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続続  魔王が生まれた日

いつまでもここで伸びたままにさせておく訳にもいかないので、エグゼは青白い顔をして昏倒しているノーマンの鼻の穴の中に水を注ぎ込んだ。程なくしてノーマンはむせ返りながら飛び起きる。


「ぐへあっ! な、何をするんですかエグゼさん……」

「ああ、目が覚めたようで何よりだよ。……現実をちゃんと受け止めたかい?」

 

 一瞬ノーマンは何についての言及かと首を捻ったが、視界の端に乱れた給仕服を直している少年が止まって思い当たった。


「……あれ、エグゼさんの趣味ですか?」

「――ああ、彼のことか。いや、違うよ。雇ったときからずっと彼はこの格好だ」

「随分と吹っ飛んだ感性の持ち主なんですね。よくもまあ雇う気になったものです。流石学院きっての変人教授」

「感性うんぬんに関しては君が言えたものではないと思うけど。まあ、彼を雇ったのは色々と事情があってね」

 ふーんと興味なさげに返すノーマン。

 辞書の『手の平返し』の項目に一連のノーマンの写真を載せておけば齟齬なく理解出来てしまうような鮮やかさがあった。


「亜之……」


 ノーマンの横から声がかかる。

 見ればすぐ隣に嵐の渦中にあった少年が立っていた。

 近くにきても色褪せることのないこの美貌が男のものであるなんて、にわかに信じられなかったが、なるたけ平静を装って対応する。


「なななんあなななななななななな何か、よ、よ、よ、よ、うかね??」


「ははは。ノーマン君、治安部隊に見つかったら強制連行されそうだね」

「ちょっと黙ってて下さい! ちょっと舌がうまく回らなかったからって、子ども地味た茶々入れないで下さい」

 

 少年に対するノーマンの対応は贔屓目に見て気色悪い、第三者から見たら精神異常者のそれだったので、エグゼの茶々は当然の言葉だったのだが、彼はそれに全く気づいた様子はない。 

 人は可哀想な生物の総称をノーマン・アベレールと呼んだ。


「――で、なんのようだ」


 ノーマンが冷たく言い放つ。

 男女の接し方が極端に温度差があるのも彼の野望を棒に振ることになった一因だろう。

 なんとなしに察しのことと思われるが、彼は同性の友達までいないこともこの七年間がいかに無為であったかを物語っている。エィメン。


「……紛拉倭緇衣真似四手御免泣犀」


「……え、なんだって、小さくて聞こえなかった」

「紛拉倭緇衣真似四手御免泣犀」

 少年はペコリと頭を下げると申し訳なさそうに眉を下げた。

「……別にそこまで怒ってるわけじゃないんだが」

「装言っ手貰得流撮助刈升。出模、僕煮喪其成之事情雅亜裏升。訳有っ弖話洲孤盗雅出来嘛殲褻度、貴方魚誂っ弖居留積森葉無院豸洲」


「ふむ、そうだったのか」


「……分買っ弖頂蹶瑠夢照須加?」


「ふ、まあな」


「 !! 本当豸洲刈! 今迄誰喪信児弖呉無駆っ截載二。抑藻僕雅話四魚誌汰瞬間辛網誰喪的漏二取裏合っ手暮無琥燾……。貴方見帯鳴人葉初芽手豸洲。彫っ盗、確駆御名前葉、ノーマン酸豸良員豸誌汰依寝?」


「よせ、照れるだろうが」


「云家、僕葉兎煮角嬉緇飲豸洲。ノーマン酸、出来砺場此例空僕撮友達似成っ燾下犀。僕、貴方戸楢上手琥遣っ手胃蹴屡徒思運豸洲。嗚呼、御免泣犀自己紹介雅魔打弟子種。僕之名前葉覽譜榠徒言異升。宜敷区御願位誌升!」

 

