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双翼、想いを運べ  作者: 蒸気鳥
第三章 ひと時の別れ
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翼泥棒


「……誰だ?」


「配達に伺いました、スペス郵便局の者です」

「ああ。入ってくれ」


 声の主はそう言った。男声だ。テラは封筒を手にして「失礼します」と言ってから中に入る。

 入った瞬間、思わず顔をしかめた。腐臭。実際に嗅いだことはないが、『死臭』らしきものが漂っていたのだ。

 鋭く鼻腔(びこう)を突く臭いに思わず咳き込みながら、テラは中に入る。


「やあ。きちんと若くて可愛い子を寄越してくれたんだね。封筒に書いておいて正解だったよ」


 家主が現れた。男は痩せこけた頬をしており、薄い胸板、不健康なか細い脚をしていた。服は全体的に皺が寄っており、ところどころ破れ、お世辞にも綺麗な身なりとは言い難い。

 テラは男と距離を取って警戒する。


「こちら、手紙です。住所と宛名はお間違いないでしょうか?」

「ああ、大丈夫だよ。それにしても君の翼は綺麗だねぇ。真珠のようだ……」


 男はテラに近づき、何の気なしにテラの翼を撫でる。テラは恐怖を感じて身を震わせて縮こまった。知らない人に翼を触られるのには慣れてない。純粋に怖かったし、嫌だった。


「あ、あの。これで失礼してもよろしいでしょうか?」

「折角だからお茶でも飲んでいくといい。茶菓子もある。もっとその綺麗な羽を見せておくれよ」

「いっ、いえ、今仕事中なので。次の配達先に行かないと……」

「その翼があれば一瞬だろう。慌てる必要はないよ」

「い、いえ! そういうわけには……」

「そうか。ならば――」


 突然、男がテラに掴みかかった。壁に押さえつけるようにして、手で彼女の首を締め上げる。

「が、はっ! 何を……!」

「それじゃあ君のその綺麗な翼も、僕のコレクションにして堪能させてもらうよ! はははっ!」


 最初は暗くて見えなかったが、紫の目が闇に慣れ始め、部屋の奥が見えるようになる。  

 その瞬間、冷たいものがテラの背筋を駆け抜けた。

 

 ――部屋の壁には、所狭したと様々な色の翼が飾られていたのだ。

 ただの一枚の羽根、とかではない。翼人の『翼丸ごと』、そのものだ。確かに翼人の翼は高額で取引されるほどの美術品とされた。

 だがこの男のものは違う。明らかに、強引に、翼を切り落としたような形跡があった。その証拠に、翼は羽根が抜け落ちたり、無数の傷が入っていた。

 つまり翼人の背中から翼を奪っているということであり……この腐臭の正体は……。

 

 同時にテラは、アヴィスの背中にあった傷を思い出した。まさか彼女は、こういった物狂いに双翼を奪われたのでは?


「や、やめて、ください!」


 テラは男の手に爪を立てる。男はわずかに怯んだ。

 その隙に敢えて間合いを詰めて体当たりする。か弱そうな男はよろけた。


「ちっ。抵抗するな! 綺麗な羽が傷ついたらどうするんだ!」

「お、お生憎様! 私の翼は完璧じゃないんです! 昨日散々抜けました!」

「……それでも欲しい! 白鳥のような白い羽が!」


 男は再びテラに掴みかかる。テラは歯を食いしばって、翼で思いきり男の横顔を打つ。反動で男は床に転がった。

 

