プロローグ
行く手を阻むのは真白の冷たい壁。痛いほどの勢いで頬を打ちつけるそれは、足下に積もり熱を奪っていく。
「はぁっ、はぁ……」
吐く息は白く、一瞬掠めた温もりもすぐに冷気へと変わる。
どのぐらいの時間こうして逃げてきたか、もう分からない。長時間にわたり力を行使しすぎたせいか、雪を防ぐこともままならなくなっている。
それでも――
「逃げ、なきゃ……」
感覚のなくなってきた足を叱咤して、必死に雪をかき分けて前に進む。
止まるわけにはいかないのだ。
これ以上利用されないためにも。犠牲を出さないためにも。そして、己の役割に背いてまで逃がしてくれたあの人のためにも――
「せめて、誰にかにっ、伝えるまでは……っ」
肩口からポタリと、一滴の赤が真白の大地に落ちる。
そう遠くないうちに自分は死ぬだろう。いや、死ななくてはいけない。
けれど、全てを誰かに伝えるまでは。
誰にも知られないまま命を利用され、失う人達。その人達を助けてくれる人が必要だ。
だから、全てを伝えるまでは、死ねない。
点々と落ちていく赤は、吹きすさぶ雪が全て消していく。
前も後ろも真白の壁が襲い掛かってくる。それでも、彼女はただ必死に前へと歩みを進めた――
※ ※ ※ ※ ※
眼下に広がるのは、キラキラと眩しく朝日を反射する銀世界。
誰にも踏み荒らされていないその大地を見て、一つ溜息が出た。
「分かってたことだけど、完全に足跡消えてるね」
「昨日の吹雪は強かったから」
「っていうか、あの吹雪で生きてんのか? むしろあの中に埋まってそうだぞ」
「それはないでしょ。彼女は〈魔女〉なんだから」
防寒服に身を包み、フードを目深に被った男三人は溜息をつく。
目的の人物の痕跡を全て消した雪は、憎らしいくらいに綺麗だった。
さてどうしたものか、と思案していたその時、くいくいと防寒服を引っ張られる。
「ゼロ、あっちにまだ気配がある」
そこには、自分や後ろの男二人よりも遥かに背の低い姿があった。感情の起伏があまりない声は少女のものだ。
彼女は南西の方角を指差している。
「ちょっと遠い。今は、海の上かも」
「西大陸の方角……だね」
少女の言葉にゼロと呼ばれた男はそちらを見る。ここからでは鬱蒼と茂った森と積もる雪しか見えない。だが、それを越えれば海と大きな大陸がある。西と東に一つずつ。それぞれ六つのエリアを抱えた大陸が。
「西大陸かあ。上手くいけば保護してもらえてる可能性が高いね……」
「東よりは少しマシなエリアが多いからな。見かけは、だが。」
後ろの男達の言葉に、ゼロはニッと口元だけで薄く笑った。
「行こう。あの魔女がまた力を利用されるなら、今度こそ息の根を止めないと」
ゼロの言葉に残りの三人がそろって頷く。
その数瞬後、四つの人影は木立に埋もれるように消えた。
後 に残ったのは、ただどこまでも続く真白の世界。全ての色を塗りこめ、また新たな色を求める、始まりの象徴だけだった。