天高く舞う花々
その日、ウルディルドの城内は誰彼構わず大忙しだった。大陸会議を明日に控え、続々と到着する使者の対応に終われていたからだ。
「つい……、グルドートの方がいら…………!ファオッケンの……の少し……たって」
「まぁ……じゃ、後は辺境国だ………ら?」
「そうそう……!……ユルフェルの民が来………しょ?まだ着かな………しら」
無人の筈のリネン室から聞こえた僅かな声に、偶々前を通り掛かった侍女長は咄嗟に立ち止まった。
「ねぇねぇ!飛竜に乗って来ると思う?」
「えぇっ!?飛竜って本当にいるの?」
耳を済ませるとはっきりと聞こえた楽しそうな声に、思わず顔がひきつる。ブルブルと拳を握りしめ、額に青筋を浮かべた侍女長は、深く深く、とてつもなく深く、ゆっくりと深呼吸した。そして次の瞬間――
バキィッッッ!
「っあなた達!何やってるの!?仕事はまだ山のようにあるのよ!さぼってないで、とっとと働きなさい!」
扉を破壊する勢いで押し入った侍女長に、中で話していた侍女達は思わず飛び上がり、顔を青ざめさせる。そんな彼女達をギロリと睨み付けた侍女長は、わかったわね!と吐き捨て、扉を叩きつけるように閉め部屋から出ていった。
「………こわっ」
「………おおこわっ」
「………顔が般若だったわ」
ひきつった顔を見合わせ、恐る恐る扉に視線を向けた。少しの間無音が続き、誰も入ってこない事を確認した侍女達は、ほっと安堵の息をついた。
「………ねぇねぇ、今はおもてなしのお茶会が開かれてるんでしょ?」
「……そうよ!確か、王族の方々が揃って歓待してらっしゃるって」
「……あら、じゃあウルフェイン様もお茶会に?」
「えぇ!似合わないわよねぇ」
侍女長が居なくなった事を良いことに、またひそひそと話に花を咲かせ始める侍女達。
「使者に女性の方がいなくて良かったわ!私たちはもう見慣れたけど、始めて拝見した時は、あの迫力にまるで鬼か野獣かと思ったもの!」
「ほんと!いい方なんだけど……この間また、お見合いを断られたんでしょう?」
「そうそう、姿絵を見て卒倒されたって」
「本当にいい方なのに、迫力がありすぎるのよねぇ」
ぺちゃくちゃと話している彼女達はまだ知らない、部屋から出た瞬間、待ち構えていた侍女長の重い鉄拳を受ける事になる事を。
侍女長が鬼の形相で侍女達の尻を叩く中、所変わって城内の庭園では、着飾った人々が優雅な御茶会を楽しんでいた………約一名を除いて。
「おい、もう少し笑えよ。今にも人を殺しそうな顔をしているぞ」
こそこそと話しかけてくる兄を無視し、不機嫌顔でお茶を煽るのはウルフェインだ。
散々拒否したのにも関わらず、無理矢理引っ張り出されたウルフェインは、朝からずっと機嫌が悪かった。不貞腐れてクッキーをバリバリと貪る弟に、やれやれと肩をすくめたアウルストは、何かに気が付いたように視線を巡らせた。
「ほら、確かあそこの国の姫君は結婚相手を探していたはずだ。話を聞いてきたらどうだ?」
「っだから、俺は女に興味ないと言ってるだろう!大体あいつらはすぐ泣くから面倒なんだっ」
「そんな事言うなよ、お前に合う女性だっているさ。恋はいいぞ~」
にやけながら進めてくる兄に、いい加減ここから逃亡を図ろうかと真剣に悩む。ちらりと周りを見てみると、何とも華やかな人々がお上品に笑いあっている。絶対にあの中には入りたくないと顔をしかめ、瞼を閉じて周囲をシャットアウトする。
「なあ、そういえば、ユルフェルから来る者達の部屋は手配出来たのか?」
「………ああ、一応第二騎士寮を開けてある」
せっかくシャットアウトしたのに構うこと無く話しかけられ、眉間に皺が寄る。
「第二?あそこは男子寮だろう?戦乙女を男子寮に入れるのか?」
綺麗な顔をコテンと傾げた兄に、とうとう苛立ちはピークに達した。
「まだ女が来るとは限らんだろっ!もし男が来たら、女の寮に男を入れる羽目になるんだぞ!だったら最初から男の寮に部屋を用意した方が賢いだろうがっ」
「まぁそうだが……もし女性が来たら、ちゃんと女性の寮に部屋を用意しろよ。問題が起こったら大変だ」
「っああ、わかってる!でもその可能性は低いという事がわからんのかっ」
とうとう声を荒げたウルフェインに、何事かと周囲の視線が集まる。大声を出した自分に、遠くから睨んでくる国王と王妃を見つけ、しまったと顔をしかめた時だった。
――カーンカーンカーンカーンッ!
優雅な時間が流れていた庭園に、突如けたたましい音が鳴り響く。見張り台に備え付けられた緊急を知らせる鐘の音だ。
ウルフェインは咄嗟に立ち上がり、周りの状況を確認する。庭園の周りを警護していた騎士達も、ピリピリと気を張りつめ、庭園に居た客達もおろおろとし始める。
そんな中、一人の騎士が泡を食った様子で庭園に飛び込んできた。素早くウルフェインを見つけたその騎士は、一直線に駆け寄り、転げるように膝まずく。
「っ大変です!ひ、東の方角!空から、空から竜の群れがやって来ます!」
咄嗟に東の空を見上げる。肉眼でやっと確認できるかという遥か先方、確かに飛竜らしき影を見ることができた。
「まさか……」
茫然と空を見上げるウルフェインの横で、ゆっくりと立ち上がったアウルストが口を開く。
「なんとまぁ、本当に来たか。これで乗ってるのが女性だったら、おとぎ話は現実だったようだ」
楽しそうに笑うアウルストの横で、ウルフェインは食い入るように空を見上げ、口を開けたまま何も答えなかった。
綺麗に横一列に並んだ竜の群れは、そのまま城へと近づいてきた。城下街の上空を優雅に飛行する飛竜達は突然、列の中心から地面に引っ張られるように、つらなって流れ落ちていく。
空を見上げていた街の人々は、急に落ちてくる飛竜達に、パニックに陥り逃げ惑う。そんな人々をからかうように屋根すれすれで体勢を持ち直した飛竜達は、そのまま低空飛行を続け、今度は縦二列につらなったまま上昇し、途中で列を変えながら、街の上空に小さな円いくつか描きだした。
飛竜が飛ぶ空から、ひらひらと白い花びらが舞落ちる。太陽の光を反射してキラキラ光るその様子は、まるで真夏に雪が降ったかのようで、信じられないほど幻想的だった。
地上の人々は、パニックになっていた事などすっかり忘れ、うっとりと時を止めて空を見上げる。静まり帰った広場のどこかから、戦乙女だ! と嬉しそうに叫んだ子供の声に、わっ!と一斉に歓声をあげた。