一匹狼の親孝行サンド④
ピーチ通りから何本か裏通りに入った柚木さんの家は、濃いベージュの二階建てアパートだった。近くに公園や保育園があるから、家族向けな感じ。子どもの遊ぶ声や小学生の下校の声が響いていて、のどかな夕方の住宅街だった。
「いらっしゃ~い」
ピンポンを押してすぐ明るく出迎えてくれた柚木さんは、Tシャツにショートパンツと部屋着モード。スタイルがいいからシンプルな服装でもキマッていてうらやましい。
「わざわざありがとうね~。良かったらあがってお茶でも飲んで行ってよ」
玄関先で本とお菓子だけ渡して帰ろうと思っていたので、さらっと招き入れてくれた柚木さんに面食らう。
「えっ、柚木さんと菓子先輩は初対面なのに? あとお母さん、うるさくしちゃうと身体にさわるんじゃ」
「だいじょぶだいじょぶ~。動けないだけで、身体は元気だから。お客さん来ると喜ぶからさ、うちの母」
「じゃあ、少しだけ……」
遠慮しつつも、友達の家に遊びに行くという経験があまりないため、内心わくわくしていた。玄関に上がって所在無げにそわそわしていたら、菓子先輩は落ち着いた所作で靴をきちんと揃えていた。うっ、見習わねば。
広めの2DK……なのかな? 通された玄関はダイニングキッチンと続いていて、奥にドアがふたつ見えた。そのうちのひとつをノックして、柚木さんが声をかけている。
「お母さ~ん? 友達が来てくれたから上がってもらったよ。うんそう、今日休んだから心配して。……あ~、だいじょぶ、お茶くらいあたしでもできるから! え、お茶菓子? あ~はいはい、わかった」
とりあえず座って、お茶淹れるからと促されたので、ダイニングの椅子に腰かける。柚木さんは食器棚を開けながら、「ティーポットどこだっけ……ふだん使わないからな……」とつぶやいている。何か手伝ったほうが良いのだろうか。
「母、挨拶したかったみたいだけど今動けないっぽい」
「お母さま大丈夫なの? あっ、ティーポットならそれかしら」
菓子先輩が柚木さんの後ろにすっと立って、棚の奥からティーポットを見つけ出してきた。
「あ、すみません。えっと……、カノコ先輩?」
「ご挨拶が遅れてごめんなさいね、私三年の百瀬菓子です。いつもこむぎちゃんがお世話になっています」
うやうやしくお辞儀する先輩は、部活の先輩というより、家庭訪問に来た先生に挨拶するときのお母さんのようだった。
「いや、特に何もお世話していないけど! 小鳥遊さんとこの先輩もちょっとずれてるよ!」
柚木さんは笑い上戸なのだろうか、今回もツボにはまったようで手をばんばん叩きながら笑っている。菓子先輩は動じず、にっこり微笑みながら紅茶の茶葉まで発見していた。
どうしたらいいのか分からず、椅子に座ったままゆらゆらしているだけの私。どこに何があるのか自分の家なのに分からない柚木さん。菓子先輩は、この二人は役にたたないと早々に判断したようで、ほぼ一人でお茶の準備を進めていく。
「なんかすみません、お茶まで先輩に用意してもらっちゃって」
柚木さんも長いものには巻かれる、もとい、お母さん属性の先輩にはおとなしく従うタイプだったようで、手伝うのは諦めて私の隣に座ってきた。
「いえいえ。茶葉で紅茶を淹れるのって、意外と面倒ですもんねえ」
「そうそう、うちもふだんティーバッグしか使わなくて、ポットとか茶葉はしまいこんであるだけなんだよね。母がよく飲むのはインスタントコーヒーだし」
「私もそうかな~。菓子先輩に紅茶の淹れ方教わってからは自分でも淹れるようになったけど、朝とかは面倒でほとんどティーバッグ」
「百瀬先輩のとこは、なんか高価そうなティーポットで毎朝紅茶飲んでいそうだよね」
「私もそう思う……」
「あ、そうそう。お茶菓子が今おせんべいしかないみたいで。いくらなんでも、せんべいは紅茶に合わないよね~」
ポットにお湯を入れ終わった菓子先輩が、カップと共にお盆に載せて持ってくる。
「大丈夫、実はこんなこともあろうかと思って、多めにスコーンを持ってきたの。この茶葉フォションのアップルだったから、きっとすごく合うわよ」
「……なんかいい茶葉だったの? もらいものなんだけど、よく知らなくて」
柚木さんがこそこそ耳打ちしてくる。
「フランスの、けっこう高級な紅茶メーカーだったと思う……」
私も日常的に飲んでいるわけじゃないけれど、名前だけは知っていた。たしかアップルティーが有名なんだっけ。
「まじか~。腐らせる前に見つけてもらって良かったかも」
菓子先輩は小皿にスコーンを盛り付けて、クロテッドクリームとアプリコットジャムを添えた。
そうこうしているうちに紅茶が蒸らし終わったので、優雅な手つきでルビー色の液体をカップに注いでいく。