 少年はニッコリと笑うと手を差し出してきた。

 ノーマンも合わせて笑い、出された手を握った。

 一方的にノーマンがいがんだ出会いだったが、今ここに一つの友情が結ばれようとしていた。彼の七年間がほんの少しだけ報われようとした瞬間だった。


「はっはっはっ。何言ってか全然分かんねけどなぁ!」


 ……彼の性格が歪んでいなければ、の話だが。

 態度を一変させたノーマンに対して完全に呆気に取られた顔をした少年だったが、やがてジワリと目尻に涙を貯めると「……酷位豸洲!」と走り去ってしまった。

 それを見てノーマンが一言。

「天罰じゃ」

 その裁きを下した神は何を司る神で、いかな戒律に触れて下されたものなのか謎であったが、彼の中ではそう結論づいたようだ。

 その様子をエグゼが白い目で見ている。

「……罰が下るならどう考えても君の方だと思うけど。あーあー、泣いてたよ彼。どうすんの?」

「正直男がどうなろうと知ったことじゃないです」

「うーん、清々しいまでの下衆だねえ、ノーマン君」

「訂正します。俺より顔の良い奴など知ったことじゃないです」

「小物属性まで持ってるんだね」

「この前目の前歩いてたカップルの荷物に下級クリーチャーの召喚符を入れておきました」

「そこまで行くと外道だね。下衆と合わせて外衆道。汚物だね」

「なんかさっきから酷い言われようじゃないですか!?」

「当たり前だよ、僕の助手を泣かせちゃって。後のフォローが面倒くさいじゃないか」

「……エグゼさんも自分の利害で考える辺りとか、テンプレートですよね学者としては」

「君がいらぬ仕事を増やしたんだよ、全く。――で、この後どうするんだい。一応あの病的な発狂は収まったようだけど」

 

 エグゼの質問にノーマンは一瞬返答につまる。

 

 実のところ彼は卒業式の後絶望に打ちひしがれていたのは自分の野望が微塵も実ことはなかったら――

 だけではないのだ。

 それが彼の行動原理の八割を占めていたことは疑いようのない事実なのだが、残り二割は別のものが起因となってノーマンの心を荒れさせた。その理由。それは次の通りである。


「――俺、就職先決まってないんですよね、ハハッ」


「ごめん、今人材には困ってないから他当たって」

「俺ただ喋っただけでまだ何も言い出してないんですが!」

 

 エグゼは疲れたようにため息をつき首を振った。


「『まだ』、なんでしょ。君は見ている分には面白い人物だと思うけど、身内となるのは遠慮しておきたいね。まず目が濁っているよ。よろしくない」

「お前教授なんて辞めっちまえ! それが自分の生徒に対する言葉か! そんなんだから魔法を悪用するような生徒が出てきちまうんだ! 俺の魅力に気づかない生徒が増えちまうんだ!」

「学んだ魔法をどう使うかは本人次第だからね。どんな高尚な言葉でも届かない人には同じだよ。馬にミサを唱えたほうがまだ効果があるかもしれない。そして最後に性根の腐った責任転嫁をしている内は君の悲願の達成は程遠いだろうね」

 

 エグゼは取り合わずにおもむろに本棚をいじりだした。

 その余裕余りあるといった態度がノーマンは気に食わない。

 何とか一杯喰わせてやりたいと画策するも、考えてみればどれ一つとっても、このエグゼ・ルシオール古代学教授に勝る点がなかった。

 今までの会話からはどうにも伝わりにくいが、エグゼはこのオルツ魔法学院の中でも指折りの賢者として名を馳せていた。

 過去に数々の名声を持つ教員も珍しくないこの学院でその評価は彼が紛れもなく『本物』であることを示している。


「……しかし、就職先が決まっていない、ねえ。普通この学院に入学できた時点ですでに将来は約束されたようなものだろうに。むしろその方面で困った生徒がいるのに驚きだよ」

「僕も驚きです。ハハッ」

「その不思議と二足歩行型のネズミを連想させる笑い方は止めてくれないかな。……ふむ」

 

 そこでエグゼの本棚をいじる手が止まった。

 顎に手を当てて何か思案している素振りを見せたエグゼをノーマンが訝しんで様子を見に傍までやってきた。


「どうかしましたか。僕の雇用手続きの書類が見つからないんですか?」


「清々しい程に図々しい推察ありがとう。でも、君成績は下の下じゃなかったかい?」

 

 低知能はちょっと……とエグゼが眉をひそめる。

 彼も彼で問題のある教員だった。


「嫌だな。真ん中くらいはキープしてましたよ」

「ばれる嘘はつかない方が身のためだよ。大丈夫、体を使えばなんとか食う困ることはないから」

「肉体労働する魔法士……。嫌すぎますよ。というか本当なんですって。確かに僕は真ん中をキープし続けていました」

「そうだったけ? 普段が普段だからなあ。じゃあ、どれ、この本を読めるかい?」

 

 鼻で笑うと小馬鹿にしたように本棚からノーマンに一冊の本を差し出した。

 少しムッときたノーマンはやや乱暴に本を受け取るとすぐに本に目を向けた。

 どうやら一般に普及している文字ではなく、魔法士の間で使われるグリモウルスと呼ばれる文字で書かれた本、――魔導書のようだった。

 魔導書は魔法の機密性を保持するため、それぞれ複雑な手順を踏んで解読しないと読めないようにした指南書のようなものだ。

 まだ解読されていない魔導書はともかく、魔法士にとっては魔導書を読むことくらいは朝飯前、この学院の卒業生であることを加味すれば中級くらいの難度であれば詰まることなく読む程度の能力は要求される。