 ――翼人の翼にかなりの価値があるとは聞いていた。だが、生きた翼人から翼をもぎ取るような悪質な輩がいるとはまさか思わなかった。

 テラはその隙に扉を開けようとする。だが、立てつけが悪いのかなかなか開けられない。試しに蹴り開けようとするがびくともしない。

 振り返ると男が鋸を持って近寄ってくるところだった。テラの目が見開かれ、額を脂汗が流れる。


「生きたまま翼を切り取るのは本位じゃないが……その美しい羽は何としてでも欲しい!」


 テラは「やだっ! やだっ!」と悲鳴をあげて部屋を逃げ回る。どこか逃げ道は――窓しかない。

 窓の方に駆け寄るが、机が邪魔でそれ以上近づくことができない。その間にも男はじりじりと距離を詰めてくる。


「素直に睡眠薬入りの茶で眠っておけば、苦しむこともなかっただろうに……これも美しい翼を持つ君が悪いんだからね?」

「そ、そんなっ!」 


 追い詰められるテラ。彼女は唇を震わせながら、逃げ道を失い、覚悟を決めて腰を落とした。

 昨日黒装束と対峙したときのように、最終手段で徒手格闘の構えを取る。

 最後まで抵抗することしか、自分にはできなかった。


「……この翼は、『お母さん』から引き継いだ大切なものです。例えこの身が朽ちようとも、誰かに渡すことはできません!」

「ほう。ならば余計に欲しくなる……!」


 男が鋸を振り上げてテラに襲いかかろうとした瞬間。

 まさに青天の霹靂(へきれき)。突然テラの背後のガラスが砕け散り、黒い何かが突っ込み、男を吹き飛ばした。テラはすぐにそれの正体がわかった。


「――アイリスちゃん!」


 ガラスを割って飛び込んできたのはアイリスだった。彼女は黒髪を揺らしながらテラの方を見やる。金色の眸子(ぼうし)が鋭く光っていた。


「テラ、怪我はない?」

「うん、大丈夫。で、でもどうしてここがわかったの?」

「忘れ物して郵便局に戻ったら、副所長から事情を説明されてね。個人的に『嫌な感じ』がしたから来てみたら……私の可愛い後輩が追い詰められているのが見えたんだ」

「アイリスちゃん……」


 テラは緊張の糸が解けそうになり、丸い紫色の瞳に涙を浮かべる。


「うう……」

 不意打ちを食らった男がふらふらと立ち上がる。それに対して、アイリスは剣を引き抜いた。白金の刃が闇を払う。

 ――この剣は長距離配達員にのみ貸与される剣だ。海外遠征では人のみならず魔獣と戦闘になることがある。そこで配達員は武装を許されていたのだ。生真面目なアイリスは武装することに慣れるために予行演習で帯刀していた。


「黒い翼と白い翼、両方とも欲しい……並べればどんな宝石より価値がある……」

「うわ何コイツ。『テラの翼目当て』でおびき寄せたの?」

「う、うん。そうみたい」

「なるほどね。『ド』がつく変態って訳だ」


 アイリスは壁に飾られた翼を見て全てを察したようだった。嫌悪の表情を浮かべる。

 男は床に転がっていた斧を手にすると、それを引きずるようにして二人へと向かう。アイリスは男に向けて剣を突きつけた。


「それ以上近づくなら殺す。私は軍人貴族の出だから、殺しは怖くないぞ!」

「その羽寄越せぇえええ!」


 ゆっくりと振り上げた斧。その腕を目がけてアイリスは刺突を放ち、切っ先は男の腕を掠めたが、男は怯まない。

 アイリスは空いた左手で斧の柄を掴み、男の横身に体当たりを食らわせる。

 間髪入れず腹に靴底で蹴りを与えた。男はさすがによろめいた。


「す、凄い……」


 鮮やかなアイリスの戦闘技術にテラは感心する。

 男は斧を振るうが、アイリスは首を傾けてそれを躱し、一気に間合いを詰めて男の腹に拳を打ち込む。男は衝撃で嘔吐した。彼女は回し蹴りを放ち男の横顔を穿つ。

 男はいよいよ床に倒れ込んだ。だが彼は諦めが悪いようで、床に転がっていた短刀を手にすると、震えながら立ち上がって剣先をアイリスに向ける。

 その鋭い瞳に、生気はない。ただ狂気や妄執(もうしゅう)の色しかなかった。


「この執念……見上げたものだな。一体何人の翼人を殺めてきたんだ?」

「さあな……だが綺麗だと思った翼は全部集めた。殺してでも」

「なんて愚かな」


 男はアイリスの元に突っ込んでくる。アイリスは体を沈めて、剣を構えた。それから一歩踏み出して、男の剃り刃を目がけて振り下ろす。そして刃を弾き、武装を失った男の腹にアイリスは剣先を突き刺した。

 男の腹部に激痛が走り、男は埃まみれの床に崩れ落ちた。次にアイリスは男が立てないように右足に剣を突き立てる。男は再び悲痛の叫びをあげる。

 アイリスの剣裁きにテラは目を丸くする。明らかに昨日今日で会得したものではない。さすが軍人貴族の令嬢。対人戦闘には慣れていた。


「う、ぐうう……」

「どうだ? お前がやってきた蛮行の数々に比べれば、こんなのは軽いうちだろう」

「痛ェ……。痛ェよ……」

「……知ってるか? 翼人は羽根が抜けたり折れても痛みは感じない。だが、翼の根元を切られれば想像を絶する痛みを感じる。そこには血液や神経が通っているんだ」


 アイリスは血を振るってから腰に下げた鞘に戻し、真剣な表情でそんなことを呟く。

 テラの頭にアヴィスの姿が浮かび、思わず胸が痛む。経緯はどうであれ翼を喪った『痛み』は想像を絶するものだっただろう。

 それからアイリスは静かに呼吸を整え、改めてテラと向かい合って言った。


「私はこのことを憲兵と実家に通報してから行くよ。テラは配達に戻れる?」

「あ、うん……だ、大丈夫……」


 虚勢でそう言ったものの、テラは脚が震えて力なくペタンと座り込んでしまう。恐怖で顔から血の気が引いていた。

 そんなテラを見てアイリスは優しく微笑んだ。それから膝立ちになって襟元と歪んだネクタイを直してくれる。


「わかった。今日は私と一緒に配達しようか?」

「うん……ありがと……」

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