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双翼、想いを運べ  作者: 蒸気鳥
第二章 雨の王都
5/21

茶色の川面に白い羽根は映えて

 翌日。王都はしとしとと雨が降り注いでいた。


 雨が石畳の道を洗い流し、川はいつもよりでっぷりと茶色の水を蓄えていた。ウルドの全景は灰色に包まれて、その輪郭がぼやけている。

 テラは紺色の雨合羽(あまがっぱ)を着つつ、そんな様子を窓から見ていた。父親は早朝に家を出ており、母親は基本的に昼まで寝ているので、存在感がない。ちなみに、貴族出身のせいか母親は家事の仕方をよくわかっていなかった。


 支度を済ませるテラのうしろ、ぬらりと眠そうなアヴィスが現れる。彼女もまた朝に弱かった。


「おはよう。もう仕事に行くのかい? 雨が降っているから気をつけたまえよ」

「おはようアヴィスさん。うん、お仕事行ってくるよ」


「……あ、ひとついいかな? テラ君、君の翼は実に『いいもの』だ。一流のものだよ。そして君の『技術』も、君自身の『人となり』も。だから、もっと。誇りを持っていいよ」


 アヴィスの前に立ち、彼女を上目遣いで見るテラ。その頷きに、救われた気持ちになる。


「誇りを、持っていいんですかね……?」

「もちろんだとも。君は、ハヤブサのように急降下できるんだろう?」

「(コクコクコク)」

「猛禽類は総じて自信に満ち溢れた、精悍(せいかん)な顔立ちをしているものだ。君もハヤブサならば、そうありたまえよ」

「うん……私、猛禽類みたいになるねアヴィスさん! ……よし、行くぞ!」 


 テラはアヴィスにひと声をかけて自宅を後にする。そして雨が降る屋上に出ると、アヴィスの言葉を胸に飛び立った。

 飛び立つと雨が視界をさえぎり、獣耳を通じて遠雷が聞こえた。

 どうしても悪天候だと飛行に支障が出る。視力がいいとは言え、翼人も人間と同じで情報源のほとんどは視覚によるものだ。テラの場合は獣耳の聴覚も重用だが。さらに、大きな翼も撥水性はあるものの濡れすぎれば当然重くなる。


「おはようございますっ!」


 テラは雨など弾き飛ばすように元気な声で郵便局に入った。

 すると、中では神妙な面持ちの所長が太い腕を組んで立っていた。一人で。


「……テラ君か」


「局長、どうかしましたか?」

「いや、実はな……今日は他のみんなが病欠になってしまって、配達員が君しかいないんだよ」

「えっ? アイリスちゃんも?」

「ああ。どうも腹痛が酷いらしい。多分近頃ウルドで流行っている胃腸炎だと思う。しかもこんなときに限って、重要な荷物の配送が入ってしまった」

「え、どうしましょう?」

「……やむを得ないが、他の郵便局に委託するしかないと思っている」



「――それなら、その仕事、私にやらせてください!」



 テラは最近で一番大きな声を出した。少し強気な表情で。

 両親の言葉と、先ほどのアヴィスの言葉と、昨日の先輩翼人・アイリスの言葉が背中を押した。

 だから自然とそんな言葉が口から出た。

 すると、真っ先に否定から入りそうなものだが、意外にも所長は悩ましげにうなずいた。


「……君ならそう言うと思ったよ。この荷物は、元老院(げんろういん)宛の重要な荷物だ。文字通り、政治や国を揺るがす可能性のある荷物だ。これの配達を失敗したら、懲戒処分どころか、下手をすれば君の人生も危ないぞ?」

「……はい! 頑張ります!」


 テラのどこまでもまっすぐな紫の瞳を見て、所長は彼女の覚悟を悟ったらしい。

 難しい、読みにくい表情をしてから、再び顎肉を震わせて深くうなずいた。


「わかった。君に託そう。とりあえず他の仕事のことは考えず、この荷物にだけ集中しなさい」

「わかりました!」


 テラは高級そうな布で巻かれた、深紅の小包を受け取る。少しばかり軽く感じた。書簡だろうか。

 だが、これに国政を左右するものが入っているかもしれないのだ。それだけで緊張するし、テラはそれを重く受け止めた。

 彼女は雨合羽を脱ぐと制服に着替える。この制服は撥水性がよく雨や雪の中でも問題ない。所長が後ろを向いた隙にサスペンダーを引っかけてスカートと革靴を履いた。


 そして配達鞄の中に耐水紙で包んだ小包をしまい込んだ。重要な荷物は元老院のフォグ議員という人物宛だった。ケンタウロスの革で作られた配達鞄を肩にかけて、ドアノブを掴む。


