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彼女たちの学校

不器用くんと運動会

作者: 依

 

 俺は、西条幸太。勉強も運動も大してできないし、歌も上手くないし、絵も上手くないし、友達って言えるのは幼馴染の勝之江里だけだ。

 柿菅小学校3年になりたての春。人数が少ないこの学校で、もうクラスの仲良しグループは決まりきっている。そんなわけで、俺にはもう為すすべがない。

「はぁ〜…」

 休み時間。思い返して大きくため息をついた。俺の取り柄と言えば、目が良いくらいだ。3年にもなると、みんなゲーム中毒で黒板の文字がぼやけるくらい当然なもので、お陰でみんなに追いやられ、一番後ろがおれの指定席だ。

「こーぅた!!」

「痛っ…」

 頭を強く叩かれて振り返ると手をひらひらさせた江里がからかうようにニヤッと笑った。

「なんだよ–。」

「なんだよじゃないでしょ!休み時間にぼーっとしてんなよ、友達くらい作ったらどうなの。もー見てて可哀想になっちゃって…。」

 そう言うと江里はやれやれと首を振った。

「んー…別に?っうわ」

 江里は今度は俺の頭をぎゅっと抑え込んで叫んだ。

「別にじゃな〜い〜の〜!!」

 クラス全員が振り向くぐらいの大声で。

 休み時間で少なかったとはいえ、大勢の視線に囲まれて俺は縮こまった。

(変に目立つのは勘弁なんだよ〜…)

「あ、ちょっと!逃げんな、待てー!」

 江里の手から逃れた俺のことを、手探りで追いながら江里はまたもや大声で叫んだ。

 

 友達が欲しい。

 それは誰だって思うこと。誰かと一緒だとなんでも安心するから。宿題を忘れて怒られるのも、出来の悪い成績表も。変な孤独感を感じることもない。

 ただ、俺は一緒にいるだけの『友達』は欲しくなかった。

 江里と俺みたいな、同じ立場にいなくても自然に話せて、俺のことを考えてくれる感じがいい。

(って、なにいってんだよ…。江里だけか!俺は…!)

(でも、実際そうなんだよなぁ。)

「…江里が居なきゃ俺生きていけないかも。」

 木曜日の放課後、親のいない家に帰りたくなくて図書室で机に顔を伏せながら1人興味もない絵本をめくる。

「なっ~~~~~!!」

 まぶたを開けると変に力んだ顔の江里がいた。

「え…」

「え、じゃないし!何なのよそれ。幸太は!もっと積極的にならなくちゃ…」

 江里はイライラしていた。口に出さなくてもそれはわかる。長年見てきた幼馴染の顔だ。

「イライラしてるでしょ。」

 明らかに顔が歪んでいく江里を前に思わずそう呟くと間髪開けずに江里が机を叩いて立ち上がった。

「そりゃそうだよ!幸太、ウチら中学は違うかもなんだよ!幸太だって男友達も欲しいでしょ?運動神経悪いけど団体競技好きでしょ?…見てればわかるんだから。」

「なんなの急に。」

 本当に急すぎる。江里は俺の何をそんなに気にかけているだろうか。

「別にー。」

 江里が顔を背けるとゆるいカールのかかった癖っ毛がしゅるっと揺れた。

 俺は絵本を棚に戻して立ち上がった。

「一緒に帰ろか。」

「うん!」

(いつか江里以外にこう言える日は来るのかな…)

 江里と図書室を後にして、そんな事を考えた。


「えっとー…もうすぐ運動会なので、出る種目を決めたいと思います。」

 金曜日、代表委員の縁野由加里が教卓の前に立って手に持った紙を読み上げるようにそう言った。

(運動会かぁー…俺には関係ないかも。)

