。嫌な思いさせて」
「いえ、先生が不安で内緒にしていたのは、仕方ないと思います。みんな先生の具合が悪いのかと思って心配していたから、説明したらきっと安心します……」
「そうだったのね……。ありがとう。でもそれだけじゃなくて、こんなところで打ち明けてしまってごめんなさいね」
先生の申し訳なさそうな、心配そうな表情を見てはっとした。柿崎先生はきっと、私が浅木先生を好きだったことを悟ってしまったんだ。
誰にも言えなかった私の恋。同じ相手に恋してる人だから、気付かれた。だってきっと、私が浅木先生を見る瞳は、かつて柿崎先生にもあったものだから。
「先生……。見た目や雰囲気だけで好きになって、外向きの相手の顔しか知らないのに恋してるのって、やっぱりおかしいですよね」
柿崎先生の私を見る目があまりにも優しいから、今まで誰にも言えなかった不安な気持ちをぽろっと口に出していた。
「そんなことないと思う。私だって高校生の頃は見た目の好みだけで好きになってたわよ。相手が理想通りだったらさらに夢中になったし、なんか違うなって思ったら好きじゃなくなってた。みんなそんなものじゃないかしら。きっかけなんて何でもいいの。たくさんの答え合わせをして、だんだんと想いを育てていくのが大事なんじゃないかな」
「たくさんの……答え合わせ……」
それはきっと一人でしていくものじゃなくて、相手と一緒にできたらとても幸せなことで。私はきっと理想の王子様を浅木先生に当てはめていただけで、先生は私が生徒だから優しくしてくれただけ。それは全然答え合わせなんて言えない。
「それにね、実を言うと私、浅木先生のこと最初は全然好みじゃなかったのよ。ナヨっとした優男なんて頼りにならないって思ってたし」
「え……そうなんですか?」
「うん。意外でしょ? でも親しくなるうちに、こんな男らしい人はいないって思うようになってね。浅木先生が学校をやめるって言ったときも、不安なんてなかったから反対もしなかったの」
思い出すように遠くを見つめる柿崎先生の瞳には、きっと今までの二人の歴史が映っていて。それはきっと、私の半年の片思いでは太刀打ちできないくらいの大きな大きな想いの歴史――。
「……私も、いつかそんな恋がしたいです」
「できるわよぉ! まだ高校生なのよ? 若さいっぱい、未来もいっぱい、これから何でもできるのよ~? 教師をしているとあなたたちがうらやましく思えるもの。それに小鳥遊さんは可愛いし、共学の大学に行ったらモテモテよ、きっと」
「ほんとですか? なら、それを楽しみに受験を頑張ってみます」
やっと少し笑えた頃、菓子先輩が戻ってきた。ずいぶん長いトイレだったようだ。
「こむぎちゃん、柿崎先生とはお話できた?」
「はい。いろんなことを教えてくれて……」
「そっか。それなら良かった」
そう言った菓子先輩の声色も、横顔もいつもと違う気がする。少し悲しそうなのはどうして?
菓子先輩はもしかして、私の恋心に気付いていたのではないか? いつから――たぶん、浅木先生に初めて会った、あの最初の日から。そういえばいつもさりげなく、放課後にpale‐greenに誘ってくれていた。私が一人でも通えるようになってからは、逆に誘われることもなくなって……。
そうか、ずっと菓子先輩は、知らないふりをしながら応援してくれていたんだ――。
「よくがんばったわね」
私にしか聴こえない小さな声で菓子先輩が優しくささやく。座席の下で、手と手をそっとつないでくれた。
今日はベッドに入ったら、我慢せずに思いっきり泣こう。初めての失恋の弔いと、少し大人になったお祝いに。今日だけは浅木先生の夢を見るかもしれない。だけど明日からはきっと、新しく進んでゆける。
自分だけの石ころをダイヤモンドに育てる旅は、まだまだ始まったばかりなのだから。




