序章
それは、泣きたいくらいに美しい夕日だった。
あらゆるものを燃やす夕焼けは、雲をも染めて火焔のように写し出していた。
そんな夕日の下に、空を飛ぶ人影がひとつ。背中から生えた翼で宙を切っていた。
――この世界には、『翼人』と呼ばれる人種がいる。姿かたちは人と同じだが、背中に大きな二つの羽を持ち、自由自在に空を飛ぶことができた。
この翼人は少女だった。
スミレを思わせる紫色の短髪をはためかせ、頭についた二つの獣耳で風切り音を聞きながら、背の倍はありそうな真っ白な翼を振るっていた。
彼女の顔にはまだあどけなさが残り、優しげな丸い瞳で平原を見つめていた。
短髪はいささか不自然に乱れており、額に前髪が張りつき、後ろ髪は跳ね上がっている。灰色の制服もびしょ濡れで重そうだった。先ほど嵐にでも巻かれたのだろう。
空にひとりぼっち。宿に帰る鳥すらもいない。少女は本当にひとりだった。
「へくしゅんっ!」
不意に少女はくしゃみをこぼした。誰もいない空にくしゃみが響く。
「あぅう……ノウェイ村まであともう少しのはずなんだけど……」
深い紫色の瞳を光に輝かせて、少女は呟く。顔に浮かんだ疲労からは相当な距離を飛び、苦難を乗り越えていることがうかがえた。
「着いたらご飯をたらふく食べて、宿に泊まって、ベッドでぬくぬくして眠るんだ……」
誘惑に思わずよだれをたらしそうになった彼女は、ハッとして首を横に振る。
「いけない、いけない! 大事な手紙のことを忘れてた!」
そう言うと少女は肩から下げた重そうな配達鞄を叩く。中には配達を待つ手紙や小包がギッシリ詰まっていた。
彼女は鞄のほかにもいくつものポーチを吊り下げて、羽ばたいていた。
「頑張れ、郵便屋さんのテラ! みんなの『想い』を届けるんだ!」
少女はテラという名前だった。彼女の祖国で、《大地》を表す言葉だった。
「頑張れ、生き抜け……っ!」
テラは一生懸命に自分を元気づける。この孤独な世界、褒めたり励ましたりしてくれるのは過去の記憶か自分自身しかいない。
――そして彼女は、いつまでたっても近づけないでいる村を目指して、必死に翼を動かす。
徐々に夜のとばりが降り始めていた。オレンジ色と紫色のグラデーションが空に広がり、気の早い星たちが空に瞬き始める。闇夜は、もう、目前だった。