 俺は朝から続いてる眠気に従って、机に突っ伏して目を閉じた。


 ………

「…っと、あと残ってるのは、、西条くん?」

 うっすら聞こえた自分の名前にほんの少しまぶたを開ける。そして次の瞬間、飛び起きた。

 江里の大声が聞こえたからだ。

 俺が寝ているのに気づいた江里は、糸が切れたように立ち上がった。

「幸太!!起きろ馬鹿!運動出来ないからって…少しくらい関心持ちなよ!」

 慌てて起き上がった俺は自分の髪に寝癖がついていることも気づかずに、江里を見つめたまま固まった。

「きっつー、、」

「言い過ぎじゃん?勝之ってさ、絶対西条にストレスぶつけてるよね…」

 そんな陰口も聞こえるくらいに。

 それを聞いて一番最初に思ったことは、(名前覚えててくれたんだ…)だった。

(いかんいかん…)

 俺は静まり返った教室でゆっくり立ち上がって一番前の右端の席にいる江里にほんの少し笑いかけてこう言った。

「ありがとう。」

 すると江里は恥ずかしそうに顔をそらした。

 俺は今度は縁野さんに向き直って聞いてみた。

「ごめん。俺はなんの種目かな?」

「あ…えっと、短距離走だよ。50メートル。」

「ありがとう。」

 俺が席に座ると周りから変な視線を感じた。

「俺、西条の普通に喋ってる声初めて聞いたかも。」

「えりりんと喋ってる時以外の声は聞いたの初めてー。」

「つか、俺とか言うんだね。」

(そうか、俺ってそんなに喋らないのか。江里としか…。)

「それじゃあ決まりね。あと、再来週の水曜日に50メートルのタイム測って、リレー選手決めるから。」

 うわー、まじかー、とみんなの声が聞こえて来る。

 俺もこういう風に声を出せばいいのだろうか。


 土曜日。悪いが暇で暇でたまらない。ゲームも漫画も本もない。宿題はやりたくない。江里はまだ寝てるだろうし、携帯も持ってないし、テレビは好きじゃない。試しにCDをかけてみた。お父さんがいつも聞いてるやつだ。

(うわ、つまんないやめよ。)

 流れ出したのはかなり古っぽい英語の歌だった。

 停止させるともう一度布団にダイブした。

「はぁ…」


「幸太?なーにこんなに朝早く。」

「早くないよ。9時だもん。」

 俺は体育着を着て、江里の家の前で走る振りをしていた。

「で?なに?」

 パジャマ姿のまま玄関から顔を出した江里はどう見ても寝起きだった。

「俺、練習しようと思うんだ。足、遅いから。」

「はぁ!?」

 江里は勢いよくドアを開けて前につんのめった。

 どしゃっと音を立てて倒れ込んだ江里に驚いて近寄って手を差し出す。

「大丈夫?」

「ん、へーき。」

 江里は俺の手を使わないで立ち上がると、手を叩く真似をして俺の顔を見た。

「えっとー、江里足速いし付き合ってもらおうかと思ったんだけど…やめとくよ。」

 俺はそう言うと向きを変えて走り出そうとした。

「なんでよ。速い人と走った方が速くなるって知らないの?」

「でも…」

「待ってて。着替えて来る。」

 江里は家の中に入ると、俺は走り出した。


「お待たせー。って、いないじゃん。」

 江里は緩くカールしたポニーテールを揺らすと走り出した。

(追いついてやる!)


「はぁ…はあ…はあ…は…も…無理…はあ…」

「まだ公園半周もしてないのにそれはないでしょ?」

「え!」

「江里っ…なんで…」

 俺の家から300メートルほど離れた大きな公園、やっとの思いでそこにたどり着いた俺に追いついた江里が軽く声をかける。

「なんでって、練習はここからでしょ?この程度で疲れてちゃ短距離もスピード出せないじゃん?」

 だんだんと速度を落として歩き出した俺につられたのか江里もゆっくりした足取りで公園を進む。

「はぁ…はぁ…そうじゃなくて、なんでここまできたの?」

「誘ったのは幸太でしょ!」

「う…まぁ…そうだけど。」

「それじゃあ練習始めるよ。」

 江里はそう言うと早速走り出した。

「あ、ちょっと待って!…こっち1周で100メートルなんだ。」

 俺は少し離れた円形の散歩道を指差した。

「わかった。行こう。」


「タイムっ…12秒66…。」

 遅っ。

 俺ははあはあ息をこぼしながら江里に苦笑いを向けた。

「遅っ!どーしたらそんな遅く走れんのよ。」

(知らない…俺だって精一杯なのに。)

