田宮ヤシロの過去 後編
朝登校すると、春日達虐めっ子と、頭からバケツの水を被っている佐久間が居た。
いつもは虐めを見て見ぬふりをしていたクラスメイト達も、さすがに騒然としている。
担任が教室に駆けつけてきた。
「佐久間くん、どうしたの?」
担任に尋ねられて、放心状態だった佐久間は、重い口を開いた。
「僕……虐められています」
「誰に?」
担任の質問に、佐久間はすっと指を差す。
その指の先に居たのは――――俺だった。
「…………」
こういう時だけ無駄に頭の回転が速い俺は、状況を理解してすべてが怖くなった。
虐めっ子たち、驚きながらも安心した様子。
クラスメイト、固まる。誰も俺を庇わない。
そうなんだよ。
結局は、俺が生贄になれば済む話なんだ。
そうすれば、佐久間虐めは終わる。
仮に佐久間が、春日に虐められていると伝えても、春日達に倍返しされるのがオチだ。
中学生の虐めというのは、ネチネチしていて長い。教師に助けを乞うたところでなかなか終わらない。
「田宮くん。あなた、佐久間くんを虐めたの?」
俺は首を横に振った。このままではまずい。俺も自分を守らなくては。
「俺、田宮が佐久間の数学のノートをボロボロにしているの、見たぜ!」
春日は自分の罪を俺になすりつけてきやがった。
他の虐めっ子軍団も口々に言う。
「お前、いっつも佐久間に怒鳴っていたよな」
「パシっていたし」
お前らー!!
怒鳴りつけてやりたかったが、気弱な俺にはそんな勇気毛頭ない。
友達だと思っていたのに、裏切る佐久間も。
平然と罪をなすりつけてくる虐めっ子たちも。
庇ってくれないクラスメイトも。
人の心が、ただひたすら怖かった。
それから俺は、覚悟はしていたが、虐められるようになった。
誤算だったのは、虐めてくるのが春日達だけではなく、学年中からだったということ。
佐久間の代わりに虐められるくらいなら我慢できたけど、すべての生徒のストレスのはけ口になることは耐えられなかった。
やむなく俺は不登校になった。
***
それからは、家で、寝たりネットしたり、ツイッターをやったりしながら過ごしていた。
受験生になると、仕方なく参考書と教科書に向かって勉強を始めた。
内申を稼ぐために、定期テストだけは受けに学校に足を運んだ。
数分でも教室に入ると虐められた。休み時間、教師に質問をしただけで指を差して笑われた。自分から他人に関わろうとするのが怖くなった。
中二までかなり上位だった成績が、中の上、というレベルまで落ちた。中三の新しい担任はいい人なので、授業を受けていないので充分だと言ってくれた。でも、本当は家で十二時間くらい勉強していた。
勉強しても勉強しても、成績は伸びなかった。自分は学校すら通えないうえにダメな人間だ、と思うようになった。
中三の冬に、仕方なく学校に通い始めた。
親の勧めで、第一志望は私立の真面目な校風の高校を受験したが落ちた。
第二志望の不登校児向けのサポート校も受けた。ここは面接だけだったし、絶対受かると思っていたけど、落ちた。
いよいよあとが無くなって、都立高校を受けた。本来の自分の偏差値よりも、五くらい低いところを受験してなんとか受かった。
もう自己肯定感なんてなくなった。
もともと気が弱いのに、更に臆病になった。
卒業式は欠席した。母が卒業証書だけ取りに行ってくれた。
***
「――――田宮くん?」
気が付くと、目の前には望月が居た。
ここは、図書室。
そうか、俺は確か、夏休みの蔵書点検をしていて……。
「どうしたの? ぼーっとしちゃって」
「なんでもねえよ」
俺は無愛想にそれだけ呟いた。望月はお喋りな質なので、気軽に俺の内側を話せない。
すると、望月は何を思ったのか、その場を離れた。
しばらくして、また戻ってくる。
「お慰めだよ。司書さんから貰ってきた」
望月はチョコレートの小さな包みをくれた。俺は腹が、というより、胸がいっぱいなのでそれを食べずにポケットにしまう。
「ありがとな……」
「ううん! 田宮くんが頑張ってくれたおかげで、蔵書点検がすべて終わったし……」
ぶんぶん、と首を振る望月に、俺は笑ってしまった。
俺は無意識のうちにポケットに手を入れていたのだった。