「……それでは、行ってきます!」

「くれぐれも気をつけるんだぞ!」


 テラは雨空の下に繰り出した。雨脚は先ほどよりも強くなっている。

 彼女は真剣な顔をして空に一瞥(いちべつ)くれると、灰色の大気へと勢いよく飛び出した。その様子を、『スペス郵便局』の看板の下、所長が心配そうに見つめていた。


 ――元老院は王宮の北に位置している。古代イザヴェル文明の遺跡をそのまま生かした形で、長い回廊をもって王宮に接続されているが、間違ってもいきなり敷地内に飛び込んではいけない。即座に衛兵たちに取り押さえられるだろう。

 きちんと正門に降り立ち、そこで衛兵の指示を仰がなければ『不敬罪』というまあまあ重い罪に問われる。恐らく、死刑ぐらいで済むだろう。


「元老院、元老院っと……」


 眼下の景色を見ながら、テラは脳内に記憶された地図を手繰(たぐ)って目的地へ向かう。

 

 そのときだった。

 

 石造りの橋のたもとに、小さな子供が立っているのが見えた。少年だろうか。彼は母親の目を盗んでふらふらと歩き回っていた。

 が、何を思ったか、突然橋の欄干(らんかん)に足をかけてその上に登り始めた。


「っ! 危ない!」


 少し離れた場所にいたテラは宙で身を翻し、少年に向けて手を伸ばす。

 しかし、少年が落ちて濁流に飲まれるのが先だった。その光景が、紫色の瞳の中で、ゆっくりとスローモーションで再生される。通行人が悲鳴をあげた。


「まだ、間に合うっ!」


 欄干に着地したテラはとっさに配達鞄を橋に投げ出し、そして靴底で手すりを蹴って茶色の奔流に流される少年を追う。


 ――いた。少年は濁流に抗おうとしていた。テラは恐ろしいほどの速さで少年を追う。


 小さな橋の橋脚を潜り抜け、水路の側壁を蹴って体の向きを変え、水面を切りながら肉迫する。

 それでも追いつくのが精一杯だ。その秀逸な目で少年を追い続け、白翼を閉じたり広げたりして狭い水路の障害物を躱していく。徐々に少年との距離が縮まっていく。


(あと少し……あと少し!)


 テラは木馬にやるように、視界を横切る配管に手をつき飛び越える。

 鉄棒運動のように細い橋脚の脚を掴み、一回転して針路を変更。

 川が暗渠(あんきょ)に差しかかったところで宙返りし、天井を蹴って一気に水面へと急降下。

 

 そして再び川面が日の目を見て、構造物から解放された瞬間、


「手を、掴んでっ!」


 と、テラは少年に向かって必死に叫んだ。


 少年は濁流にもまれながら、なんとか手を伸ばす。

 テラは茶色の飛沫を食らいながら、その手を、掴んだ。


「引き上げるよっ!」


 テラは奥歯を噛みしめて踏ん張る。

 いくら大きな翼とはいえ、子供一人抱えて飛ぶのは容易ではない。爪先から腰まで川の中に浸かってしまっていたが、翼を力強く羽ばたかせ、なおも飛ぶ。

 テラの体が次第に川面から浮き上がる。彼女は力んで犬歯を剥き出しにし、少年を元いた橋へと運んだ。


 橋のたもとには少年の母親らしき人物がおり、号泣していた。絶望していた彼女だったが、テラが脇に抱えた少年を見るとようやく安堵の色を浮かべる。

 彼女の前に少年を下ろすと、恐怖心に弾かれるようにして全力で母親のもとへと走っていった。二人はしばらくの間抱擁(ほうよう)する。

 母親はひとしきり泣いたあと、息子と手を繋ぎながらテラへと駆け寄ってくる。


「ありがとうございます! 本当にありがとうございます! 何とお礼をしていいのか……」

「そんな、お礼なんて大丈夫ですよ!」


 テラは襟を直しながらキリッとしつつ首を横に振った。心の内ではドキドキとデレデレが入り混じっていた。

 少年は大泣きしながら母親に抱きついている。よほど怖かったのだろう。川の怖さが骨身にしみたことは間違いない。


「本当にありがとうございます! せめて、お名前だけでも……!」

「えっと、テラです! スペス郵便局の!」

「テラ様、ありがとうございます! 是非お食事でも……」

「いやいや、そこまでは! 仕事中なので……少年、もうあんな真似しちゃダメだぞっ!」

「……ごめんなさい」

「本当にありがとうございました! テラさんは一生の恩人です!」


 頭を下げる二人を照れつつ見てから、テラは橋に投げ捨てた配達鞄を探す。

 

 が、優れた視力でいくら探せど見当たらない。野次馬が邪魔になって、どこに鞄があるかわからなかった。


「すいません。どいてください……」


 テラは雑踏(ざっとう)を掻き分けて配達鞄を探す。そして、視界に端に見慣れた茶色の鞄が写った。

 


 ――あった。だが、鞄は黒装束の人間の小脇にあり、今まさに、明らかに持ち逃げされているところだった。

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