表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
なろう系打ち合わせ会議  作者: お赤飯
4/11

なろう系打ち合わせ会議4

瀬能さんとなろう系小説担当者の会議、今回のテーマは「審査員ブルース」

瀬能「今度の賞レースって言うんですか?小説大賞で大賞だか何か賞を取るとアニメ化?されるっていう奴。」

担当「いえいえ。いきなりアニメ化はハードルが高いので書籍化からだと思います。書籍化、コミック化、そしてアニメ化と。」

瀬能「媒体、媒体で、啜れるだけ啜るっていう魂胆が見え見えですね。・・・嫌いじゃないです。」

担当「いやらしい話、最近は、広告代理店がかなり慎重でして。売れるっていう大前提がない限り、大手メディア化はしませんよ。」

瀬能「博ピー堂とか、電ピー、ピーピーピーなピーピーピーとか。」

担当「先生、ピーピーじゃ何言っているかわかりません。」

瀬能「モールス信号ですよ。モールス。それとも、エニグマか何かで喋りますか。」

担当「昭和みたいにアニメに広告出せば玩具やお菓子が売れるっていう時代でもなくなりましたからね。」

瀬能「私が言いたいのは広告代理店の話ではなくてですね、その賞レース、誰が審査員するのかと思いまして。審査員って事前に発表されているんですか?」

担当「ノーベル賞みたいに、スポンサーの冠が謳っている賞レースなんかは審査員は告知されていますが、そうでない場合、その賞レースを立ち上げた企画チームが担当している事が多いみたいです。小説なり漫画の場合は、該当する書籍の編集者、その出版社の各部責任者、そして、雑誌の有名な作家。あまり外部から呼んでくるって事はなさそうです。賞レースもお金がかかりますから、内輪内輪で済ませる事が多いみたいですね。」

瀬能「・・・そうですよね。十何万、高くて何十万の賞レースじゃなるべく内輪で済ませますよね。」

担当「先生、そうは言っても、賞レースはレースですから、売る方も真剣ですよ。賞レースなんて言っていますけど、青田買いですから。編集者なんかは目の色かえて、審査してますよ。」

瀬能「確かに。有象無象の中から、ダイヤモンドの原石を。いえ、ダイヤモンドそのものを発掘しようとしている訳ですから、真剣ですよね。」

担当「ジャングルで違法採掘しているダイヤモンド鉱夫と同じ位、目が血走っていますよ。」

瀬能「私もこんな事を言いたくはないのですが、分かっている人間がジャッチしているなら、不服はありませんよ。分かっている人間なら。だいたいの場合、ろくすっぽ文学の何某も分からない奴が裁定しているのかと思うと、腹が立ってくるんですよね。お前に私の何が分かるの?っていう。」

担当「そこら辺は、有名なコンクールでもある話ですから、規模の大小は関係ないと思いますが。」

瀬能「いやいや。規模が小さくなればなる程、その傾向は強くなりますよ。活字を読まない奴が偉そうに採点する。ほんと、どうにかして欲しいです。」

担当「その時代、社会背景、プロバガンダにもそれなりに文学の賞レースは影響を受けますから。これは仕方がない事だと思います。常に神聖なジャッジがされている訳ではありませんから。・・・人それぞれ、面白いと思う要素が違いますし、賞レースの昔からの伝統もあります。純文学のコンクールで不条理ものが選ばれないのと一緒です。ただ、審査員の人達、全員が、そういうのを心得ているかと言えば、そうでもないのが難しい限りです。だいたい作家なんて生き物は、自分勝手な人が多いですから、文学賞に関しても、経緯と伝統をおもんぱかる事なく、面白いからいいや、って投票する作家もいますからね。まず、審査員に相応しい人間を選ぶところからはじめないと。」

