続続 俗見るバカと、泣かない少女
「お、お前……、に、人間か?」
落ち着きを取り戻したノーマンが最初に口にした言葉だった。
目の前の幽鬼のごとく佇む少女が幻覚でないことは、この十数秒間の硬直でなんとなしに自覚していた。
ノーマンとしては今すぐにでもこの場から逃げ去りたい心境だったのだが、まことに不本意ながら今日からここがノーマンの我が家となるのだ。
これ以上自分の住まいに不安要素を残しておきたくはなかった。
しかし、このノーマン=アベレールとて一応この物語の主人公。
ノーマンが口を開く同時、彼の脳は高速な回転を見せていた。
(なんだ、このスプラッタな少女は。歳は十ぐらいか? 何故こんな場所にそんな恰好で立っている? もしや本当に悪霊死霊の類……? いや、実はというか、やはりというか、この俺に秘めた才能があって急激に覚醒を遂げ――、いやいや、落ち着け俺。そんな訳ないだろ。流石に展開が雑すぎる。……そもそもよく見ればこの女の子、死霊の類にしては顔色良い方だし、というか、この子の顔立ち――)
「え、可愛くね? ……可愛くね(重要)?」
「――ひっ」
思わず感想が漏れた主人公(笑)、ノーマン。
それを受けた少女が小さく悲鳴をあげたのだが、ノーマンは再び思考の海に潜り込んでそれに気づくことはなかった。
そもそも遭遇するなりいきなり奇声を上げ、しばし硬直を見せたと思ったら、「くぁわいくね? くぁわいくね?(この様に聞き取れた)」と呟き出す。
少女が身の危険を感じたのも無理はない。
犯罪者のそれである。
(よし、この女の子が人間だと思えてくると、全然平気になってきたぞ。ふん、神も大したことはない……。さておき、今度はなぜここでそんな恰好を? という疑問にぶつかる。あの服に付着していている赤い液体は――、まあ、女の子の様子(なぜか少し顔色が悪くなったが)を見るにあれは血じゃなく、赤い塗料か何かだろう。ケガを負っている様子もないしな。しかし、やはりこの近隣の噂からして物騒なここに立っていた理由が分からんな、あの年頃の子なら怖がって近寄らないようにするものでは……)
「あ、あの……」
思案にふけるノーマンの耳に、かすかな声が届いた。
それは一つ風が吹けばかき消されてしまうようなか細い声だったが、なぜか耳に染み渡るような清涼感を持つ不思議な声色だった。
再びノーマンと少女の視線が交わる。
少女は数瞬の躊躇いを見せながらも、やがて意を決したように口火を切った。
「こ、こここ、こんにちわ……!!」
突然、挨拶をされた。
流石のノーマンも意表を突かれざるを得ない。
挨拶すること自体なんら不思議ではないが、この突飛な状況においてはあまり相応しくないように思えた。
(……ま、まあ、礼儀正しい子なのだろう。赤く染まってるはいるが、着ている服は上等そうだし、貴族の出と考えれば不思議でもない、のか……?)
そうノーマンなりに無理矢理納得すると、歩み寄りながら挨拶に応じた。
「や、やあ、こんにちわ。今日はいい天気だな!」
我ながら好青年っぽい爽やかな口調を出せたものだとノーマンが内心で絶賛するほどの会心の出来の挨拶だった。
これにはこの少女も――
「――ひっ、なんで!? 近づいてくる!?」
ノーマンが歩み寄った分、飛び退くように後ずさりしていた。
完全に畜生扱いである。ノーマン、流石に傷ついた。
少女が急激に動いたためか、着ていた服のポケットからパサリと冊子が落ちた。
「――あ」
少女がそれを見てさらに血色を蒼白にさせながらも、即座に拾いあげて背後に隠した。
――が、しかしすでに遅かった。
ノーマンが目に捉えた冊子。その筆頭項目に原因はあった。
『不審者に襲われない為の⑩の方法~
1 大きな声であいさつをしましょう(以下略)』
今、挨拶の謎がすべて解けた。
真実はいつも一つ――
「またなのかああああああああああああああ」
突き付けられた残酷な真実は、ノーマンが思考の裏に抱いていたボーイミーツガール的なアレを無慈悲に粉砕した。この世界に、救いはない。
そして少女は再び絶叫し始めた彼を前に、いよいよ背中を向けて逃走体制に入っていた。
それを見たノーマンは焦る。
(――マ、マズイ。このまま女の子が家に泣きながら戻ったりしたら、貴族的な権力か何かが俺に襲いかかってくるぞ。それは避けねばならない!!)
今、まさにノーマンの野望は風前の灯だった。
――前科ついちゃうとか、ハーレムゆうてる場合じゃねえ!!
「ちょ、ちょっと待ってくれ。誤解だ。キミは俺を誤解している。俺は怪しいものではない。今日ここに引っ越してきたんだ!!」
ノーマンの必死の言葉に今駆け出さんとしていた少女の足がピタっと止まった。
恐る恐るノーマンを振り返る。
「こ、ここに、ですか……?」
少女の問いにノーマンは己の弁解の失敗を悟った。
(しまった……。ここは有名ないわくつき物件じゃないか!! そんな所に引っ越してきたと言っても逆に怪しまれるだけだ……!!)
ノーマンの焦りが頂点に達する。
しかし、彼の思考の切り替えは早かった。
言葉で挽回が難しいのであれば、行動で示すまで。
そうと決まればすぐさまノーマンは次策に打って出た。
「――ひえ!?」
その行動に少女が呆けたような声を上げる。
ノーマンがしてやったりの笑みを浮かべる。
「さあ、見てくれ。この通り……、俺は丸腰だぞ。はあ、はあ……。俺はなにも持ってない――、何も持ってないぞおおおおおおおおお」
ノーマンはローブを脱ぎ去り、上着を脱ぐと上半身をさらけ出していた。
それは己の無力を示し、相手の警戒心を解く起死回生の一手だった。
凄い、凄いぞノーマン!!
彼の中で自画自賛のセンセーショナルが巻き起こる。
しかしそんな彼に、ふっと現実が差し込んだ。
「何やってんだ俺はああああああああああああああああああああ」
煮えたぎった思考と、不思議な解放感で錯覚していたが、とんでもない愚策を展開していることにノーマンは戦慄した。
(く……、まさかこの女の子、俺がここで致命的なミスすると見越したというのか……? 己の言葉に信憑性を持たせるために……。な、なんて策士なんだ――)
救いようのない、という言葉を耳にしたことがあると思う。
彼がまさにそれだった。
しかし、すでに運命の賽は投げられていた。
この珍妙愚劣な行動をとり続ける青年と、今のところ短文しか言葉にしていないかにも内向的な少女。
「え――?」
本来噛み合うどころか、別の物語を司る二つの歯車が――
「それって、オルツ魔法学院の紋章ですか……?」
たった今、回り始めた。