天門霊送機関戦闘課第66班第8部隊 -1-
騒がしい。
状況は詳しくは分からないが、数人がその辺りを駆け回っているらしかった。
目を開け、身体を起こす。が、背中に多少の痛みが走った。思わず呻き声が漏れる。
そして気付いた。左のカーテンの隙間から差し込む太陽。陽は既に登り始めていた。時計を探し、今が朝の八時半だということが分かった。
「唐司さん…!」
慌てて辺りを見渡す。どうやら此処は六人一部屋の病室の様だった。自分と同じ病衣を着ている人がちらほらと見受けられる。だが、唐司の姿は確認出来ない。
だが、あのまま堕人の餌食になったとは考えにくい。そう、気を失う前に視界に現れた蒼髪の少女。見間違いで無ければ、彼女は確かに堕人の顔面を蹴り飛ばしていた。それ以降のことは全く分からないが、そしてただの直感でしか無いが、唐司は無事に保護され何処か別の病棟に運び込まれたのだろう。
「––––––…」
心配だが、周りを見る限りこの状況では個人を特定するのは困難だろう。家族や親類ならば優先されるだろうが、全くの無関係である自分がとある女性のベッドの場所を聞くなど、スタッフ側はそんな時間は無いだろうし、逆に不審がられても不思議では無い。
「––––––ねぇ…」
あの時、確かに脈も呼吸もあった。目立った出血も見られなかった。無事だと信じるしか無い。今自分に出来ることはそれくらいの様に思えた。
「聞いてるの⁉︎」
突然近くで声がした。
見上げると、女性が目の前に立ち此方の顔を覗き込んでいた。長い黒髪がわずかに頬に触れる。驚きを隠せず思わず後ずさった。
「もう。何よ、ぼうっとして」
顔に少し笑みを浮かべながら話しかける女性。それは、今まさに探し求めていた唐司夏帆だった。
「と…唐司さん」
まさかこんなに近くに居るとは思いもしなかった。ベッドで寝込んでいる姿を想像していたが、それは全くの取り越し苦労だったらしく、先程と変わらない白衣を身に纏い精力的に仕事に励んでいた。
「もう動いて大丈夫なんですか?怪我してたんじゃ––––––」
「いえ。この通りピンピンしてるわ。上司にはまだ休めって言われたんだけど、まぁこの状況じゃ一人寝てるのもねぇ」
あっけらかんと答えた。堕人の襲来に巻き込まれたのは僅か四、五時間前。にも関わらず、それを物ともせず日常に復帰してるとは心底驚かされた。
「敵は…?」
一つの心配が無くなり、だがまた別の心配が浮かび上がってきた。そして案の定、此方の問いかけに唐司は明らかに顔色を悪くした。
左のカーテンをゆっくりとめくる。強い日差しが差し込み目を瞑る。だが普段と変わらない空模様とは裏腹に、人々の住む地上の光景は悲惨なものだった。
少し陽に当たろう。––––––唐司のその一言で、大門に続く12番地に赴くこととなった。今日1日は歩かない方がいいと、唐司に車椅子を押してもらう。
まるで大地震の後の風景だった。
瓦礫が辺りに散乱し、建物はその殆どが半壊、全壊。未だに火の手が昇っている所もある。
家の前で泣き崩れる母子、暗い面持ちでその後ろを歩く男性、泥だらけになりながらスコップで瓦礫を撤去する子ども。
「…唐司さんのご家族やご友人は無事なんですか?」
「…ええ。両親も妹2人も、みんな無事だってついさっき連絡があったわ。友達は分からないけど…、みんな無事だって信じてる」
唐司は顔に僅かに笑みを浮かべながらそう言った。
「そうですか…」
そこでふと、自分の身内のことが頭をよぎった。早く連絡を取らなければと。だが、再びすぐに思い直した。––––––自分には家族の記憶が無い。こうして人として生を受けた以上は誰かの息子として産まれたのだろうが、両親の顔と名前も、自分に果たして兄弟は居るのか、いつどこで産まれたのか、全く分からなかった。
それどころか、自分には約4年前の1994年以前の記憶が一切無い。今思い出せる最初の記憶は約4年前、ここ天門霊送機関の隔離施設で目を覚ましたことだ。最初はパニックになった。自分が何者なのかさえハッキリと分からない状態で周りを白衣の研究者らしき人物達に囲まれ、その間には真っ白な壁と窓ガラスしか無かった。だだっ広い一室に監禁されること約1カ月、何が理由かは分からないが、ある日突然拘束を解かれた。後は言われるがままに年相応に高校に編入し、日常の生活を送ってきた。右も左も分からない自分だったが、そこに自分を受け容れてくれる温かい同級生が居たことは何よりも心の支えになった。
彼––––––梁村楽斗は無事だろうか。昨日授業終わりに会話を交わして以来何をしているのか分からない。いや、そう言えば適正者検診を受診しに行くと言っていたはずだ。だが堕人の襲撃があったのは深夜になってから。順調に検診を終えていれば襲撃時は12番地の自宅に帰宅していることになる。
一瞬会いに行くという選択が頭をよぎる。だが主治医から言い渡された様に、外出時間は限られている。体調を鑑みてのことだろうが、この後何か話があるとも伝えられた。時間に遅れるべきでは無いが、どうしても楽斗の今の様子を知っておきたいという気持ちは大きかった。だが何より、無理をして自分に付き添ってくれる唐司にこれ以上負担を強いることなど出来なかった。ここから楽斗の家までは30分以上ある。自分一人で会いに行ける様になるまでは我慢すべきだ。
「なーに考えてるの」
と言いながら、唐司はその綺麗に整った顔を寄せてきた。––––––先程といい、無意識なのだろうがこの女性は安易に異性に対して、顔というかその距離を近づけ過ぎだ。ただでさえ唐司は美人なのだから、こういう行為に男性が勘違いを起こすということも知っておくべきでは無いだろうか。
「いえ…。自分は、堕人と遭遇するのはあの橋が初めてで…。それまで直接見たことが無いって周りに言うと、信じてもらえなくて…」
動揺からか、自分でも何が言いたいのか分からなくなってきたが、唐司は何も口を挟むことなくじっと耳を傾けてくれている。
「“堕人”って、なんなんでしょうね。…どうして、こんな罪も無い人達の幸せを奪うのか…––––––。今じゃ当たり前の様に人類と敵対してますけど、何処から来て、一体何をしたいのか…」
今では世間は彼らを当たり前の存在として扱っているが、堕人が表沙汰にされない時代も過去にはあったという。当たり前では無い存在が、気付けば当たり前の存在になっている。そのことに少し恐怖じみたものを感じずにはいられなかった。
その時、唐司の端末が着信を知らせた。唐司は端末を白衣のポケットから取り出し耳に当てた。
「はい」
唐司は相槌を打つだけで、何の会話をしているのかは此方まで伝わってこない。しばらくすると端末を切り、再び同じポケットにしまった。
「貴方の学園の理事長が、貴方に逢いたいそうよ。––––––どうする?」
恐らく主治医の言っていた話とはこのことだろう。その相手が天門学園の理事長だとは思いもしなかったが。
「え…えぇ。分かりました」
再び唐司に車椅子を押されて、来た道を戻り、管理棟へと向かう。