「はっ。俺をバカにするのも大概にしてください。これでも腐ってもここを卒業できたんですよ? こんなの楽勝ですよ」

「ほう。では私に言って聞かせてご覧よ」


「勿論………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 ノーマンの瞳に涙が溜まりだした。

 そしてさらにエグゼが「それ、難度的には下の上くらいね」などと言ったものだから彼の涙腺とプライドは決壊寸前だった。


「……顔立ち並・バカ・キ○ガイ。うーん、これは色々と諦めた方がいいと思うよ。一応でよければ仕事を紹介するけどね。……『鉄砲玉傭兵団斡旋所』って所なんだけど――」

「名前からして末端組織すぎるでしょう!」

「…………そんなことはないよ。少し人の出入りが激しいかな? ってくらいだよ」

「命単位で人材消費してればそうでしょうね! くっそおおおおお」

 

 悔しさにノーマンが歯噛みをする。

 事実彼には全く読めなかった。しかし啖呵切った手前簡単に引き下がれない。もとから解読の分野はあまり得意なほうではなかったが、一方的におわるのだけは避けたかった。


「しかしねえ。これ、普通に読めて当たり前のレベルの魔導書なんだけど。……君、本当にここを卒業できたの?」

 ノーマンの有り様にエグゼが卒業証明を疑い始めた。

 馬鹿な確かに俺は優秀とはいかないまでのそこそこの成績を収めていたはずと焦っていると、耳鳴りのような音が聞こえた。

 


 ――ヒイイイイイイイイン。



 眉間に思わずしわが寄るほどだったが、すぐになりを潜めていった。

 しかし、ノーマンが気にもかけない。


 そんなの、よくあることだったからだ。


「……あれ?」

「ん、どうしたの。言っておくけど僕に賄賂は通じないよ」

「そんなに怪しいんですか僕がここを卒業できたのが!」

「……だって、ねえ」

 一瞬魔導書に目を向けてその後ノーマンに可哀想なものを見る目で見てきた。

 それをノーマンが一蹴する。

「はん、これでしょう? 読めましたよ。今。少し手こずりましたが、俺の手にかかればどうってことなかったですね」

「……適当言ってるわけじゃないみたいだね」

 ノーマンの表情を見てエグゼがそう判断する。

 ノーマンは感情が表情に出るタイプだ。その上、短くない時間をノーマンと過ごしてきたエグゼである。今の彼がハッタリで発言しているわけではないのは察しがついた。


「ホーリツとかいうのについてでしょう? 詳しくはわかりませんがロッポゼンショとかいうのがこの魔導書の名です。……よく読んでいないから分かりませんが、これは魔導書というより、もっと別の何かって感じがしますね。本自体が妙な魔力を持ってるのはエグゼさんの引っ掛けって所ですか?」


 ノーマンが本を突き返して、得意げにエグゼを覗き込んでくる。

 いつもなら単位を人知れずごっそりと削っておく所だったが、エグゼの関心は現在より強いものに惹かれていた。ぼんやりと本を受け取る。


「…………ああ、そういえば今日ここに学園長が来られる予定が入っていたんだった。見ればもうこんな時間か。悪いけど外して貰えるかい? 君だって好き好んで学園長と居合わせたくないでしょう?」


 突然の言葉にノーマンは目を丸くした。

「そ、そういうのは早く言ってくださいよ。どうするんですか、階段を下ってる最中に出くわしたら。俺はそこの近くの窓から地上へ向けて飛び出さなくちゃいけなくなります」

「そこまでしなくちゃいけない理由を教えて欲しいよ僕は」

「学園長のボンシャイ? とかいうのを割ってそれを弁償しなくちゃいけないんですけど、今日この日まで踏み倒しています」

「あ。思ったより最低クズだった」

「では、アデューです先生!」

「やっぱり君ここに残って――って。もういないし……」

 引きとめようとするもノーマンはすでにドアの向こうへ駆け足で姿を消してしまっていた。

「…………くくく」

 エグゼの口から笑い声が漏れる。

「くくく、あははは。本っ当、彼には飽きさせられないなあ」

 笑いながらエグゼは先ほどノーマンが手にしていた本を作業台の上に放る。

 今、ノーマンが読み解いたこの魔導書。

 ――普通に読めて当たり前のレベル、ではなかった。

 彼、このオルツ魔法学院でも指折りと称される大賢者エグゼ・ルシオールが半年の月日を費やして、ようやく本の内容の触りを解読できた程のものであった。

 それを、ノーマン・アベレージはものの数分と掛からず読み解いてみせた。

 これが笑わずにいられるだろうか。


「――君はどこで、どうあっても、凡人にはなれないんだねえ」



 さて、この先ノーマンに待ち受ける未来は如何なるものか。

 彼はその野望を達することが出来るのか。はたまた夢と散って橋の下辺りの掘っ立て小屋でひっそりと暮らすような現実がまっているのか。

 この時点では誰にも分からない。

 しかし、もしも、仮に――

 この結末を知っている誰かがこの場面を知りうる機会があれば、おそらく口を揃えてこう言っただろう。



 エーペルト皇歴 一二○五年  獅子の落つる日 

 かくして魔王は歩みだす

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