Those that can not be present -3-
二発の銃声が静寂に包まれた森林地帯にこだまする。それと同時に、今にも二人の子どもを襲おうとしていた堕人の体の動きがぴたりと止まった。
「––––––!」
開口させ、よだれを地面に垂らし、手足を震わせ、目を大きく開き、膝を地面につき––––––
完全に固まった二人の子どもにその巨体が降りかかる。
「…やっ…」
一人の女性がその間に立ち、ゆっくり倒れる堕人の心臓部に刀を貫いた。自分の体の左側になぎ払うようにして、堕人を何もない地面に倒した。
未だに体をピクッと反応させる堕人の目をじっと睨みつけている。何か言葉を絞りだそうとしているようだが、脳天に二発の鉛玉、そして心臓部を刀に貫かれた状態では、いくら堕人といえど体を動かすことはおろか、声一つあげることはできはしない。––––––通常ならば。
「––––––新冨…さん」
ほんの数分前、葉宜のみぞおちに膝蹴りを食らわせた張本人がそこに立っていた。
見たことのない速度だった。目にも留まらぬとはまさにあのことを言うのだろうと、葉宜は今になって感じた。
「あの人、たまによく分からんとこがあるからな」
そう言いながら、士峰はその両手に二つの拳銃を握ったまま木陰から姿を現した。ちょうど葉宜の目線の高さにある拳銃からは、白い煙が立ち昇っている。
「立てるか」
その問いに対し葉宜は苦笑いを浮かべる。動く左手を背中あたりに動かし、指をさす。
葉宜が何を言いたいのか、士峰はそのジェスチャーで理解できた。心底面倒くさそうな顔を見せ、頭を乱雑に搔きむしる。
「––––––ちっ…まじかよ。面倒クセェ」
ちょっと待ってろ、と士峰は乱雑な口調を残して新冨の元へと駆け寄っていった。
「言葉を発することができるとは––––––驚きだな」
新冨は倒れ伏した堕人を見下げ、そう言い放った。
吸い込まれそうになる冷たい眼光。堕人と相対したからといって、その醸し出す雰囲気は先程までとはさほど変わりない。
彼女は、そういう人間だった。
いかなる状況においても、冷静さを乱さない。例えそれが仲間を失った時でさえも。
感情が無い、機械のような人間だと彼女を知る人々は一様に口ずさむ。
勿論、喜怒哀楽は時々垣間見える。窮地に立たされた仲間を救い、本人から頭を下げられた時は命が救われたことを我が事のように喜び、道を誤りかけた上司に対しては叱咤も珍しくは無い。毎晩自室のバルコニーで夜空を見上げる様子は哀愁を漂わせ、お気に入りのサウンドトラックで疲れ切った体を癒す時は笑みがこぼれ落ちる。
感情が無いわけでは無い。そのことを士峰は分かっていた。
同じ班員としてこれだけ人間らしい姿を見かければ分かりきったこと。
だが、士峰にはまた別の考えがあった。
それは、彼女は感情を意図的に隠しているのでは無いかということ––––––
〈その割には、あまり驚いていないように見えるが〉
体こそ動かすことはできないものの、はっきりとした口調で、堕人は確かに新冨の言葉に反応して見せた。
〈冷え切った態度だな…〉
まるで挑発をするかのように、堕人は荒い呼吸を続けながら笑って見せた。
当然新冨の癇に障ったのか、鋭利な刀を堕人の首元へ近づける。
それにも構わず、堕人は新冨のコートに纏われた体を頭のてっぺんから爪先まで舐め回すようにして見つめる。
〈ほぉう…。よく見れば顔は俺の好みだ…、体の肉つきも––––––まぁ悪くない。〉
堕人のその言葉にさすがに気を悪くしたのか、新冨は片目を細め、糞を見るような目つきに変わる。
大きなため息をつき、刀を逆手に持ち替え両手で握る。
「もういい死ね」
そう、ぶっきらぼうに言い放った。
そして両手を高く上げた後、間髪入れずに堕人の頭目掛けて振りかざす。
だが脳天を貫くはずの刀は、再び発せられた堕人の言葉によって直前でぴたりと静止した。
〈焫昇島〉
新冨はその目を大きく見開いたまま、硬直。
対して堕人はその顔に笑みを浮かべ、
〈ぶわっはっはっは‼︎––––––…ククク…。––––––いかんなぁお嬢!そんな言葉一つで動揺して動きを止められては!〉
そう大声で宣った。
堕人の口内からは唾が吹き飛び、新冨の顔やコートに付着する。
だが、気分を害した様子を態度に出すことは無く、それよりも、信じがたい事実を耳にし、驚愕を隠せない様子を見せる。
士峰はたった今堕人の口から発せられた言葉を疑った。
地面に伏し、致命的状況にあるのは堕人。優位にあるのは新冨。だが実際には、たった今その優劣はひっくり返ったように、士峰の目には見えた気がした。
だが士峰のその考えを見透かし、さらに己の一瞬の気の迷いを薙ぎはらうかのように、
〈…そんなことでは、お父上も悲しまれることだろう––––––…〉
新冨は堕人の脳天に、深く深く刀を突き立てた。
歯を食いしばり、眉間にしわを寄せ、刀を握る両手は小刻みに震えている。
呼吸が荒い。
心臓の鼓動が異常を来しているのが自分でもわかった。今にもこの左胸から飛び出してきそうな、そんな感覚に苛まれつつも、新冨は鍔が堕人の皮膚に接触するほど差し込んだ刀を、今度はゆっくりと引き抜いた。
◆◇◆◇◆◇◆
森が静寂に包まれる。
新冨は未だ微動だにしなくなった堕人の亡骸をじっと見つめている。––––––見つめているというより、呆然と、焦点の合っていない両目を足元へ下ろしている。
返り血––––––緑色の体液をその身に浴びているが、気にも止めていない様子。
士峰は端末を耳に当て、誰かと話をしているようだった。樹木にもたれかかっている葉宜と、新冨のすぐ横で体を震わせている二人の子どもを交互に見遣る。
「士峰」
唐突に、新冨が呟く。足元の肉片を眺めたまま。
士峰は端末を手にしたまま、新冨を見る。
「二人を」
魂の抜け切ったような声質。
「…はい––––––」
士峰は笑顔を取り繕い、二人の子どもの元へ近づいていく。だがさらに怯えた様子をして見せた二人には、普段から荒々しい士峰も流石に戸惑うしかなかった。
「自分のために––––––…。私のために––––––…。多くの人々を危険に巻き込んだというの」
それを他所に、未だ呆然と立ち尽くす新冨。普段から不気味なほどに冷静な彼女だが、この時は冷静を通り越し、何かこの世には存在し得ないものを見つめているかのように、士峰には見えた。