「とりあえず、今日から毎朝特訓よ!体力つけなきゃ話になんない。」

「えーー。」


 それから、地獄のような特訓が始まった。


「ほら、スピード落とさない!」

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「馬鹿、止まるな!」

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「もう一周!」

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「はあ…はあ…はぁ…はあ…はあはあ…はぁ…はあ…」

 朝から100メートルトラック5周。そんな俺と一緒に走ってるはずの江里は5分ほどの休憩でまた走ろうと言い出した。

「ほら、時間もったいないでしょ?」

「待って…まだ…無理だって…はあはあ…」

 その時だ。

「おーい。江里!…と、幸太か?」

 公園中に響くような大声と、走ってくる足音に振り向くと、ちょうど江里も走り出すところだった。

「結喜!ちょうどよかった。練習付き合ってよ。」

 俺は開いた口を塞ぐのに苦労した。

「よ!頑張ってんな。」

 龍野結喜。クラスで一番に足が速い男子で、みんなの中心的人物。けど馴れ馴れしく、不思議と話しやすくて、俺も一度か二度は言葉を交わしたことがあった。

「ゆ、結喜。」

「聞いたぞ、練習してんだってな、俺も混ぜてよ。」

 結喜は俺たちの前で腰を下ろすと面白そうにそう言った。

「でもそう言えば、結喜長距離じゃん。」

「走ることには変わりないじゃん?」

 江里が思い出したとばかりに訊ねると間髪入れずに結喜も返す。

「あのー、俺は別にいいんだけど。」

(むしろ仲良くなれるチャンスというか…)

「じゃあ決まりな!」


「それじゃあまずは幸太の実力を見てもらおうよ!」

「ええっ!」

 というわけで。

「よーい!どん!」

 ………

「タイム、9秒4!ええええええ!!!」

 江里ははっきりと俺のタイムを言った後にストップウォッチにこれでもかというくらい顔を近づけて叫びまくった。

「へえ、幸太結構速いじゃん。」

「うそぉ!!!!先週12秒だったのに!」

「マジかよ!宝の持ち腐れじゃん!」

 俺は震える足を無理やり押さえつけて呼吸を整えた。だが、一度高鳴った鼓動はどうしても治ろうとしなかった。

(上がった!俺、早く走れた。まだ肌がチリチリしてる。生まれて初めて、速いって言われた!これも、江里のおかげ…)

「あの…俺、もっと早くなれるかな?」

「なれるなれる!」

「よろしくなー幸太ー。」

 肩に組まれた手が、どうしようもなく暖かいものに思えた。それはきっと、俺がこんなのだから。

 運動会でいい結果を残せたら…


(何かが変わる気がする。)


 日曜日、俺たち3人は、朝から公園に集まっていた。

「それじゃあ最後にタイム測るよ!ついでにウチと結喜も!」

 そう言って江里は俺を見る。

「準備は?」「オーケー。」

「よっし。位置についてーー」


 …………


 次の日、月曜日。これは大変なことだ。

 始まりは今日の朝。

「おはよ…。」

(あれ?)

 やけに教室が静かだった。何かあったのかと、不思議とランドセルを握る手に力がこもった。

 一番後ろの席に腰をかけると、違和感の正体はすぐにわかった。

(江里がいない。結喜も!)

 いつも輪の中心にいる2人がいなくては、こう静かになるのも頷ける。

「あのさ…」

「え?」

 天井南。よく江里と一緒にいる女子の1人だ。俺に話しかけるなんて何事だろう。

「江里、って、今日どうしたのか知らないかな?」

(そっか。俺なら知ってると。ってそう言えば)

「朝。」

「?」

「朝に顔を見たんだ。すぐに行くって言ってたけど、顔色悪かったから休むことにしたのかもしれない。」

 俺は自分でも考えをまとめながらそう言った。

(でもどうしよう。江里が居ないんじゃ俺なんもできないや。)

「そ、そうなんだ。ありがとう。」

「…うん。」

 天井さんは、すぐに自分の席に戻った。


(どうしよう。今日リレー選手決める日なのに…。足の速い2人がいないんじゃ、今日決めてもあんまり速いチームができる気がしないし…、ほかに速い子いなかったかなぁ。)

