聖女
白い建物が沢山立ち並ぶ砂漠の真ん中の国アゼルブラート。荷車がその国に到着した後、俺はキャラバンの男に礼を言い、別れた。別れ際に俺の境遇に同情した男が金貨を恵んでくれようとしたが、そこまで迷惑をかけられないので固辞した。無一文、記憶喪失でも何とかなると信じたい。
市場は活気に溢れていたが、人々の表情はどこか乾いており、暗かった。石畳の上を人の流れに沿ってあてもなく歩くと、大きな広場に出た。広場の真ん中には噴水らしきものがある。噴水らしき…と表現したのは水が渇れて流れていなかったからだ。祈りを捧げる乙女のモチーフの像の周りには水が流れていなかった。乙女の像は風塵に晒されて目のあたりのメッキが剥がれており、さながら、この現状に涙を流しているように見える。
噴水の前に人だかりができていたので、何気なく目をやる。黒い長い髪の少女と少女を取り巻くように周りを固めた白いローブを着た集団が何かを訴えている。近くに寄って聞いてみることにした。
言葉の切れ端を拾うと、その集団の名前は「光翼の教団」というらしい。宗教によくある胡散臭い謳い文句を少女の側近の男が群衆に熱心に演説している。根拠がない、選民思想の塊のような台詞が鼻につく。信じるものが全て救われるなら、努力も何も必要ないと思う。
それでも、報われない人、寂しい人は心の隙間につけこまれるから悲しいと思う。実際、熱心に耳を傾ける人の大半は俺を含めて、恵まれた身なりをしていなかったり、どこか空虚な雰囲気をまとっていた。演説を聴いて、熱い目で頷いている。
何気なく、集団の中心の少女に目をやる。この国の人々は金髪、碧眼、褐色の肌が主流だ。彼女は黒髪、黒い瞳、白い肌をしていた。彼女の目を見て、俺は驚いた。彼女の纏う色素ではなく、その表情にだ。熱のこもった演説をしている男とは対照的に驚くほど、冷めた顔をしていた。例えるなら、死んだ魚のようだ。群衆は側近の男の演説に夢中で誰も彼女に気づいていない。
じーっと見つめていると、彼女と視線が合ってしまったので、慌てて目を反らした。俺は慌ててその場を離れようとしたが、呼び止められた。
「もし、そこの貴方」
鈴の鳴るような声に呼び止められ、俺は足を止め、ぎぎーっと首だけで振り返った。
「ナンデショウ?」
彼女は群衆をかき分け、傍に寄ってきた後、俺に向けてにこりと作り物の笑顔を浮かべた。俺も釣られてひきつり笑いで返す。
「貴方の陰に受難の相が見えます。どうかお気をつけください。光翼の元に加護のあらんことを」と少女は言い、俺の手をとり、祈った。信者が回りで感きわまった声をあげる。
じゅなん…ジュナン…受難。頭の中で漸く変換された。都合の良い占いだと思う。受難の相という曖昧な表現は不幸なことがあれば、全てに当てはめられるのだから。現状、白紙の俺には受難以外の何も起きていないし、祈ってもらったところで、何が変わるわけでもない。大体、俺の身なりを見れば、富裕層にないのは明らかだ。
「聖女アメリア様からの有り難い御言葉だ。慎んでお受けするように」厳かな声で演説をしていた男が俺に告げた。
少女は聖女という役職らしい。とりあえず、俺は男の言葉にこくこくと頷き、礼を言い、その場を離れた。今度は追いかけてこなかった。
触らぬ聖女に祟りなし。こういう手合いは刺激しないのが一番だ。適当にあしらうに限る。広場を離れて俺は一番大きな建物を目指して歩いた