オシドリのアフタヌーンティー⑤
吹奏楽部のファンファーレが高らかに響き渡り、桃園高校文化祭が始まった。クラス出展の係は今日と明日の午前中にまとめてもらって、午後からは料理部のアフタヌーンティーに四人そろって専念できるようにした。
看板持ちや映画のフィルム回しをこなしたあと、ばたばたと調理室にかけこむ。菓子先輩はすでに準備を始めていた。
「すいません、遅くなって……っ」
「大丈夫大丈夫、余裕よ。それと、私が来たときにもう人が並んでいたから、整理券お渡ししちゃった。なんだか大盛況になりそうねえ」
るんるんとお湯を沸かしている先輩の頭には黒いリボンカチューシャ、いつもの割烹着ではなくアリス風の水色のエプロンを身に付けていた。何気に靴下もボーダーのニーハイソックスである。
「……なんか、似合いますね」
制服の上からでこのハマりっぷりなのだから、完全にコスプレさせたらどうなるんだろうか。
「でも一人だと恥ずかしいわ~。みんなも早く着替えてちょうだい」
私が時計ウサギ、みくりちゃんが帽子屋、柚木さんがチェシャ猫のカチューシャを身に付ける。エプロンもそれぞれのキャラに合わせて、白、黒、紫だ。
「テーマパークで浮かれた人みたい……」
うさぎの耳をつけた自分を鏡で確認して、ぞわぞわと鳥肌が立った。
「え~、似合ってるのに!」
「そうだよ、あたしのほうがひどい有様だよ……」
帽子屋のシルクハットが余裕で似合うみくりちゃんと、キャラに合わない猫耳を付けられてお通夜状態の柚木さんである。じゃんけんで決めたので誰も文句は言えない。
「まあ、手作り感満載だけど、これはこれで文化祭らしいんじゃないかな。楽しもうよ」
みくりちゃんにそう言われると、これはこれで楽しいのかもと思えてきた。うさぎの耳のカチューシャなんて、こんなことがなければ一生縁がなかっただろうし。
「そうだね」
こういうイベントは羞恥心を捨てて楽しんだもの勝ちなのだ。今までイベントというイベントを、雰囲気に染まり切れずに一歩引いて見ていた。斜に構えた自分はもうおしまい。今日は自分が主人公になったつもりで楽しもう。
「いらっしゃいませ~!」
開店と同時に、整理券を配っておいたお客様がぞろぞろとなだれ込んで来た。最初のお客様は、生徒の保護者という感じの上品なご婦人たち。
「まあ、不思議の国のアリスがモチーフなのね、かわいいわ」
「ドアにも薔薇の花をつけてアーチ風にしてあるのね」
調理室の内装を見て喜んでくれている。毎日遅くまで頑張ったかいがあった。壁にもペーパーフラワーを貼って白薔薇と赤薔薇の木を作り、本物のトランプも至るところに貼りつけた。仕切りとして置いたホワイトボードには、トランプの兵隊の絵が描いてある。
「まあ、アリスそっくり。美人さんね~」
ご婦人たちはアリスに扮装した菓子先輩に釘付けだった。菓子先輩はにっこりスマイルを崩さず、「娘に見せたいから一緒に写真撮ってもらっていいかしら」というお願いも快く引き受けている。
「あなたは、うさぎさんね。よく似合ってるわ~、かわいいわね」
優しいご婦人たちは私たちのことも平等に褒めてくれた。お世辞だと分かっていても、かわいいと褒められると顔が熱くなってしまう。
「あ、あ、ありがとうございます」
「席はどこでもいいのかしら?」
「はい。テーブルクロスとナプキンが用意してあるので、お好きな席にお座りください」
テーブルクロスは、テーブル全体を覆う大きなものがいくつかあったのでそれを利用した。ナプキンは薔薇の形になるように折ってある。うまくできるまで難しかったけれど、お客様が喜んでいる姿を見たら苦労も吹っ飛んでしまった。
「みなさま席には着かれたでしょうか? ではこれから、料理部主催アフタヌーンティーの第一回目を始めます。まず、みなさまに紅茶のおいしい淹れ方をご説明したいと思います」
菓子先輩が黒板を使って説明している間に、一年生の私たちが紅茶の銘柄の注文を訊き、ティーポットを持って注いで回る。
