薄氷の上を歩くように
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### 薄氷の上を歩くように
薄氷の上を歩くとき、人は自然と息を潜める。
足音を消し、重心を低くし、一歩ごとに地面の気配を確かめる。
急げば割れる。
油断すれば沈む。
それでも歩く。
立ち止まらず、壊さぬように、傷つけぬように。
人に触れるということは、それに似ている。
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人の心は、見た目よりずっと脆い。
笑っていても、強がっていても、
その下には薄く張った氷の層がある。
過去の失敗。
裏切られた記憶。
自分でも整理しきれていない恐れ。
それらは普段、表に出ない。
だが、無遠慮な一言、乱暴な態度、
自分本位な距離の詰め方で、簡単に軋む。
ひびは音を立てない。
気づいたときには、もう割れている。
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だから、本当に大切に触れる人は、
まず「踏み出さない勇気」を持つ。
分かったつもりにならない。
近づけると思い込まない。
好意を理由に、無断で踏み込まない。
触れない時間もまた、
相手を守る行為だと知っている。
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細心の注意とは、
神経質になることではない。
過剰に怯えることでも、
距離を取り続けることでもない。
それは、
「自分が与える影響」を常に意識している状態だ。
この言葉は重すぎないか。
この沈黙は逃げになっていないか。
この一歩は、相手の準備を待っているか。
自分の感情よりも先に、
相手の地面の厚みを測る。
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人は、自分の都合で近づきたがる。
寂しいから。
不安だから。
確かめたいから。
だが薄氷の上では、
その衝動こそが最も危険だ。
安心したい気持ちが、
相手を沈めることがある。
それを知っている人間だけが、
慎重さを美徳として身につける。
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触れるとは、
奪うことではない。
反応を引き出すことでも、
支配することでも、
安心材料として利用することでもない。
触れるとは、
相手の輪郭を尊重することだ。
「ここから先は、まだ冷たい」
「ここは、踏んでも大丈夫」
その無言のサインを、
急がずに読み取る。
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壊れないように、
傷つけないように、
という言葉は、実はとても重い。
それは、
相手の人生に責任を持つという意味だからだ。
自分の言葉が、
その人の一日を左右するかもしれない。
自分の態度が、
その人の自己評価を揺らすかもしれない。
その可能性から、
目を逸らさないこと。
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乱暴な人は、
「そんなつもりじゃなかった」と言う。
だが、
そんなつもりがなかったこと自体が、
すでに注意を払っていなかった証拠だ。
薄氷の上では、
無自覚こそが罪になる。
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本当に大切に触れる人は、
謝るのが早い。
正当化しない。
言い訳をしない。
相手の痛みを論破しない。
ひびが入ったと感じたら、
その場で足を止める。
そして、
「今の一歩は重かった」と認める。
それができる人は、
二度と同じ割り方をしない。
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細心の注意を払うというのは、
完璧であろうとすることではない。
むしろ、
自分が不完全だと理解していることだ。
自分は時に鈍感で、
時に自分勝手で、
時に急ぎすぎる。
だからこそ、
確認し、待ち、引き返す。
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薄氷の上を歩くように生きる人は、
決して臆病ではない。
壊す覚悟ではなく、
壊さない覚悟を選んだだけだ。
それは、
強さの向きが違うということ。
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相手が笑っているからといって、
氷が厚いとは限らない。
何も言わないからといって、
大丈夫だとは限らない。
だから、
慎重であることを恥じない。
優しさを、
遠慮と混同しない。
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触れる手は、軽く。
言葉は、静かに。
距離は、相手が決める。
それでも、
必要なときには離れない。
それが、
薄氷の上を歩き続ける人間の矜持だ。
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壊れないように。
傷つけないように。
それは臆病な願いではない。
人を人として扱うための、
最低限で、最大の敬意だ。
世界は雑音が多すぎる。
だからこそ、
一人の人に触れるときだけは、
足音を消し、
呼吸を整え、
一歩ずつ進め。
氷の下にあるものを、
決して忘れないために。




