第八章 無貌の預言者
第八章 無貌の預言者
Ⅰ 不吉なる報せ
赤黒い月が消え去った翌朝。
しかし空気は澱んでいた。水は濁り、森の鳥は鳴かず、人々は悪夢にうなされ続けていた。
「……女神の影響が広がっているわね」
リアが星図を読み解き、厳しい顔をする。
「昨夜の儀式を止めても、流れそのものが止まったわけではない。むしろ加速している」
アキトは黙って拳を握った。
誰もが息苦しく、心の奥に影を落としていた。
その時――。
遠くの村から、絶叫が響いた。
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Ⅱ 無貌の男
彼らが駆けつけた村は、すでに静寂に包まれていた。
生き残りの気配はなく、家々の壁には奇妙な文字が血で刻まれていた。
――《すべては女神の夢の中に還る》
その中央に、ひとりの男が立っていた。
顔が、なかった。
仮面すらなく、ただ滑らかな皮膚で覆われた無貌の男。
「……我は 無貌の預言者。七邪王の第二柱」
その声は、直接頭に響くようだった。
「この村は救済された。彼らは女神の夢に抱かれ、永遠に安らぐ」
屍でもなく、血環でもない。
そこにあったのは、眠るように倒れた人々の姿――笑みを浮かべたまま、二度と目覚めることはなかった。
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Ⅲ 精神侵蝕
「……やめろッ!」
クレインが斬りかかろうとした瞬間、彼の動きが止まった。
クレインの瞳が揺れ、言葉が漏れる。
「……母さん……?」
誰にも見えない幻を、彼は見ていた。
無貌の預言者は静かに囁く。
「お前の望むものを与えよう。死者を蘇らせ、失われた時を戻す。
それが女神の慈悲……」
クレインの剣先が震え、仲間へと向かいかける。
「クレイン! 目を覚まして!」
メルロが叫ぶも、その声は届かない。
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Ⅳ 囚われる心
リアは風の結界を張り、仲間を守ろうとするが――。
「お前も望んでいるだろう」
預言者の声が彼女の耳元で囁く。
「かつて失われた天の血統を。滅びた同胞を。
お前が背負う孤独を……女神は赦す」
リアの胸が締め付けられる。
誰にも言えなかった孤独を、無貌の男はすべて見透かしていた。
メルロも、カイルも、次々と幻に囚われていく。
ただアキトだけが必死に剣を握り、歯を食いしばっていた。
「やめろ……! 仲間を弄ぶな!」
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Ⅴ 光の逆鳴
預言者の声がさらに強くなる。
「お前も望んでいるのだろう、アキト。
両親のぬくもりを。妹と過ごした平穏を。
なぜ抗う? なぜ背を向ける? その弱さを捨て、夢に溺れよ」
アキトの脳裏に、笑う妹の姿が浮かんだ。
――「お兄ちゃん、もう戦わなくていいんだよ」
涙が頬を伝う。
しかしアキトは、剣を地に突き立てた。
「……弱さがあるから、俺は戦うんだ。
失ったものを背負って、痛みを知って、それでも……生きている仲間を守るために!」
その瞬間、剣が白き光を放った。
光は鐘の音のように響き、仲間の幻影を一気に吹き飛ばす。
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Ⅵ 戦端
リアが正気を取り戻し、風を纏う。
クレインが雷を走らせ、メルロが氷を放ち、カイルが盾を構える。
それぞれの力が重なり、アキトの光と共鳴する。
無貌の預言者は初めて声を揺らした。
「……愚かなる抵抗。だが……よい。お前たちの絶望こそ、女神の糧」
その言葉と共に、彼の体が崩れ――無数の「顔なき者たち」が周囲に広がった。
村人の魂を模した、表情を持たぬ幻影の軍勢。
次なる戦いの幕が、上がった。
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