新米郵便屋さん
「ここ『イザヴェル王国』において、重要な輸送手段がある。それは君たち『翼人』による郵便配達だ」
朝礼の時間、所長の高説が始まった。彼は翼人ではなく『普通』の人間だ。
禿頭によれよれの上着を羽織り、瓶底メガネをかけ、飛び出た腹をタプタプ揺らしながら喋る。「また始まった」と言わんばかりにテラと同僚は肩をすぼめた。
ここはとある郵便局の詰所だ。レンガ造りの壁に、ニスが黒ずんだ木の床、それからアーチを描いた暖炉。天井は高く、古木の梁が自然的で目に優しい仕上がりだった。レースが引かれた窓からはうららかな朝光が差し込んでいる。
「翼人による郵便配達は、とにかく早くて正確でなければならない! それこそが我が郵便局『スペス郵便局』の売りなのだからね! しかし最近、当郵便局ではそのオリジナリティである早さと正確性が失われつつある!」
少女テラは黒ネクタイを直しながら、所長の話を話半分で流していた。紫色の短髪を指に絡ませながら、紫水晶の瞳でぼーっと横目を見ていた。
が、突然所長の肉厚の人差し指が彼女を射止め、彼女は獣耳をびくっと震わせて驚く。背負った白い翼もつられて震えた。
「特にテラ君! 君は昨日、重要な書類を間違ってウィットン牧場に届けたそうじゃないか! よりにもよって『牧場の助成金削減の書類』を牧場主に届けて……この国の政治を火だるまにする気かね!?」
「あ、あう……すみませんでした……」
「一昨日は錬金術師に届けるはずのマンドレイクをご老人宅に配送し、その声で危うく二人をマンドレイクの生贄にしかけた。これはテロか!?」
「ち、違うんです!」
「問答無用! 君の粗相はまだ沢山あるぞ! この間は堆肥用の牛糞をレストランに配達したね? 細菌をばら撒くつもりか!? 食品衛生の概念はどこへ行った!?」
「あうぅ……」
一言指摘され、返すごとに、テラのケモ耳は垂れ下がっていく。
「こほん」
所長は咳を一つ吐いてから、メガネを直して改まった。
「とにかくだ。当『スペス郵便局』はこれからも早さと正確性を売りにしていく。その目標達成のために、各自できることをやるように。特にテラ君は!」
「猛省します……」
木の扉を開けて所長室に入っていくその背を恨めしそうに見送りながら、テラはしょんぼりうなだれる。一緒に獣耳も白翼もすっかり力なく垂れてしまっていた。
「あはは! テラってば、すっかり釘刺されてるの!」
テラの隣に立っていた長身の翼人に小突かれる。
黒髪をした彼女の目は切れ長で、深い金色をしていた。顔は端麗で、眼・鼻・口と顔のどこの部分を切り取っても美しい。歳はそんなに変わらないはずだが、テラとは対照的に大人びており、自信に満ちた表情と所作をしている。
その漆黒の髪は艶があって綺麗で、腰まで届きそうなほど長い。翼は同色で、テラのものよりも大きくて際立って立派だった。
――彼女はアイリス。テラの先輩であり同時に師匠でもあるが、分け隔てなく接してくれるためテラにとっては友達みたいなものでもある。敬語も省略する仲だ。テラの一連の担務は、彼女から教わったものだった(なお、ドジは教えられていない)。
「アイリスちゃん……どうして私ばっかり……」
「テラは典型的な『空回りタイプ』だからねー。仕事になると力んじゃって、あらゆることが上手くいかないんだよ。もっと力抜きな?」
「なんでぇ……アイリスちゃんは?」
「私? 私は効率的に仕事して空いた時間に昼寝したり、オヤツ食べたりとかしてるよ? 力はトコトコン抜いて働くタイプなのさ」
「ズルいズルいズルい!」
テラは地団駄を踏む。年季の入った木の床がミシミシ鳴った。
「さて、アイリスちゃんもテラちゃんも仕事するわよ」「はーい」「はい!」
ベテランの女性・翼人配達員、もとい副所長が声をかけ、二人ともロッカーに向かう。中には制服がかけてあり、テラはそれを白いワイシャツの上から羽織る。
灰色に厚手のウール生地、襟には赤い紋章がついている。背中には二つの大きな穴が開いており、そこに翼を通して、ボタン閉じて翼の生え際を隠せるようになっていた(世の中には、翼の生え際を見ることに興奮する酔狂な人間もいるらしい)。
テラは赤いラインが入った制服を前で合わせ、金色のボタンをつけていく。それから赤と黒のチェック柄のスカートを腰に通し、黒の革靴を履けば一端の郵便局員の出来あがりだ。
テラはスカート丈にこだわりがあり、飛んでいるときに下から下着が見えないように少し長めに取ってあった。丁度膝小僧が見えるか見えないかくらいだ。
ちなみに、年配者向きに長ズボンも選択できるが、若い二人はスカートだった。
「よし、今日も頑張るぞ!」
「お、気合十分だね。気を付けてねテラ! 空回りしないように!」
「アイリスちゃんも、どうぞご安全に!」
テラは配達用の革製鞄を手に取り、あらかじめ仕分けてあった荷物を中に入れていく。
自分の担当する地区に配達するのだ。運ぶのは手紙から小包まで様々。彼女は伝票を手に取り、住所と氏名を確認してから郵便局の扉を大きく開け放つ。
雲ひとつない快晴だった。澄んだ青色の空が広がり、春先にふさわしい暖かな陽光が降り注いでいた。テラは気持ちよさげに光を浴びながら翼を広げる。
「うーん、いい天気!」
彼女は大きく身震いすると、畳んでいた翼を広げて、それで宙を打って飛び上がった。大きく上昇した彼女は街が一望できる位置まで上がる。この瞬間が一番の快感だ。
――どこまでも続く石畳の路。それに沿うように大小さまざまなレンガ造りの建物が並んでいた。赤茶色の方形屋根が見える。
重厚感のある尖塔を抱えた王宮が中心にあり、いくつもの河川と橋が街にかかっている。
至るところに花が咲き乱れ、花を愛する国民性が見て取れた。
――これがイザヴェル王国の王都、『ウルド』だった。