瀬能「ほら。話が戻ってきましたよ。審査員を選ぶ審査。審査員に相応しいかどうか、そもそもそこが発端な気がします。」

担当「あの、端的に、小さい、例えば、ニッチでマニアックな賞レースがあって、そういう賞レースでは、規模も小さいですから先生が言ったように、内輪な審査員になりますけど、反対にそれは、完全に売れる売れないだけで判断していますから、分かりやすいんですよね。文学の何か、技術、背景、そういった様々な物を排除して、端的に売れるか、売れないか、だけ。判断材料が清々しいと思います。」

瀬能「いきつく所、私も、それだけだと思います。最後は、売れる、売れないだけですからね。」

担当「売れている本は、だいたい名作ですから。これは歴史が証明しています。売れている本は名作です。」

瀬能「売れているから増版されますし、蔵書されますからね。それを名作と言うかどうかは分かりませんが、売れた本は世に残りますからね。」

担当「たまに著名なコンクールで大賞に選ばれた作品で、作家性だとか文学性で選ばれるものがありますけど、私達、一般人が読んで、ん?って思うものもありますから、一概に基準も分からないですよね。でも、そういう賞で選ばれれば作家にも本にも箔がつくから、一時的には売れるんですよね。出版社としては売れてもらえればありがたい限りですけど。」

瀬能「大先生の珍作品にならないんですか?人生年表を書いたら、混乱期とか書かれちゃうような。」

担当「作家先生も人間ですから、作品に真摯に向き合う時期もあれば、妾さんに入れ込む時期もありますよ。」

瀬能「私は、賞レースに、一貫性があればいいと思っているんです。審査する人も、賞レースに対して、一貫した裁定基準を持ち合わせて、それで、審査しているならそれでいいんです。例えば、一部の審査員の力が強すぎて、審査の程をなしていない場合があるんじゃないかと。でも、あれですかね、強烈な審査員がいて、賞レース自体が面白いっていう場合もありますけど。この審査員、何、言うのか、そっちの方が気になっちゃう場合。お笑い勝ち抜き合戦みたい奴の大島渚、糸井重里、永六輔とか。」

担当「お笑いじゃなくて、話芸を文化として捉えている高尚な人達ですから。あの手の人達は笑いのツボが一般人と異なりますから。」

瀬能「そう言えばてんぷくトリオの伊東四朗は、漫才、コントなどのいろものの芸人の人を、お笑いっていう言い方が気に入らないって言っていましたね。”お”を付けるなと。”笑い”と言え、と言っていますね。」

担当「ああ、聞いた事あります。」

瀬能「自分達のことをお笑いと言って、下げる言い方を気に入らないらしく、笑いに真摯に向き合えと言っていましたね。笑われるんじゃない、笑わすんだ、と。」

担当「いかにも笑いを芸として考えている世代ですね。貴重な存在だ。」

瀬能「笑いのツボが違っていてもいいんですよ。人それぞれ感性が違いますから。笑いを審査する上で、審査している人間に、その笑いが理解できているのか、っていうのがありますね。あの、漫才のコンクールあるじゃないですか?一年かけて何千組の漫才師が、たった一組、選ばれる奴。どうしてもあれ、審査基準が曖昧でいまいち、好きじゃないんですね。」

担当「漫才とかコントのタレントが審査員やってる奴ですか?」

瀬能「そう、それです。国営放送の賞レースとか、関西テレビ局の賞レースとか、歴史が古くて、それなりに権威のある、賞レースがあるじゃないですか?あれって、まだ、放送局の偉い人が審査にまだからんでいて、放送局の冠で賞レースやってますよね?下手な芸人を選べないんですよ。その時、その時の人気あるタレントじゃなくて、その時、瞬であり、笑いの腕もあって、放送局の冠を与えても良いと思われるネタを披露した芸人に送られる訳ですから、重さが違う訳ですよ。重さが。」

担当「先生は、エムなんちゃらグランプリに重さがないと?」

瀬能「昔やってた国営放送のボール、投票する奴、あったじゃないですか?まだあれの方が、ジャッジに嘘がないと思うんです。面白ければ投票するだけのシステムですから。なんちゃらワングランプリはその指標も基準も曖昧で、しかも、一人の審査員の発言が、それ以降の審査に影響するし、自分が思った点数を入れても、おかしな雰囲気になるし、まるで、同じ点数でなければならない空気感みたいのが充満していて、好きじゃないんですよね。