「香りと色の違いも楽しんでくださいね」
紅茶が行き渡ったら、いよいよ三段重ねのケーキスタンドの出番だ。
「今回は伝統的な三段重ねのケーキスタンドをご用意しました。メニューは、上の段からスコーン、アップルパイ、サンドイッチです」
お客様の前にスタンドを置くと、わあ、と歓声があがった。
「まあ、スコーンの形がかわいい! この薔薇のお菓子はアップルパイなの?」
「はい。細長いパイ生地に薄く切ったりんごを並べてくるくる巻くと、薔薇の形のアップルパイになるんです」
「まあすごい……。高校の料理部って本格的なのねえ」
綺麗な薔薇に見えるように、りんごは食紅で赤く着色してある。今回のメニューで一番こだわった力作がこのアップルパイだ。
教壇の上では、菓子先輩が英国アフタヌーンティーの歴史を説明している。あとはもう、私たちは紅茶のおかわりを注いで回るだけだ。
「――最後までご清聴ありがとうございます。あとはごゆっくりご歓談ください」
ふう、と息をついて菓子先輩が調理場に戻って来る。
「菓子先輩、お疲れ様です。講義すごく良かったです」
「一回も詰まらなかったし、完璧でした」
「お客さんもすごく感心してましたよ」
みんなが口々に褒める。菓子先輩は疲れた顔でふにゃ、と笑った。
「ありがとう~。でもやっぱりちょっと緊張したわ~」
「台本を見ないであそこまで出来るんだから大したものですよ」
私だったら、緊張のあまり最初の一文さえ忘れそうだ。やっぱり美人は人前に出るのが得意なのだろうか。
「だって毎日遅くまで練習していたもの。昨日はなかなか眠れなかったし」
菓子先輩はパーフェクトに見えるけれど、最初から完璧なのではなく人知れず努力しているということか。
「菓子先輩も人の子なんですね。なんかちょっと安心しました」
「こむぎちゃん、どういう意味かしら」
先輩がむぅ、と頬をふくらませる。
「そのままの意味です。あ、今のうちに喉を潤しておいたほうがいいんじゃないですか? この紅茶、カップに注いであげます」
「む~。それもそうね」
さりげなく菓子先輩を誘導すると、私の注いだダージリンを飲み干してくれた。先輩が飲み食いしているところを見ると少し安心する。
一時間ごとの入れ替え制で、一日二回。長かった一日目のアフタヌーンティーが終わった。
「お疲れ様~!」
お客様を送り出したあと、みんなでハイタッチをした。なんだか私、柄にもなく青春っぽいことしてる。心の奥がむずむずするけれど、思わず叫びそうになるような不思議な嬉しい感覚があった。
「大好評だったわね、明日も頑張りましょう」
菓子先輩もみんなも、なんだか高揚した顔をしている。部活の連帯感と達成感ってこんな感じだったんだなと、中学から憧れていたものがやっと手に入った感じ。
後片付けをすませて、あとは各自のクラスに戻ることにした。もうすぐ校内放送が流れて、一日目の文化祭も終わる。放課後はまた明日のための準備があるから、いつまでも感慨にふけってはいられない。
「明日のアフタヌーンティー、百瀬先輩が提案したこと、大丈夫かな」
クラスに戻る途中、みくりちゃんが不安そうにぽつりとつぶやいた。
「菓子先輩がそうしようって言ったんだから、きっと何か理由があるんだと思う。心配しなくて大丈夫だよ、きっと」
「そっか」
私がきっぱり言い切ると、みくりちゃんが優しい眼差しでこちらを見ていた。
「どうしたの?」
「ううん。すごく信頼してるんだな~って思って、百瀬先輩のこと。先輩はこむぎちゃんみたいな後輩を持って幸せだね」
「……そうだといいな」
私が菓子先輩を特別に思うのと同じくらい、ううん、少しでもいいから、先輩にも私のことを特別な後輩だって思っていて欲しい。そう願うのは、わがままなことなのかな。
たくさんの嬉しさとほんのちょっぴりの寂しさを残したまま、文化祭一日目が終了した。