 教室の片隅、学級委員会副委員長、縁野由加里はそんなことを考えた。


 体育の時間。

 半袖短パンに身を包んで、暖かくなってきた校庭に座り込む。

 眩しい。まだ春だというのに…。

 俺は短い前髪を引っ張りながら少し首を上に向けた。

「ーーーーー次!西条!」

「え?あ、はい!!」

(どうしよう…なんでだろう、ドキドキする。だ、大丈夫だよな。練習のときはあんなに早く走れたんだし。)

 高鳴る胸を押さえながらラインの上に立つ。

「位置について!用意…」

 ピーーーー!と笛の音が響く。走り出した俺は、体が浮きそうな感覚に驚いていた。

(体、軽い!いけるかも…)


 ふっと体がラインを超える。と同時に、俺の靴は空を蹴った。

「うわぁぁぁぁあああ!!!」

 どシゃー、と音を立てて俺は砂に滑り込んだ。

「ちょっと大丈夫?西条、くん…。」

 俺が土色に染まった体操服を持ち上げて苦い顔をしていると、記録係をしていた天井さんが慌てて寄ってきた。

 俺は立ち上がって足の砂を払うと、にっこり微笑んだ。

「あー、大丈夫。ありがと。」

「っていうかぁあ!」

「え、何。びっくりした…」

「西条速くない???ってか速すぎだよ!!」

 天井さんはいきなり距離を詰めると、ストップウォッチを押し付けて叫んだ。

「え?」「え?」

 受け取ったストップウォッチに目を移す。

「…7秒06ぅうううぅぅぅぇぇええええええ!!!!」

 俺はストップウォッチを放り投げてみんなの座っている50メートル前のラインまで一目散に走っていった。

「え、ちょっと西条!」


「はぁ…はあ…はぁ…はあ……」

 俺はみんなの視線から身を守るようにしゃがみこむと、顔を押さえて後ろを向いた。

(マジで、まじ…7秒いった。俺、速くなったぁ…感動(震)

 。。。速く帰って江里に言いたい!あとゆ、結喜も!)

「次!龍野…って、休みか。じゃあーーーー」


「ーーーーーー次女子!天井!」

「はぁあい!」

 俺は蛇口をひねりながら振り返った。

(天井さんは確か去年もリレー選だったよな…)

「よーい…」

 ダッ

 天井さんが走り出した。

 俺は水を飲むのをやめてよく見ようと少し横から覗き込んだ。

「ゴール!天井さん、8秒06!」

 遠くで先生の声が聞こえる。

 みんなの歓声が聞こえる。天井はやっぱリレー選だよな、とか。すごーい、とか。

(ほんと…)

「…すごいや。」

「何がよ。」

「だって8秒だよ?あ、天井さん。もう戻ってきたの?」

「…あんただって風の如く去っていったくせに。」

 天井さんは少し息を荒くしながら悔しそうに笑った。それから少し間を置くと、もう一度口を開いた。

「ねえ、どうしたらそんなにタイム伸びるの?」

「え…と。江里と走る練習したんだ。」

「へえ…」

 そう言うと天井さんはさっさと自分の列に戻っていった。

 一方俺は。

(やばい…江里以外と初めてこんなに喋った!感激…!でも、江里も居たらおんなじようなこと言っただろうな…)

 江里!



「早く会いたい…。」

「誰にだよ〜!恋してんのか?後輩!」

(しまった。ここ廊下…)

 昼休みに図書室へ向かう途中、思わず溢れた言葉に一年上の…仁科攻弟(名札見た)がうるさいほどに反応した。

「い、いや、別にそんなんじゃないです。俺、図書室行きますから。」

 そう言って歩き出そうすると、仁科先輩は極々自然についてきた。

「あのーなんでついてくるんですか?」

「あ!俺?俺はね〜。図書委員だから。」

 仁科先輩は、あくまで陽気に答えた。

「…マジですか?」

「マジでーす!」

 仁科先輩はあくまでにっこり笑って繰り返した。

「そう…ですか。」

 俺は気にせず歩き出すことにした。


 開いた窓から、校庭で遊ぶ児童達のはしゃぎ声がよく聞こえていた。そして、

「ねーねー、君よく図書室居るよね。本好きなの?ねえ好きなの?」

「え…いや…」

「違うか!君つまんなそうに絵本めくってるだけだもんな、ああ!」

「あの…」

「友達居ないのか!」


 さすがにカチンときた。

「俺に構わないでください」

 目の前に迫った図書室のドアを強めに開いてさっさと閉めた。

(人が居るところが息苦しくて図書室まで来たのに、図書委員に顔を覚えられたら意味ないじゃん…)