私は審査員をやるんだったら、もっと自信をもって自分の基準で点数をつけてもらいたいです。誰かに忖度するような点数操作じゃなくて、自分の基準で。」

担当「それは前から言われていますけど、誰も、そうしないですよね。あれ、一回、テレビ演芸みたいに、文化人とか入れて審査しちゃったら揉めるけど、面白いでしょうねぇ。古い価値観と若い世代の価値観が激突して、揉めに揉めて、それは見ている方も面白いですけど、若い価値観についていけない古いお笑いとか言われて揶揄されそうですけど。」

瀬能「結局、そこらしいですよ。そこ。」

担当「そことは?」

瀬能「漫才の賞レースに限らず、文芸、漫画の賞レース。世間から批判されるから、審査員をやりたくないっていう問題が勃発しているそうです。エムなんちゃらグランプリの審査員と同じで、審査すると必ず揉めるから、やりたくないって言われて、なかなか審査員が決まらないらしいです。演者より審査員に厳しい世の中ですからね、昨今は。」

担当「そうなんですか。」

瀬能「大島渚、永六輔ぐらい我が強い人じゃないと、自分の審査に自信を持てないのでしょう。ハートが強くないと務まらない世界らしいです、審査員は。」

担当「ああ、分かる気がします。」

瀬能「賞レースを主催する人達には可哀そうな話ですが、本当に、審査員のなり手がおらず、審査員選考に難航している、という話を聞きます。審査員が決まらなければ誰も採点出来ませんから、賞レース自体、お手上げですものね。」

担当「誰も文句言わない大御所先生が現在、不在ですものね。どの業界でも。」

瀬能「誰も審査員のなり手がおらず、仕方なく、分かりやすい人に頼んだから、賞レース自体の権威が下がったなんて話もありますからね。私、思うんですけど、文学賞などはよくある、選考基準に満たない場合は、大賞不在でもいいと思うんですよね。今回は、不作だったで。無理に1位、2位を決めようとするから、多方面から不満が爆発するんであって、今回は全部ダメだから全員失格とかね。有りだと思うんですよ。」

担当「無理に決めると、豊作の年と不作の年で、品質に差が出てきますものね。」

瀬能「そうなんです。お茶、昆布、海苔、みんなそうじゃないですか。それはもう厳しい審査で。忖度なしですもんね。あの世界は。そういうのをエンタメ世界の賞レースに適用してもいいんじゃないかと思うんです。」

担当「それは有りかも知れませんね。」

瀬能「そういう風にすれば、過去の作品と、現代の作品も対比できる訳で、過去の作品で有名なものも、思い出補正、思い出美談、思い出名作で、なんとなく凄いっていうだけかも知れないじゃないですか。過去の大先生を超える作品だって、もしかしたら現代で現れているかも知れないけど、歴史の厚みだけで、過去の作品が凄いとされている、っていうのも、今の作家陣にしてみたら、面白くない事だってありますからね。作家は作品で勝負しているんですから、思い出と戦う必要はないんです。純粋に作品で勝負すべきです。」

担当「それをちゃんと審査できる人間がいれば、の話ですよ、先生。」

瀬能「そこなんですよねぇ。また、その審査員いれば問題に、回帰しちゃうんですけどね。全方向忖度しない空気読まない自分の価値は絶対だ、尚且つ、作品に対して歴史的にも造詣が深く、客観的に判断できる人間が欲しいですね。」

担当「・・・。けっきょく、先生。そういう人は、そういう賞レースにまったく関係がない人って事になりませんか。何も情報がない。初めてみる。真っ白な状態で、作品を審査して、決めるしかなくなると思いますよ。造詣が深ければ深いほど、本来の趣旨から外れていくと思いますし。・・・純粋無垢な気持ちで作品を眺めた方が、一番、賞レースの意図と合っている気がします。」