夕暮れの住宅街が今、菓子先輩の手によってヴィクトリア時代のアフタヌーンティーへ……、とはならなかったけれど、なんだかちょっとお上品な気持ちにはなり、柚木さんと私はおしゃべりを止めて菓子先輩の給仕をじっと見守っていた。
「お待たせ。紅茶がさめないうちにいただきましょ。スコーンは紅茶とプレーンの二種類。クロテッドクリームとアプリコットジャムを、好きなようにつけて召し上がってね」
さすがフォション。アップルティーは香りも風味もふだん飲んでいるティーバックとは段違いだった。オーブントースターで軽くあたためたスコーンは、生地がよくなじんでクリームとよく合う。焼き立てとはまた違ったおいしさ。
「わ、さくさくほろほろしてる! 生地がしっかりしてておいしい! アプリコットってあんず? こんなジャムあるんだ、へえ~……。んっ、クロテッドクリームうまっ! 生クリームみたいなものかと思ったら全然違うんだね、クリームチーズに近い感じ?」
柚木さんは一口食べるごとに新鮮な反応を返してくれ、菓子先輩とスコーンを焼いた私は嬉しくなってしまう。こういうのが作り手の特権なんだろうなあ。
「そうだね、クリームチーズを甘くした感じに近いけど、もっとこっくりした感じかも。クロテッドクリームって作るのは大変だから、これは市販のなんだ。あ、ジャムは菓子先輩の手作りだよ」
「売ってるジャムよりおいしいよ、これ。スコーンも、ケーキ屋とかでたまに見たことあるけど、買ったことはなかったなあ。クッキーとは違って食べごたえがあっておいしいね、これ。あたし好みかも」
「イギリスのアフタヌーンティーの定番よ。お菓子というより軽食に近いのかしら。コーンなんかを入れたしょっぱいスコーンもあるし、朝ごはんにもオススメよ。簡単だからお菓子初心者でも失敗は少ないし、気にいったならレシピあげましょうか?」
菓子先輩はさりげなく、自分の分のスコーンを私と柚木さんのお皿に移していた。むっと睨むと、口の動きだけで「ごめんね」と言われたので許してあげる。スコーンがたくさん食べられるのは嬉しいからで、私が菓子先輩に甘いわけでは決してない。
「そうだよね……これからは料理くらいできないとなあ……」
柚木さんの表情がすっと暗くなる。
「うちの母さ、椎間板ヘルニアだったんだ。今日の朝いきなり動けなくなるまであたし、腰が痛かったなんて全然知らなくて。母が勤務してる病院に連れて行ったんだけど、医者の話だと、ずっと傷みを我慢して仕事していたんだろうって。今度検査入院することになって、場合によっては手術になるかもしれない」
「そうだったんだ……」
いつも溌剌としている柚木さんの声は沈んでいて、今まではから元気だったのだと分かった。本当はお母さんが心配で、体調の悪さに気付けなかった自分をずっと責めていたに違いない。私たちが来るまでずっと。
「掃除とか洗濯はさ、今まで手伝ってきたから何とかなるんだけど、料理はダメだね……。お昼に何か作ろうと思ったんだけど、なんか焦げたようなケチャップ味のパスタしかできなかった」
ナポリタンでも作ろうとしたのだろうか。パスタを焦がすとはなかなかレベルの高い料理オンチである。
「母の料理を手抜き料理ってバカにしてたあたしがバカみたい。そんな手抜き料理すらできないし、母はこれを仕事しながら毎日やってたんだなって考えると……」
「柚木さん……。私も自分で料理してみるまでお母さんのありがたみなんて分からなかったよ、柚木さんは毎日お手伝いしていてすごいよ」
それは慰めじゃなく本音だった。私は家事なんて休みの日に自分の部屋を片付けるくらいで、ほとんどお母さんに任せっきりだった。もしお母さんが病気になったら、洗濯機の使い方も分からなくて大惨事になりそう。
「そんなことないよ、二人きりだからやむにやまれずでやっているだけ。あ~、明日からご飯とお弁当どうしよう……。毎日コンビニじゃお金足りなくなるよ……」
こんなとき友達ならどうしたらいいのだろうか。毎日おにぎりを作って持って行く? いや、それじゃ柚木さんが遠慮してしまうだろう。ここにいるのが私じゃなくて、もっとちゃんとした友達だったら、柚木さんに元気を出してもらうこともできたのだろうか。
「なんで小鳥遊さんまでどんよりしてるのさ~」
「いやあの、ごめん……」
「私こそ暗い話しちゃってごめん。柄にもなく落ち込んじゃった。大丈夫だからさ、気にしないでよ」
そうは言われても、ここまで聞いて何もできないなんて。
「柚木さん、これは?」
菓子先輩が台所の隅に置いてある大きい箱を示す。
「あ~、なんか母が忘年会で当ててもらってきたけど使ってないやつ」
「ちょうどいいわ、これなら柚木さんでも簡単な朝食とお弁当が作れるわよ」
菓子先輩は立ち上がり、いそいそと箱の中身を取り出し始めた。
「菓子先輩、それって」
「ホットサンドメーカーよ。これがあれば主食もおやつも思いのままの、魔法の機械よ」