「おいおい後は…!?」

 仁科先輩の声が途中で途切れた。同時に、ドスンという大きな音が聞こえてくる。

「?」

 不思議に思って顔を出すと、何故かドアの前に立って居たのは先輩ではなく、なにやら息を切らした様子の江里だった。

「江里…?」

「こぉぉおおううたぁぁぁぁああ!!!!」

「うわっ…」

 江里は開けたドアから勢い良く俺に飛びつくと、高ぶった声で言う。

「良かったね!」

「江里?」

 江里のポニーテールが風に晒されてゆったりとなびいた。

「あ」

 俺がドアの前に立った結喜に気づいて声をもらすと、江里がびくっと固まった。

「おっと、邪魔したか?」

「ゆゆゆゆゆゆゆゆうき?」

 江里が俺にしがみついたまま首を向けると、その様子を見ていた結喜は耐えきれなくなったようで大袈裟に吹き出した。

「何よ!」

「まあまあ江里、離してやれ。困ってるから」

「あ…ごめん。」

 俺はとりあえず状況を整理しようとした。

「あの、二人は休みじゃ?」

「ウチは気分悪かったけど治ったから来たの!」

 続いて結喜が口を開く。

「俺は用事でもともとこの時間に来る予定だった。」

「そ、そうなんだ…」

(あ…今日の事、言わないと!)

「江里、あのさ俺っ…」

「おめでとう。」

 え?

