Chapter 3 : Contract Of The Spirit
まぶしい光が、ラコローネのまぶたを刺した。
どれほどの時が過ぎたのだろう――初めて、雨ではなく太陽のぬくもりが肌を撫でていた。
彼はゆっくりと目を開け、喉に詰まった塩水を吐き出し、半壊したボートの上で身を起こす。
海は、あまりにも静かだった。……不気味なほどに。
「……全部、夢だったのか?」
そのつぶやきは、幽霊のように波間へと消えていった。
返ってきたのは、滑らかでどこか愉快げな声。
「ノンノン。現実なんて、過大評価されすぎなんだよ。」
ラコローネは顔を上げた――そこにいた。
水面の上で胡坐をかき、湯気の立つコーヒーカップを片手に浮かぶ男。
まるで重力なんて、存在しないかのように。
「な、なんだとっ!?」
「夢なんて、現実がふざけた帽子をかぶっただけさ。」
男――アメリカーノはそう言って、香ばしい香りの湯気をふっと吹いた。
ボートの周りで魚たちが跳ねる。まるでその不条理を笑うかのように。
ラコローネは顔を覆い、ぼそりとつぶやいた。
「……最悪だ。皮肉屋の幽霊に取り憑かれたらしい。」
---
契約 ― The Contract ―
アメリカーノはぷかりと漂う木片の上に腰を下ろした。
その身を包む青白い炎のようなオーラが、波間にゆらめく。
「契約が必要だ。」
彼は淡々と告げた。
「俺は“彷徨う魂”。宿主がいなければ、虚無に腐っていく。後悔と退屈と……ちょっとした存在的絶望にね。」
「……で、俺を選んだのか。」
「他に“空いてる”やつ、いなかっただろ?」
「完璧だな。サメにトラウマ持ちで、罪悪感に沈む貧乏人をホストに選ぶとは。」
「おお、いいじゃないか。そういう“開き直り”、嫌いじゃない。」
---
肉体を超える力 ― A Power Beyond Flesh ―
空気が一変した。
アメリカーノの軽口が消え、声に古い響きが宿る。
「魂制御を教えよう。」
「さっきのやつか? 海を裏返して、水の上歩いた、あれ。」
「似てるけど、別物さ。魂制御は――素手で津波を掴むようなもんだ。
本当の意味で扱える者は、ほとんどいない。……俺も、少しやりすぎた。」
ラコローネは遠く、光差す水平線を見た。
「お前は……俺に“目的”をくれた。」
その言葉に、アメリカーノはほんの一瞬だけ、優しい眼差しを見せた。
---
革命への道 ― The Revolutionary Path ―
「次のステップだ。」
アメリカーノは風を切るコートを翻し、告げた。
「“革命軍抵抗組織”に入ってもらう。」
「……あの、テロリストの?」
「言葉のラベルなんて、権力者が安眠するための嘘さ。
連中が“悪”と呼ぶ者こそ、壊れた世界を直そうとする人間だ。」
ラコローネは小さく笑った。
「……遅すぎないといいな。」
「遅すぎやしない。――ただ、楽じゃない。」
---
失われた兵士 ― The Fallen Soldier ―
「俺も昔は帝国の兵だった。」
アメリカーノの声は低く、海風に溶ける。
「秩序を信じ、純粋を信じ……そして嘘に魂を売った。」
ラコローネは黙って聞いていた。頬を伝う雫が、涙か潮かも分からない。
「じゃあ……今度は直す番だな。」
「そうさ。世界を直すってのは、ナイフを投げながら津波に乗るようなもんだ。
格好悪く、たぶん死ぬ。――だが、最高にエンタメだろ?」
---
不安定な絆 ― An Uneasy Bond ―
ラコローネは指で水を弾いた。
「お前、しゃべりすぎ。」
「なにぃ!? それが反逆の第一歩か!」
二人は笑った。
疲れ切った、それでも本物の笑いだった。
魚たちが飛び跳ね、まるで拍手を送るかのように円を描く。
ラコローネは一匹を掴み上げ、ぼそりと呟いた。
「少なくとも、魚は俺たちを信じてる。」
---
第一の教え ― Lesson One: Feel Your Soul ―
アメリカーノのオーラが強く燃え上がる。
「第一の課題だ。魂を“肉体とは別のもの”として感じろ。
そうすれば、現実をねじ曲げることができる。」
ラコローネは目を閉じた。空気が震え、火花が舞い、オーラが唸る。
不安定で、荒々しい光。
「落ち着け。焦ると、魂がお前に逆襲するぞ。」
---
混沌の中の修行 ― Training in Chaos ―
時間の感覚が曖昧になる。
ラコローネは波の上に浮かびながら、何日も何夜も瞑想を続けた。
アメリカーノは隣でコーヒーを啜り、やれやれと教師のような顔をする。
魚たちは無言で見守っていた。どこか退屈そうに。
---
記憶の逆流 ― Memories Return ―
突如、集中が途切れる。
銃声。悲鳴。少女と母。赤く染まる海。
過去が押し寄せた。
ラコローネのオーラが暴走し、波が裂ける。
「その力は、復讐のためじゃない。」
アメリカーノの声が鋭く響いた。
「壊れた世界を正すためのものだ。」
ラコローネは拳を握り、深く息を吸う。
「……なら、正しく使う。正すために。」
---
明日への岸 ― The Shore of Tomorrow ―
再び雲が集い、遠くにヨーロッパの影が見えた。
ラコローネは立ち上がり、背中の剣を握る。
金のルーンが淡く脈打ち、名を囁く――まだ知らぬ誰かの名を。
「……上陸の準備はいいか?」
「やれるさ。」
---
嵐の前 ― Before the Storm ―
「制服とか、あるのか?」
「制服? いらないね。魂制御ローブ、希望者のみ。」
「……世界をひっくり返すのに、漁師スタイルかよ。」
---
希望の名 ― A Name for Hope ―
アメリカーノの瞳が紅く燃えた。
「我らは、人類すべての敵に立ち向かう。」
「なら、“レイス・ユニティ・グループ”ってどうだ。」
「……だっせぇ名前だな。」
魚がひとつ、後ろで跳ねた。まるで拍手のように。
---
初めての試練 ― First Real Test ―
「見てろ。」
アメリカーノが手を伸ばすと、海がガラスのように歪む。
水が渦を描き、宙に舞う。
ラコローネも真似る。
オーラが閃き、――水が暴発。小さな竜巻が生まれる。
魚たちが悲鳴を上げ、逃げ散った。
「……まあ、進歩……だな。」
---
光の下の闇 ― Dark Humor Beneath the Light ―
「俺が失敗すれば、人類は滅ぶ。
お前が失敗すれば……一生取り憑いてやる。」
「慰めの言葉としては最悪だな。」
二人の笑い声が、嵐の海にこだました。
頭上では、雲が王冠の形を描き始める。
---
到達 ― The Arrival ―
イタリアの岸が、雷雲の下に姿を現す。
風が咆哮し、ボートの帆が裂ける。
「ここからが……本当の戦いだ。」
アメリカーノは笑った。その笑みは刃のように鋭かった。
---
終章 ― 夜明け前の嵐 ―
船首に立つラコローネ。
背に剣を負い、風にコートをはためかせる。
その隣に、アメリカーノ。稲妻と霧の中、黒い影が翼のように広がる。
頭上では、雲が歪み、悪魔の王冠を描いていた。
一羽のカモメが逆さまに飛ぶ――重力を嘲るように。
そして、空気が震えた。
それは――運命の味だった。