瀬能「真理ですね。それは真理です。作品に対して理解が深い方がいいのか、何も知らないで直感で見た方がいいのか。何も理解していない事は、純粋に作品だけを見る事ができる。理解していない事は、理解している事と、同じである、と。」

担当「そこまで行くと意味がわかりません。先生、意味不明です。」

瀬能「私も何を言っているか、途中から、訳が分からなくなりました。千利休と同じですね。最後は自然体。自然体こそ究極の美であると。・・・あんな、素人がこねくりまわした様な茶碗が、国宝?笑わせんな、って話ですよ。」

担当「先生、分かる人が見れば分かるんですよ。」

瀬能「分からない人が見て、分からないんだから、分からないんですよ。千利休の考えはそれですよ。それをよく分からない人間が、価値を後付けしたんじゃないですか。本来、価値のない物に価値を与えるから、ややこしくなるんです。作った本人がゴミとか言えば、それまでじゃないですか。」

担当「ゴミじゃなくて自然体っていう話ですから。自然体こそ美なんですから。自然体とゴミは、流石に違うと思います。ただ、私、陶器や茶器の価値に関して、一切、分からないんで、雰囲気で喋っているだけですけど。」

瀬能「もしかしたらですよ。あれだって本当は捨ててあったゴミがたまたま現代まで現存しちゃっただけかも知れないじゃないですか。本人が見たらがっかりするような作品かも知れませんよ。」

担当「それは本人にしか分かりませんけどね。」

瀬能「文学、漫画に関しても、作家がやる気なく書いたものが売れている場合もありますから。なんであんな物が売れるのか、本人も分からないっていう話は幾らでもありますし。適当に描いたから続きも書けないって話、聞きますよ。編集者が無理矢理、アイデア出させて続きを書いているって。」

担当「売れるものには、絞って絞って絞り尽くしますからね。」

瀬能「テレビで、有名レストランの料理に、著名な料理人が、合格不合格の札を上げる番組あるじゃないですか。あれで、審査した料理人が、視聴者から抗議を受けたって話を聞いて、大分、審査員側が大人しくなったって聞きますよ。損するの自分だから、全部に合格あげておけって。ただ、そうすると番組が盛り上がらないから、わざと、こうした方がいいとか、もっと美味しくなるようにとかお世辞を言いつつ、不合格を出すとか。」

担当「テレビなんて全部、台本あるでしょ?先生。」

瀬能「お互い損をしないように、調整しているって言う話ですよ。台本通りに喋って損するんじゃ、審査員になってくれませんからね。審査員をやっている料理人のお店にも足を運んでもらわないといけませんから。」

担当「お互いに宣伝って事ですか。」

瀬能「宣伝ですよ。1時間かけて審査する方も審査される方も宣伝をしているだけですよ。視聴者が一番、バカにされているんです。」

担当「見て美味しそうなら食べに行きますけどね。」

瀬能「まあ行きますよ。あれだけ宣伝して、美味しい所をアピールしている訳ですから。料理が美味しいよりも、熱いエピソードの方が盛り上がっている場合だってありますからね。料理関係ないじゃん!って。」

担当「何を信じてよいか分かりませんね。」

瀬能「私、欽ちゃんの仮装大賞くらい審査員が丁度いいと思うんですよね。ぬるいようで、1点でも足りないと不合格じゃないですか。シビアな所はシビアで。そんでもって山本監督みたいに、それなりに業界人の人もいて、あとは冷やかし程度の人で。ただ、その冷やかし程度の審査員の心を動かせるかどうかっていうのが問題になってくるんです。それに、最後の最後は、欽ちゃんが恩情かけてくれますしね。」

担当「世の中の賞レースは、欽ちゃんの仮装大賞を見習うべきですね。」

瀬能「なにより、本物以上と称される、バニーちゃんを見られるのは仮装大賞だけですから。」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