 結喜の顔をみる。

「由加里から聞いたよ。速かったんだってな。」

「うん…あ!でも結喜と江里は」

「放課後走れって言われた。せっかく来たんだからって由加里に。」

 結喜の方を見ていると近くで江里が声を出した。

「そっか。」

「言っとくけど幸太!負けないから。」

「俺も意外と速いからな。」

 江里、結喜が次々とそんなことを言ってくる。

「知ってるよっ!!!」


「あー、悪いな君達。図書室では静かにして貰おうか!」

 江里に突き飛ばされたらしい(あとで聞いた)仁科先輩が苦々しい顔で図書室に入ってくる。

「あ、ごめんなさい。ってちょっと!」

 俺がそう言う間に二人はさっさと図書室を出ていっていた。

「…友達を作るには、助けを求めるのが一番だぜ。」

 俺も追いかけて出ようとした瞬間に、仁科先輩のそんな声が聞こえた…気がした。


「お父さん!」

 家に帰って勢い良くドアを閉めると、お父さんの寝室に飛び込んだ。

「なんだよ幸太…父さん寝てるんだよ」

「俺リレー選になった!」

 …

「うるせえよ…」

 お父さんは気にすること無く布団の上で寝返りを打つ。

「ちょっとは気にしてよ!自分の子だよ!」

「うるせえ…父さんの子なんだから速いのは当たり前だろ」

「…。」

 普通は頑張ったことに対して当たり前とか言われたら怒るだろうが、俺は江里や結喜と同じところに立てた気がして、なんだかどうしようもなく、ただその言葉が嬉しかった。

「うん。」


 少し遡る。

「江里!昨日は」

「7秒12。」

「え?」

「7秒!いちにいぃ!」

「江里…?」

 今朝は、登校すると、ランドセルを背負ったまま江里に駆け寄った。が、その時はなにを言っても7秒12としか言ってくれなかった。


「なあ結喜、」

「あぁ、幸太か。悔しいけどお前には負けたよ。」

「え?」

「俺のタイム7秒1だったんだ。」

「すごっ…」

「すごっじゃねーよ。お前のほうが速いじゃねーか。」

「マジ?」

「7秒06だったって。」

「速っ!」

「同感。」

 チャイムが鳴ると、「じゃ、」と言って結喜は席に戻って行った。

 今思うと、江里は俺に勝てなくて悔しかったのかもしれない。運動で江里に勝てるなんて、考えたこともなかった。


「えー、じゃあ今年のリレー選手と補欠の人を発表します。呼ばれた人は立ってください。」

 縁野さんが声をあげると、途端に教室は騒がしくなる。

「まずリレー選手!男子、相坂壮介くん!」

 おおっと声が上がって相坂くんが頭をかきながら立ち上がった。相坂くんも割と足が速くて、確か一昨年まではリレー選手だったはずだ。去年はどうしたんだったか。

「西条幸太くん!」

(え?)

 信じられなくて問い返した。

「え?」

「えじゃなくて立て!幸太、良かったな。」

 結喜がそう言うと俺はやっと理解してよろよろと立ち上がる。

「マジで?西条ってめっちゃ足遅くなかったっけ。」

「でも昨日の50メートルやばかったらしいよ」

「練習したんじゃね?」

「練習してあんな速くなんのかよ」

「やべーな」

 陰口、と言って仕舞えばそれで終わりだが、一つ一つ耳を傾けてみれば、自分を褒めてくれているようで安心した。が、見られてる、めっちゃ見られてる!

(縁野さん!速く進めて!)

 そんな俺の思いが通じたのか、縁野さんは資料に目を移して口を開いた。

「次、龍野結喜!くん…」

 いつも呼び捨てで呼んでいるからか、あとからくんを付け足すと、縁野さんは苦笑いを浮かべた。

 一方結喜は自信ありげに立ち上がって、喝采を浴びていた。

 続いて、中川くんと藤咲くんが呼ばれて女子の発表に移った。

「女子!天井南さん!」

 おおーっ!

(やっぱり天井さんはすごいや。)

 ちらっと立ち上がった天井さんに目線を投げるとぷいと目をそらされた。

「勝乃江里さん!」

 おおー!

(やっぱり!)

 江里はまだ気にしているのか不機嫌な顔で立ち上がる。

「如月千歳さん!」

(お、意外。)

 クラスの感想も分かれたのか。聞こえてくる声はバラバラだった。如月さんは背も低くて小柄だが、運動は苦手じゃないらしい。

 今も、ワクワクした顔で縁野さんの方を見ている。

「御園夏夜さん!」

 おおー

「望月叶苗さん!」

 おおー

 女子もなかなかに速いメンバーが揃って、補欠には、稲瀬くんと山崎さんが入った。


 次の日からは、朝練が始まった。

 今更だが、この学校の運動会では、人数が少ないので、1、2年、3、4年、5、6年が組んで、それぞれの中で赤組と白組に分かれる。つまりは、12年の赤組白組、34年の赤組白組、56年の赤組白組、と言うわけだ。

 ちなみに俺と結喜と江里は赤組だ。

 リレーの赤組は俺と結喜と相坂くん、それから江里と天井さんで補欠に山崎さん。白組は中川くんと藤咲くん、それから如月さん、御園さんと望月さん、補欠に稲瀬くんと言う感じだ。

 と言うわけで、リレーの練習が始まった。

 去年リレー選手だった江里と結喜が主に仕切って、経験のない俺に簡単にルールを教えてくれた。

 走る順は俺が3番目と言うことになったが、バトンの受け渡しがうまくできなくて俺の前の天井さんとあとの相坂くんには散々そこだけ練習に付き合ってもらった。


 そして運動会本番。


 いつになく凹んでいる俺がいた。

 個人種目の50メートル走で、この間叩き出した記録のせいで例年より明らかに速い人と走らされた。

(いきなりみんな速すぎるから焦って転んで…って俺は馬鹿か)

「もう少し喜びなさいよあんたは。」

「喜べと!?」

「4位だったんでしょ。」

 江里の言葉を聞いて気づいた。

「あ…」

 出だしで転んで、その後大急ぎで走って最後の一人だけぎりぎりで追い抜いて4位。最下位、つまりは5位ではなかったが。

「ちょっと忘れてたよ。」

「ったく…去年は最下位以外をとれたらどんなに嬉しいか!とか言ってたくせに。」

 応援席の後ろから江里が頭を小突いてくる。

(4位か。)

「よっしゃぁぁぁあ!」

「うるさい。」

「はふぃ(はい)」

 江里に口を塞がれて苦笑いを浮かべた。

 校庭に、お昼休憩のアナウンスが鳴っている。

 お昼が終わったら、いよいよリレーだ。


「幸太、リレー中に吐きたくなかったら早く食べな。」

「食べてるし、吐かないよ!」

「あはっははは仲良いなぁお前ら。」

 結喜が自分のおにぎりをかじりながら笑う。

「「よくない!」」

「ほらほら結喜、人のこと言ってる場合じゃないでしょ。」

 何故か一緒にお昼を食べていた縁野さんが結喜の服を引いて残りのおにぎりを口に突っ込んだ。

「ゔ。んんん…んあにすんだよ!」

 結喜と言えば、あっという間にそれを飲み込んで縁野さんに言い返す。

 俺は弁当箱を片付けながら、最後のりんごを口に入れていた江里に、

「江里の方が遅いじゃん。」

 と言ってやった。

「うるさい!」


「とにかく…頑張って!結喜、江里、南、相坂くん、西条くんもね!一位取ってこい!」

 待機場所に並んだ俺たちを見回して縁野さんが力強く言った。

(大丈夫。頑張って練習したんだ。俺は父さんの子で、結喜や江里の友達で、天井さんや相坂くんの仲間で…)

 ふと、逸らした目に、準備運動をする仁科先輩が映った。

 紅白帽の色は赤。

 団体種目の練習でも何度か見かけた先輩は、俺の視線に気づくと、ニカッと笑って手を振った。

(リレー選だったのか…)

『午後の部、最初の種目は3、4年生によるリレーです。リレー選手が入場します。』

 この緊張感にも似合わないポップな音楽が流れ出す。足踏みを始めながらもう一度先輩を盗み見る。

「頑張れよー!後輩!」

 先輩の周りの4年生たちがびっくりしていたが、俺は嬉しかった。

(そうだ…俺は仁科先輩の後輩だ。赤組の仲間で、選ばれたリレーの選手だ!)

 一人目が走り出す前に、結喜の提案で掛け声をかける。

「絶対勝つぞ〜!!!」

「「「「おぉー!!」」」」


 ピストルの合図で江里が走り出す。

 出だしは順調。勢いで抜かれた2人を抜き返したところでバトンタッチ。バトンを託された天井さんは曲がり角で一気に加速して2位以下を引き離していく。

「ほら!西条!!」

 バトンを受け取る手が震える。天井さんの手に触れたところでバトンをーー

 離されたバトンがぽとりと落ちる。

 硬直しかけた次の瞬間素早くバトンを取り上げて走り出す。

 既に2人に抜かれ現在3位。俺が走れる距離は50メートル。振り上げた足が地面を蹴ると、一気に差を縮めていく。

 一瞬とも思える時間で1人目の4年生を抜かし、もう少しというところで前に迫った3年白、如月さんに届かない。

「相坂くん!」

 バトンを繋げるその瞬間、相坂くんの手にバトンを握らせて勢いをつけるべく背中を押していく。

 ぎりぎりの差で白組からリードし、相坂くんは走り出す。常に先を見据えているバトンを持った手は曲がったところで結喜のいる方に差し出された。

「結喜!」

「よっしゃ」

 結喜が走り出したところで、4年赤、仁科先輩が躍り出てくる。

 あっという間に並ばれた結喜の表情は堅い。

 ぎりぎりで抜かし抜かされながらゴールは目前に。

「「よっしゃぁぁぁあ!」」

 2人の足が同時に地面を蹴る。ゴールを切った瞬間、結喜は勢いに耐えきれず地面に突っかかってそのまま倒れ込んだ。仁科先輩も勢い余ったようで体育倉庫の方までそのまま走って行ってぶつかっていた。

「結喜!」

「結喜ー!!」

 俺たちが駆け寄ると結喜は体を起こして体育着についた砂を軽く払った。

 続いて、3年白組、4年白組とゴールすると、審判係の児童が近づいてきて俺たちに順位を知らせる。

「同時すぎてよくわからなかったから、今先生のビデオ確認してるけど、多分同率1位。」

「同時!ぴったり」

「…だって。」

 遠くからの先生の言葉を受けて、地味目の男子は頷いて去って行った。

「「「「「………」」」」」

 5人で顔を見合わせる。

(こういう時はなんて言えばいいんだっけ)

「「「「やったぁあ(よっしゃぁぁぁ)!!」」」」

 汚れた体育着を気にすることもなく、みんな手を取り合って声をあげた。

「幸太〜、もっと喜びなって!」

 江里に背中を叩かれて、少し頬が緩んだ。

「喜んでるよ。でも信じられなくて」

「西条!やったじゃん。まあ、バトン落とした時は終わったー、と思ったけどね。」

「あああれな、正直俺もびびった。」

 一度気が緩むとみんな好き勝手喋り出す。

「一位のところ並んで座ってください。」

 と言われて慌てて歩き出す頃には、実感した一位の喜びが、身体中を駆け巡っていた。


「お疲れ!」

 気前よくタオルと水筒を差し出して縁野さんが微笑む。

 一人一人に労いの言葉をかけながら、最後に、俺たちに向き直った。

「3人とも、すごかったよ。西条くん!江里たちと練習したんだってね。いきなり速くてびっくりしたよ」

「あ、ありがとう」

「幸太、いい加減ぎこちない喋り方やめなって。」

(そんなこと言ったって…)

「そうだねー、幸太くん。」

『幸太くん』?

「私とも、友達になってよ。ね、幸太。」

 そう言って縁野さんが手を差し出した。

 幸太!?

「いや、じゃなくてあと、えーと…それはどういう、痛っ!」

「ぎごちないの禁止。」

「江里ー。」

「ははは…」

(結喜も笑ってないでなんか言ってくれ。)

「ダメかな?」

「いや…よろしく縁野さん。」

 引っ込めかけた手を恐る恐る握る。

「由加里でいいよ。」

「わ、かった。」

 縁…由加里は、俺の手を握り返して満足気にぶんぶん振った。

「それじゃあ、これからは江里や結喜じゃなく私を頼ってね!なんたって学級委員だし。副委員長だし。クラスのリーダーだし、人気者だし、友達だし。私にできることなら助けてあげたいって思ってるし、頼ってもらえないとちょっと寂しいから。」

 そこまで言う?と突っ込みたくなるほど言葉を並べると、由加里は寂し気に笑った。

 ーー友達を作るには、助けを求めるのが一番だぜ。

 後で仁科先輩に話を聞くと、

「人に相談されると、ゲームのミッションみてーにどうしても相手に満足な答えをもらいたくてついつい余計なところまで深入りしようとする。相手がもういいよ、とか言ってもな。その内に一緒にいる時間が長くなって、気がつくと仲良くなってる。とまあ友達って大抵はそんなもんだろ。」と言っていた。

「先輩って頭良いんですね」と言うと、「図書委員だからな。」と返された。

 俺も図書委員に入れば頭良くなるだろうか。


『3、4年生のリレーの結果発表です。』

『4位!4年白組。3位!3年白組。そして1位!3年赤組と4年赤組、よって、赤組の勝ちです!』

 赤組から歓声があがる。

 リレーは得点が高いから、運動会全体の勝ち負けにも影響する。


 というわけで。


『今年度優勝……3、4年赤組!!』


 遠くに響く歓声を思い出す。

 3年の運動会。それがきっかけでいろいろと変化があった。

 俺は西条幸太。勉強は仁科先輩や由加里に教わって、テストも大分点数が取れるようになった。運動はあまり得意じゃないけど足はクラスでも速い方だし、最近は結喜と練習したバスケで、シュートができるようになった。江里は俺より頭悪くて、一緒に勉強しても俺の方が教える事になるけど、歌は上手くて羨ましい。この間楽譜の読み方を教えてくれて、(わからなかったけど)すごく楽しかった。


 俺は西条幸太。友達も頼れる人もいて、充実した学校生活を送っている。


 外では、蝉が鳴いている。

 さぁ、夏休みが終わったら、今度は学芸会だ。



 《おしまい》


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